第14話「本当の始まり」
次の日から、僕の人生は大きく変わった。いや、具体的に何か変わった訳ではなかったけれど、生きることに【張り合い】が出来たのだ。寂しくなかったといえば嘘になるが、再び創作に挑むという喜びの方が遥かに勝った。
昼は図書館、夜はスーパー銭湯に籠りながら、僕は師匠との思い出や、あの日一日の出来事を次々とノートに書き写していった。眠ってる記憶を呼び起こしたり、自分の頭の中を整理するためには、自らの手で書きだしてみるのが一番いいからだ。
営業が終了したら最寄りの道の駅に向かい、そのまま車の中で眠る。夜明けと共に目覚め、開館と共に図書館に飛び込む。そんな毎日を半年近くも繰り返した。ヤサのトイレに閉じこもって、ユキさんの手紙を読んでいたあの時と同じように、「きっとまだ何とかなるはずだ」と信じて、自分の手を動かし続けていたのだ。
アイデアを書き止めた創作ノートは山のように溜まった。その段階になって初めて、僕はパソコンを購入し、ノートの中の思い出の欠片を眺めながら、誰に見せる当てもない師匠の物語を綴り始めた。
今これを読んでいる君たちには、僕のこの行動は、きっと馬鹿げたことのように見えるだろう。だがこれは、【ウソばかりのこの物語の中ではっきりと言うけれども】、僕の人生の中で最も充実した、幸せな時間だった。何の見返りも求めず、自分にとって一番大切な人のために使った、貴重な時間だったからだ。
僕は、あの頃の自分を心の底から尊敬している。創作というものは、本来そう言うものであるべきだと、心の底から信じているからだ。
山のように書き溜めたその創作ノートは、今でも僕の手元にある。師匠の物語だけではなく、その半年間の中で思い浮かんだ全ての考えが、全部その中に詰まっている。もし僕が、もう一度人生をやり直せたら何をすべきで、何をすべきでないのか、まるで預言書のように書いてあるのだ。
自分の人生に迷った時、僕は必ずそのノートを読み返し、軌道修正を図る。あの頃の僕が今の僕を見たら、きっと背中を蹴り飛ばすだろう。それでも僕は出来る限り、当時の僕のように生きたいと願うのだ。
若かりし頃の師匠と、角栄との出会いを描いた第一部を脱稿した時、季節はもう、車中泊にはいささか辛い季節になっていた。箱の力が本物なら、この作品がきっと、僕の人生を少しだけ前に進めてくれるだろう。限られた時間の中で、今の僕が出来ることはすべてやり尽くしたと思った。
勿論、この物語を「真実」だと信じてくれる人が、どれだけいるかは分からない。だがこれを読めば、僕がどんなものを美しいと思い、どんなことを表現したいと思って生きているかだけは、ちゃんと伝わるはずだ。
僕は書きあがった物語のタイトルを、僕の人生を狂わせた、あの作品と同じ名前にすることに決めた。
『片隅に生きる人々』
それが、その物語の名前だ。
(続く)