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片隅に生きる人々  作者: 伊集院アケミ
第三部『時空移動』編
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第23話「闇歴史」

 もう一度目覚めた時、だいぶ体は軽くなっていた。僕は「腹が減った」と騒ぐ全力さんを置いて、車の周りを少し散歩してみた。歩き出して直ぐに、ここは1965年の東京じゃないと分かった。何しろ、道路が全然舗装されていない。電柱は大半が木で、怪しげな広告が沢山貼られている。広告に記載されている住所を見て、ここが長岡市である事だけはなんとか分かった。


 不審人物に思われたら嫌だから誰とも話さなかったが、遠目に見る感じでは、歩いている人たちは皆、和服か国民服を着ているようだった。携帯電話を使っている人間は誰もいない。公衆電話すら、一台も見かけなかった。


 車はたまに見かけたが、戦時中に走っていたような非常に古い形のものばかりだった。サイドミラーも付いてないし、ナンバープレートには皆、『新』と書いてある。古い形の新潟ナンバーだ。


 サイドミラーは1950年代には義務化されている。それがないという事は、僕が今見ている光景は、少なくともそれ以前の日本ってことだ。道路の舗装率から考えて、おそらくはそれよりも昔だろう。


 僕の頭が狂ってないという前提に立って、今の事象を説明すれば、僕は1965年の東京ではなく、『終戦直後の長岡にフォールドしてしまった』という事になる。長岡は、角栄の地盤だった新潟三区であり、過去の所有者には、長岡藩家老・河合継之助の名もあった。おそらくは、ユキさんが座標設定に失敗したことで、過去の所有者にゆかりのある場所に飛ばされたんじゃないかと思う。


 差し当たっての問題は、僕はこの時代に通用するお金を殆ど持っていないという事だ。額面の5倍までしか買わなかったから、紙幣はほぼ全滅である。何とかこの時代で使えそうなのは、昭和34年までに発行された10円硬貨(ギザ10)だけだ。それだって、厳密に発行年度を調べられたら、受け付けてはもらえないだろう。下手したら、偽造硬貨で警察に駆けこまれる可能性すらある。


 つまり、今の僕の手持ち金は実質的にはゼロだ。完全に詰んでる。


 あんまり遅くなると全力さんがうるさいので、僕はいったん車に戻ることにした。全力さんが何故しゃべれるようになったのかは分からないが、今の僕には有難い事だ。全力さんが役に立つとは思えないが、人間は話し相手がいる限りは狂わない。僕はそのことを、よく知っている。


「これからどうしようか、全力さん」

「まずはメシやろ、メシ。食べにゃあ、どうにもならせんじゃないの」

「缶詰ならいくつか積んでるから、とりあえずは、それを食べるかい?」

「せやけど、それがのうなったら、もう食べるものないんじゃろ?」

「全力さんが食べられるものは、そうだね」

「何かええアイデアはないの?」

「海にでも行こうか? アサリ位は取れるかもしれないし」


 僕は海なんか全然好きじゃない。

 だけど何だか、今は無性に海が見たい気がした。


「ところで、アサリって何?」

「アサリは食べ物です。蓋を開けると、中にお肉が入ってます。結構おいしいよ」

「それナンボなん? 初回無料とか言って、後でめっさ課金される奴ちゃうん?」

「完全無料です。海に行けば沢山います。動かないので、バカでもとれます」

「なんなんそれ、めっさお得やん! はよ、行こうや! うみ! うみ!」


 全力さんはお得が好きだ。だけど、目先の事しか考えられない。もし人間に生まれ変わったら、色んな所のポイントカードを作っては財布を膨らまし、結局一つも最後まで溜められないタイプに違いない。


「そうだなー。別にやることもないし、とりあえず行くか」

「ところでなー、うみって何?」

「しょっぱい水が沢山あって、お魚が沢山いて、なんか辛いことがあった時に、泣きわめいたりジタバタしても何も言われない所さ。今の僕たちには丁度いいよ」



 僕は手持ちの道路地図を調べ、国道8号線を通って、柏崎の海水浴場まで車を走らせた。日本海側の海は荒れていて、結構寒い。春はアサリのシーズンだが、どうにも潮干狩りって気分じゃなかった。全力さんは、砂浜で見つけたヤドカリと必死で戦っている。僕は足元の砂を適当にいじりながら、どうしてこんなことになったのかを考え始めていた。


「あの箱は、所有者の望む世界線に貴方を飛ばすことが出来ます。つまり、貴方が本気でそれを望むなら、1965年5月28日の日本に行くことだって可能だという事です」


 ユキさんは、確かそう言っていた。その言葉が、「この時代で生きてみたいと願う時代に飛ぶ」ことを意味するのであれば、僕にはここに来る理由が、一つだけあった。勿論、あの爆発の瞬間にそんなことを考えていた訳じゃない。死を覚悟した瞬間、心の奥深くにずっと眠っていた願望を、この箱が見出したというだけだ。


 若かりし頃の僕の夢は、相場師ではなく、政治家になることだった。何のコネもない一般人が政治家になるための近道は、東大法学部に進学し、国家公務員試験一種に合格して官僚になるか、多数の政治家を輩出している早稲田や慶応に入ってコネを作り、議員秘書や地方議員から成り上がることである。


 もうこれ以上、受験勉強を続けたくないなと思った僕は後者を選び、早稲田大学・政治経済学部に入学した。弁論術を学んだのも、相場で金を稼ごうと思ったのも、すべてはその夢の実現のためだ。


「出来うるものなら政治家に、それが無理でも政策担当秘書となり、この国の中枢に食い込む」


 それが、相場師になる前の僕の夢だったのだ。


 角栄は政界の闇将軍であるだけでなく、相場の世界にも絶大な影響力を持っていた。僕の師匠である剣乃さんは、日銀特融の一件以来、ずっと彼を支え続けてきた人間の一人だ。


 勿論、僕には角栄との面識はない。僕が相場を始めた頃、彼は既に脳梗塞で言葉を失っていた。だが、彼の人となりや仕事に対するスタンスは、師匠から何度も聞かされたし、自分でも調べた。そして僕は、どんどん彼の生きざまに嵌っていったのだ。


「タイムスリップした僕が、駆け出しの頃の角栄の右腕となり、師匠と共に、この国の政治と相場の裏側で活躍する」


 そんな妄想に僕は囚われ、そんなストーリーのマンガを実際に描いていた。これは、僕の相方だった男すら知らない闇歴史だが、流石のユキさんも、そんな昔の事までは調べてなかったらしい。


 史実の角栄は、1946年の戦後初の総選挙には落選した。だが、翌年の第23回総選挙で初当選し、議員生活一年目にして、法務政務次官になっている。そしてその後、ほとんどの選挙でトップ当選だ。


 彼は39歳で郵政大臣、44歳で大蔵大臣に就任し、47歳で幹事長となり党内の実権を握った。そして54歳にして、ついに首相の座を射止める。勿論、全て戦後最年少の記録だ。


 この世界の角栄は、僕より相当年下のはずである。師匠に至っては、まだ赤ん坊に過ぎない。未来の知識を持つ僕が、角栄の懐に飛び込むことが出来れば、僕は若かりし頃の自分の妄想を、現実にすることが出来るかもしれない。


「問題は、この世界では戸籍すらない僕が、どうやって彼の信任を得るかだよな」

 

 僕がそう独りごちた時、全力さんが涙目になって帰ってきた。


(続く)




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