8.遭遇
「――大丈夫!?」
「っ!?」
突如、大きな声をかけられた俺は飛ぶように起きる。
突然の事で整理のつかないまま周りを見回し、声へと向き直る。そして、恐らく声の主であろう彼を見て【高速思考】を使った。
(……えーと。うん、なるほど)
時間は殆ど止まっているのに変な話だが、気持ちを整理するだけの時間が過ぎたお陰で観察する余裕が出来た俺は、現状の把握に努める。
この世界にも夕焼けがあるのか、空は赤みがかっていた。草原でごろごろと転がっていた時を最後に記憶が途切れているという事は、あのまま寝てしまったということだろう。
そして視界の中央には先程の声の主である茶髪の男性がいた。俺は少し考えながらも、MPが尽きる前に急いで彼のステータスを確認する。
――――――――――
名称:シュトフ
性別:♂
種族:人間
――――――――――
(短い……)
スキルレベルの低かったいつぞやの【鑑定】スキルを思い出す説明の少なさに、動けないのにため息が出そうになる。ステータスはまともに見られない事もあるようだ。
(ステータス閲覧だけは、なんだかんだ頼りにしてたんだけどな……)
少しでも情報は得るために彼の身なりを観察する限り、服飾もなく色合いは地味な服を着ている事は判る。異世界の一般人の財布事情は分からないが、裕福というよりは質素な服装に見える。
……とはいえ、今の俺よりは裕福だろう。少し遠くに待たせている馬の関係者なのは間違いない。
(大丈夫……って、聞いてきたよな。言葉はちゃんと通じるのか)
向こうの言葉が分かったという事は、こちらの言葉だって届くはず。理由は気になるが、現状ならコミュニケーションが取れると判っただけで十分だ。
「……どなたですか?」
取り敢えず【高速思考】を切り、適当に畏まって話す。悪い奴なら寝ていた俺に不意打ちでもして来るだろうし、悪人である線は薄いだろうが……。
「ごめん、起こしちゃったかな?僕はシュトフ……もう知ってるか。一応交易商をやってる」
丁寧に謝罪をし、こちらに両手を広げてみせる彼。武器は持っていないという事だろう。
そのアピール通り、彼の立ち振る舞いから敵意は感じない。まあ、敵意だのなんだのが判る武人みたいなスキルはないので勘だが。
(でも――ステータス見た事、バレてるのか?)
ただ、目の前の彼はこちらが名前を知っている……という事を知っていた。この状況でそんな事が判る理由は、【ステータス閲覧】を使った事が相手に気付かれている可能性くらいしか考えられない。
その前提で思い返すと、ゴブリンのステータスを見た時に勘づかれたのも説明がつく。パックウルフに至ってはステータスを見た瞬間に飛びついてきたので、ステータスを見られる感覚はあまり良いものではない可能性も高い。
「こちらこそ、ステータスを見てしまい申し訳ありません。俺はツクモ、と言います」
目の前の彼が驚いたように目をぱちくりとさせる。なけなしの語彙で丁寧に話したつもりだったが、今の俺は♀だから……一人称は『私』とかにするべきだったか。
……流石に抵抗あるし、やりたくないな。
「ああ、驚かせちゃったのは僕だし気にしないで。……それより大丈夫?怪我してるみたいだけど」
精神と性別の不一致を改めて感じながら反応の止まった彼の顔を見ていると、シュトフは手を下げて、逆に俺を心配してきた。
(ステータス閲覧、一般的にどういう反応を取られるかも確かめたかったんだが……)
やんわりとした表現で少し判断に困るものの、パックウルフの一件もある。恐らく、あまりよろしくない行為のはずだ。
そう考えれば、俺の無事をステータスじゃ無くて口頭で確認して来た事の筋も通る。シュトフ……こいつがスキルを持ってない、って可能性もあるかもしれないが。
どちらにしてもステータスを見た事が気付かれてしまうならば、不要なステータス閲覧を避けるに越した事は無い。トラブルは御免だ。
「いえ、お気遣いありがとうございます。動くのに支障はないので――」
――きゅるるる。
見ず知らずの人間に治療をお願いは出来ないし、事実傷も治っていた俺は無事をアピールしていたが……話している最中に草原に何かの鳴いたような音が響く。
「あ、っと……」
――俺、ずっと腹減ってるな!
この聞き慣れてしまった音の出処は、俺が一番よく知っている。腹の虫だ。今まで人がいなかったから気にしていなかったが、人前では恥ずかしい。
「……。ここらで休憩しようと思ってたんだけど、良ければ一緒にどうだい?そろそろ1人で食事も寂しいと思ってたんだ」
「め、迷惑でなければ……」
いたたまれなくなって目を逸らしていると思いっ切り気を遣われてしまったため、更にいたたまれなくなった俺は頬を掻きながら返答する。
言ってから断るべきだったか少し考えたが……長いこと1人でいた事もあり人恋しかったので、素直にお言葉に甘える事にした。
……というか、この状況じゃ断れない。
――――――――――
布1枚しか身に付けてない俺に用意出来るものは何も無い。
となれば必然的に手持ち無沙汰になるのだが、慣れた手つきで焚き火の準備をしている彼を手伝おうとした所で邪魔にしかならないだろう。
精々出来ることとして、座り心地を考えて周囲の石を取り除いていると、シュトフが話しかけてきた。
「ツクモちゃんだっけ。どうしてこんな所で寝てたんだい?」
「旅の途中、魔物に襲われて。撃退したのはいいんですが……怪我が酷かったので森を抜けようと思って」
「旅……?珍しいね」
ちゃん付けをされる事にも抵抗はあるが、訂正する程でもないと流して更に話を続ける。
「服もその時に着られない程に破れてしまったんです。一時しのぎでこれを羽織ってますが」
「そうだったんだ……それは災難だったね」
……嘘です、行く宛てがないから適当に歩いてただけです。
本気で心配そうな彼に少し罪悪感を覚えなつつも、さりげなく自分の格好についても嘘で誤魔化す。理由を付ければこの格好でも不自然では無いだろう。
(いや、嘘でもいいから理由がないと、着ているものの差がな……)
心の中でその罪悪感に言い訳をしていると、シュトフがはっとした顔で声を出す。
「そういえば、その魔物って……パックウルフかな?」
「え、言いましたっけ?」
「いや、ここに来る途中に死体があったから。もしかしたらと思ってさ」
暖かい光を放つ焚き火に背を向け、シュトフは馬車の中から灰色の毛皮を取り出す。
「殆ど捨てちゃったけど、毛皮だけでも返すよ」
「いえ、俺じゃ解体までは出来なかったので……貰って下さい」
実際に解体したのは彼だし、荷物に余裕もないので断る。
その後も暫く返そうとしてきた彼だったが、数回やり取りをするとキリが無いと思ったのか、遠慮がちに毛皮を馬車へとしまいに行った。
「うーん、貰いっぱなしも悪いしなあ……」
毛皮を羽織れば布1枚よりはマシだったか――と、少しだけ後悔したのは胸の内に秘めておこう。どうせ毛皮があっても浮浪者が蛮族になるだけだ。