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片隅に生きる人々  作者: 伊集院アケミ
第二部『仙台死闘』編
17/35

第17話「第三の選択」

「うーん、なんか釈然としないなあ……」


 主人のいなくなった事務所で、僕はそう独り言ちた。少なくとも、赤瀬川さんだけは、僕の考えを喜んでくれると思っていたからだ。まあいい。赤瀬川さんは、作品そのものを否定してる訳じゃない。それを、「真実ドキュメンタリー」として、世に問うことに反対しているだけだ。


 手持無沙汰になった僕は、ソファーで眠る全力さんを両手で抱え上げた。全力さんは熟睡してるのか、まったく反応を示さない。僕は額にアゴ髭をグリグリとこすりつけながら、もう半年以上も声を聞いてないユキさんに向かって、こう語りかけた。


「ねえ、ユキさん。とりあえず、僕は最初の一歩を踏み出したよ。赤瀬川さんは僕のやることに反対みたいだけど、多分、これでいいんだよね」

「いいんじゃないですか?」

「へっ?」


 それは間違いなく、僕がテストを受けたあの日に車内で聞いた、ユキさんの声そのものだった。


「私はこう見えて結構忙しいんですよ。貴方が正しいと思う事を、これからもやり続けてください。貴方が道を誤った時には、貴方の心の中の師匠と同じく、ちゃんと叱りに行きますから」


 予想外にユキさんとつながって、僕は狼狽した。だが、全力さんが熟睡してる今の状態なら、ユキさんとのやり取りに支障はないはずだ。僕は自分の動揺を悟られぬよう、努めて冷静な口ぶりでこういった。


「実はね、剣乃さんの事を書いてみたんだけど、赤瀬川さんはそれを真実として世に問うことに反対みたいなんだ。それでちょっと、君の見解を聞いてみたいと思って……」


 僕は今日の赤瀬川さんとのやり取りと、ここ半年ちょっとに起こったことを、全て猫のユキさんに話した。


「なるほど。それは、一理ありますね」


 話を聞き終えたユキさんは、僕にそういった。


「そうかい? 僕は、赤瀬川さんだけは、賛成してくれると思ってた。勿論、僕だってこんな話が素直に受け入れられるとは思っていない。だけど、この作品を読んだ人の何人かが、『そういう事もあったかもな』って思ってくれればそれでいいんだ」

「何故ですか?」

「僕の目的は【種を撒く】ことにあるからさ。何十年かかってもいい。剣乃さんが角栄の盟友であり、美学を持った相場師であったことが、人口に膾炙されればそれでいいんだ」

「確認ですが、赤瀬川さんは、フィクションとして書くことには反対してないんですよね?」

「うん。だけど、『この物語はフィクションです』と言って書くのと、『事実を着想を得た物語です』と言って書くのとでは、読み手の受け取り方が違うよ。僕は小説きょこうではなく、ドキュメンタリーを創りたいんだ。じゃなきゃ、書く意味がない」

「剣乃さんの一番の偉業ともいえる真実を、自分から嘘だとは言いたくない、と……」

「その通りだ」

「貴方の言いたい事は、大体理解しました」


 猫のユキさんはそう答え、しばらく黙った。


「まあともかく、その作品を読んでみましょう。コピーは勿論、取ってありますよね?」

「ああ……」


 僕はカバンの中から、『片隅に生きる人々』のコピーを取り出し、机の上に置いた。赤瀬川さんの許可が得られれば、片っ端から、出版社に送り付けてみる積りだったからだ。猫のユキさんは机の上に飛び乗って、さっそく1ページ目を読みだした。


「めくって貰えますか?」

「えっ?」

「私、こんな手なので」と言って、猫のユキさんは両手をプラプラさせた。


「ああ、ごめんごめん」


 僕はユキさんの指示に従って、原稿をめくったり、戻したりという事を何十回も繰り返した。第一部である日銀特融の話は、400字詰め原稿用紙換算で100枚程度の作品だ。そこで止めたのは、あまり長すぎると、誰にも読んで貰えないだろうと考えたからだった。


「とても良く出来ていると思います。少なくとも、貴方の剣乃さんへの思いは伝わりますよ」


 原稿を読み終えたユキさんは、そう言った。だが、良く出来ているという言葉は、「作者の主張がちゃんと伝わること」を意味する言葉であって、必ずしも主張に賛成する事を意味しない。案の定、それに続く彼女の言葉は、僕の期待したものではなかった。


「ですが私も、この作品を世に問う事には反対です」

「どうして?」

「角栄や剣乃さんが、本当にこの国の将来を思って特融を成したとしても、それを証明することは不可能だからです。この件に係った全ての人物が、この事については何も書き残していません」

「それはそうだけど……」

「第三者が調べて明らかになることは、剣乃さんと、北誠会会長・村岡健司の金が、角栄に流れたことだけでしょう」


 それは僕も懸念していたことだった。唯一の希望は、当事者の一人であり、今も存命する赤瀬川さんの存在だった。だからこそ、僕は彼に作品を見せたのだが、彼はこの物語を真実ドキュメンタリーとして世に問うことには反対している。


 それはやはり物証がないか、あったとしても世間がその信ぴょう性を信じるには、不十分だからだろう。真実が角栄の業績に多少の影を落とすことになったとしても、師匠の名を上げる行為に対して、彼が本気で反対するとは思えない。


「やるならやはり、最初からフィクションとして書くべきでしょうね。それならば、物語を真に受ける人間はいませんし、角栄の日銀特融という偉業が汚されることもなくなります。しかし……」

「しかし?」

「貴方の思いを叶え、赤瀬川さんの懸念を晴らす方法が一つだけあります」

「どんな方法だい?」

「忘れてしまいましたか。あの箱は所有者に権力を持たらす箱ですよ?」

「あっ……」

「力ある者に語られたことが歴史となり、伝説となる。赤瀬川さん自身が、そう言ってるじゃないですか」


 あの箱は今も車に積んであるが、今となっては単なる荷物入れになってしまっていた。


「君は僕に、この世界での権力者になれって言うのかい?」

「そうは言っていません。箱の力を使えば、赤瀬川さんに不義理をすることなく、貴方の願いが叶うかもしれないと言っているだけです」

「話が良く見えないな。箱の力って、結局、何なのさ?」

「とうとう、それを語る日が来たようですね。貴方が突然いなくなるものだから、随分と待たされましたよ」


 そういって、猫のユキさんはニヤリと笑った。


「あの箱は、所有者の望む世界線に貴方を飛ばすことが出来ます。つまり、貴方が本気でそれを望むなら、1965年5月28日の日本に行くことだって可能だという事です」

「なんだって!?」

「証拠も証人もいないなら、貴方自身がそれになればいいんですよ」


(続く)

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