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片隅に生きる人々  作者: 伊集院アケミ
第二部『仙台死闘』編
15/35

第15話「再会」

『片隅に生きる人々』の第一部を脱稿した後、僕は小雪のちらつきだした仙台に戻ってきた。勿論、赤瀬川さんに原稿を見せるためだ。お金はまだ十分に残っていたが、とりあえず一区切りついた気がしたし、もし第二部を書き続けるならば、冬の間は沖縄にでも飛ぼうと考えていた。


「案外早く帰ってきたな」


 久しぶりに事務所に顔を出した僕を見て、赤瀬川さんが笑った。猫の全力さんは、ソファーで居眠りをしていたが、冬毛になったせいか、以前よりも随分丸くなったように僕は感じた。


「この歳じゃ、寒さも身に応えるんでね。全力まさかどさん、少し肥えたんじゃないですか?」

「遊び相手がいないからな。うちの若いのに世話をさせてるが、お前じゃなきゃ、どうも張り合いがないらしい。食っちゃ寝ばかりしているよ」

「そうでしょうね」


 全力さんはメンヘラ猫なので、遊ぶ時も同じ目線に降りて本気で遊ばないと、途端に拗ねる。普段の僕は全力さんと呼んでるから、将門さんと呼んでも、ほとんど反応しないはずだ。


「で、どうした? また、相場を張る気にでもなったか?」

「いや、そういう訳でもないんですけど、ちょっと一区切りついたんで、今度は沖縄にでも飛ぼうかと思って」

「そうか。それもいいかもしれないな」

「車を運ぶのにも金がかかりますし、もうほとぼりも冷めたでしょうから、次はどこかに安宿を借りるかもしれません。まあそれはそれとして、ちょっとこれを読んで貰えませんか?」


 僕は師匠の若かりし頃を描いた『片隅に生きる人々』の第一部の原稿を、赤瀬川さんに差し出した。


「日銀特融の経緯いきさつの話です。剣乃さんから聞いた話を、ほとんどそのまま書きました。師匠のことを書くなら、当然ここから始めるべきだと思って……」

「特融か、懐かしいな。あの頃から、剣乃さんと角栄の付き合いが始まったんだ」

「赤瀬川さんもでしょ?」

「そうだな。まあ、あの頃の俺は下っ端も下っ端で、歳の近かった俺を、兄貴けんのさんが憐れんでくれただけだがね」


 日銀特融の際のひと相場は、師匠と角栄が初めてタッグを組んだ相場だった。彼が初めて、筋者ヤクザの資金を投入した相場でもある。勿論、勝算があるからやった事だったが、相応のリスクをとった事には違いない。


 1965年5月28日は、戦後の経済史に燦然と輝く重要な一日だった。剣乃さんにとっては、相場師として名を上げた大事な一日でもある。


 その日の朝、4大証券の一角である山一證券で、取り付け騒ぎがおこった。この日は割引金融債の償還日で、おまけに月末の金曜日だった。当時は、オリンピック後の証券不況のど真ん中だ。顧客が不安に思うのも無理はない。前々から、山一の経営不安を報じていたマスコミ各社は、ここぞとばかりに、「昭和恐慌の再来だ!」と煽り立てた。実際、あの時の山一證券は倒産寸前だったのだ。


 その日の夕方、対策を協議するために、大蔵省、日本銀行、都銀3行のトップが勢ぞろいすることになる。場所は、赤坂の日銀・氷川寮。日本の金融政策についての重要な会合が何度も開かれてきた場所だ。


「その日俺は、昼間からずっと氷川寮の傍に詰めてた。会合があることは剣乃さんから聞いてたからな。もし話し合いが決裂したら、直ぐに親分に伝えることになっていた」

「はい、その事も書いてあります」

「当時は土曜日も、半日立ち合いがあった。もし決裂なら、その半日が持ち株を逃がす最後のチャンスだ。公式発表の前に、山一を救済するか否かの情報を掴む。それが俺の役目だった。失敗したらエンコ詰めじゃすまない、恐ろしい仕事さ」


 当時、相場師として名を売りつつあった師匠は、証券不況の中、値下がりを続ける株を、徹底的に買い向かっていた。だが、師匠が北誠会ヤクザの金まで突っ込んでいた本当の理由は、政財界の黒幕であった児玉 誉士夫(よしおにアヤを付けるためだった。


 赤瀬川さんは下っ端と謙遜していたが、彼はその北誠会の中堅幹部だった。会長は村岡健司という男で、戦前から児玉機関で働いていた男だ。師匠も赤瀬川さんも、そして村岡も、この勝負に命まで賭けていたのだ。


「兄貴はこの勝負に勝つために、会長である村岡健司を、敢えて『巻き込んだ』んだ。そして村岡の仲立ちで、児玉との面会の機会を得た」


 師匠はその場で、山一證券を救うための起死回生のアイデアを児玉に吹き込んだ。そしてそのアイデアは、児玉を通して、当時大蔵大臣であった角栄に直ぐに伝わったのである。


「日本の中央銀行である日銀が、民間の証券会社に過ぎない山一に対して、無担保・無制限に融資する。それが師匠のアイデアでした。誰も知らない歴史の秘話です」

「そうだ。日銀はいくらでも札を刷れるんだから、そのアイデアが実現すれば、取り付け騒ぎは当然収まる。だが勿論、そんな前例はありはしない。日銀は日本の金融政策を決める、【銀行の銀行】だからな」


 山一の倒産は証券業界のみならず、日本経済そのものに深刻な悪影響を与えることを理解していた角栄は、砂防会館に師匠を呼びつけ直接話を聞いた。高度経済成長の腰折れは、大蔵大臣である自身の政治的失脚に繋がるからだ。


 師匠はその場で、この融資を正当化する一つの条文があることを角栄に説いた。旧日銀法の第25条がそれだ。


第25条


 内閣総理大臣及び大蔵大臣は、【信用秩序の維持に重大な支障が生じるおそれがある】と認めるとき、その他の信用秩序の維持のため特に必要があると認めるときは、日本銀行に対し、当該協議に係る金融機関への資金の貸付けその他の信用秩序の維持のために必要と認められる業務を行うことを要請することができる。


2 日本銀行は、前項の規定による内閣総理大臣及び大蔵大臣の要請があったときは、当該要請に応じて【特別の条件による資金の貸付けその他の信用秩序の維持のために必要と認められる業務】を行うことができる。


 角栄は単なる党人政治家ではなく、法律のプロだった。でなければ、自ら議員立法で33本もの法案を通せない。彼は自身の権力を使って何度も大金をせしめたが、一度だって、大義名分の立たない事はしなかった。錦の御旗が立たない所には、人も金も集まらないことを知り抜いていたからである。


 彼の遅刻は、自身の力で会合の空気を変えようとした、意図的なものとされているが、その本当の理由は、師匠のアイデアを我がものにしようと、ギリギリまで努力していたからだ。


「兄貴は、角栄が師匠のアイデアを会談で通してくれれば、自身の利益の全てを献金することを、その場で約束した。角栄が宰相の器であることを見込んだ兄貴は、俺たち全員の命を、角栄に【張った】んだ」


 赤瀬川さんは、懐かしそうにそう言った。

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