71.雨宿
「……ふぅ」
片膝を軽く浮かせてしゃがむコルチの隣で、先程から続いている呼吸の乱れとは関係のない吐息を漏らす。
「雨、しばらく止みそうにないよな」
「そうっスねえ」
あれから一応、入口で待ってはみたが雨は弱まる気配すらなかった。それどころか、気付いた時には景色を覆っていたほどだ。
このまま待っていても風邪を引くかもという判断のもと、来た道を引き返した結果……俺達は暗い洞窟の中で暇を持て余していた。
「……静かだな」
行きでやれるだけ殺った結果か、外気が入り込まないところまで遠ざかったからなのか。違うなら耳が慣れたのだろうが、洞窟の中は雨音すら響かないくらい静かだ。
「っと……」
俺は地面に手をついて身体を浮かせ、接地面を増やすように両腿の内側を地面に付けて座り直した。
体勢としては楽だが、すぐに立ち上がれるような格好ではない。奇襲されようものなら隙だらけで対応することになりそうだ。
まあ、近くに魔物の気配は――気配なんてわからないが、これだけ静かなら近付いてきた時点で音がする。多少は気を抜いても平気、のはず。
むしろ襲われる事を考えるなら体力は温存すべきなので、自分に合った体勢で休む事は重要だろう。
「……。……」
ほんの少し引っかかっていることがあるとするなら――これが俗に女の子座りと呼ばれていることか。
先程まで考えていたのは、この座り方への『この格好は合理的だ』と言い張るための詭弁だ。
「はぁ……」
……呼び方を変えれば解決する話であり、流石に俗称を理由にやめるほど男として潔癖ではない。
ため息をついているのは、こんな非生産的な考えを繰り返すくらいに暇を持て余しているこの状況によるものだ。
ダンジョンだからと最初こそ警戒をしていたのだが、こちらが動かないなら早々意表を突かれる事もない。
そして、そもそも見通しが悪い洞窟では音の方が情報として頼れる――幸い俺の耳は音をよく拾う。視覚に頼って暗闇や物陰を警戒するよりも警戒になる。
まあ、ともあれ神経をすり減らして気を張る必要もなくなれば退屈すら感じてくる。
「……。ん、しょ……」
そわそわして落ち着かない俺は、腕を支えにして居住まいを正す。
転生してからの短い人生経験上、静かに待機するのは得意なタイプだと思っていたのだが。ことこんな状況ではそうでもなかったらしい。
だからといって、退屈しのぎに騒ぐわけにもいかない。騒ぎたいわけでもないが。
「暗く感じるけど気のせい……じゃ、ないよな」
「確かに、さっきよりちょっと暗いっスね」
とはいえ、何もしていないと落ち着かないのは事実。ならば、座り方を変えたり中身のない独り言でも吐いて気を紛らわせてみよう、というのが俺の挙動不審の理由だ。
それこそ洞窟のことくらいしか話題もないが、他愛もない話で静けさは薄れる。コルチもこの静寂に特に感慨は無いのか、呟きに一応の返事はしてくれていた。
「……」
「……」
……だが、互いに軽く言葉を交わした後はしんと静まり返る。当然のように、ここから会話に発展することは無い。
話し始めた俺から更に話題を振るべきなのだろうが、俺はここから話を広げる事はしていなかった。雑談していて魔物の接近音に気付けない可能性もあるからだ。
……嘘だ。会話を続けられないのは、ひとえに俺の知識量の問題である。もっともらしい理由をつけたが、たとえ魔物に襲われる危険性が無くても話題を提供する自信はない。
横目で岩にもたれるコルチを見ると、剣についている汚れを指で擦るように拭き取っていた。
「……」
地面につけたままの手へと視線を落として、彼女の事について考える。コルチは俺の事をどう思っているのだろう。
……嫌われるような事こそしていないつもりだが、だからといって好かれようと行動したりもしていない。
身体を流して貰ったり同じベッドで寝たりはしているが……それらの行動は、こちらを見た目通りの存在だと思っているからだ。それを抜きにすれば知り合い程度の付き合いであり、手のかかる同居人というところだろう。
……しかも、それはあくまで俺が男だと知らない上で。
俺が実は男だと知れば、拒絶されることだろう。下心は無いなんて言い分で、彼女の心情に介入出来る道理はない。
それなら、そもそも男だと明かして無闇に彼女を傷付ける必要はない。
(……なんて、騙してるだけの癖して善人面してな……)
説明しても信じてくれやしない、というのは自分に対する言い訳で。罪悪感はあるのに本当のことを言おうとは思えないのは……結局、自分が傷付きたくないだけのエゴだ。
「……はぁ」
視線を上げて、考えをかき消すために息を吐く。色々と割り切っているつもりだったが、思考する度によくない方向に傾いている気がする。
健全な肉体にこそ健全な精神が宿るとかどうとかいう話が記憶にあるが、今の自分を省みるとあながち間違いではない。
自分の呼吸や動悸を意識してしまうくらいには、気が滅入っているのがわかる。
……考えることがマイナスにしか働かないなら、いっそ適当でも洞窟の話をしていた方がマシだ。
「暗いな。ほんと」
それで言及する内容はまた暗いことなのだが、その通りだから仕方がない。そのうち目が慣れるだろうと考えていたが、俺の目は一向に慣れる気配はない。
普通に考えれば光源も無しに周りが見えるだけ明るい方ではあるとは思うが、今まで探索したどのダンジョンより暗い。なんとも言えない違和感がある。
「暗いっスねえ……」
ロークラビットのような保護色の魔物なら見落とすことがあるかもしれない。ゴブリンの体色からして見落とすことはないか。
「……ゴブリン結構狩りましたから、それが原因っスかね」
そんな薄暗い空間で、先程まで簡素な返事しかしていなかったコルチが気になる事を呟く。洞窟が暗いという話への推測だろうか。
暫く待っても続く言葉は無かったため、たまたま口から漏らしただけなのだろう。……。
「……ゴブリンって関係あるのか?」
「ん、何がっスか」
「あ、いや。ダンジョンが暗い事とゴブリンが少ない事……かな?さっきぼそっと言ってたから気になってさ」
考えても内容が理解出来ず、同時に疑問が口をついて出た。すかさず返された指摘に補足すると、コルチは頰杖をつくように手を顔に添える。
「姉御って、魔力光は判ります?」
「いや」
「……。んー」
即答とともに首を横に振ると、一瞬止まるコルチ。
……我ながら、好奇心に反して知識は皆無だ。少し唸っているあたり、基礎的な話なのだろう。
こちらのことを考えて初歩的なことから問いかけてくれたのだろう。反応からして、その魔力光とやらについて知らないのはコルチも予想外だったらしい。
「姉御、スキル使ったことはありますよね。あれで使われてるのが魔力なんですけど……光ったことって無いっスか?」
「……あ、確か棍棒が光ってたか。あれが魔力光なのか」
「そうっスそうっス」
と言っても、説明されれば理解出来る程度の頭はある。というか少し前に体験したばかりだ。目の錯覚かと思ったが、本当に光っていただけらしい。
……俺の常識では、光るだけと済ませていいほど当たり前の現象では無いのだが。
ともかく、魔力光の存在を聞いていればダンジョンに関する先の疑問も自ずと判明する。
「つまり、ダンジョンもその魔力光のお陰で明るいってことか?」
「ん、まあ……大体そうっス。スキルとか使って、ふわふわーっとそのへんに漂った魔力が光って……みたいな感じで」
「へえー……」
コルチの身振り手振りを加えた説明を聞き、俺は目を閉じて空気を手で掴むように動かしてみる。
「……魔力、ねえ……」
ぼそりと呟き、空気に含まれているらしいそれを肌で感じようと更に集中する。
この空気中に魔力が漂っているそうだが、当然のように手のひらに感じるものはない。というか、目を閉じたからか自分の動悸が妙に大きく感じて集中し辛い。
こうすれば何かスキルを覚えたりしないかと思ったが、今は無理そうだ。そもそも、いくら空気中にあるからといって魔力に触れられるのかも怪しい。
「あれ、て、こ……とは……」
文字通り手応えがない魔力から手を離しながら、俺は思いあたったことを質問しようとしたが――急に頭が回らなくなり、言葉が途切れた。
「……ん、ぅ……?」
思わず情けない声が出しながら、こそばゆい感覚に耐えきれず手が下がる。頭頂部から耳の付け根へと何かが触れている。
軽く俯いてから目を開けると、少し近くに寄ってきていたコルチが俺の頭に手を伸ばしていた。
「……ぁ、あのさ……」
「あ、はい。何か質問でした?」
「……。その」
目だけ動かしてコルチの顔を見ながら声を絞り出すと、手はすっと引かれた。
俺は頭に微かに残る体温を感じながら、少し強まった気がする鼓動や呼吸の乱れを抑えつつ言葉を続ける。
「……ん、ん。魔物って、普段もスキルを使ってるのか?さっきの話だと、スキルを使わないと魔力は出てこない……ってことになるよな」
下手な咳払いをして、うやむやになってしまった思考をもう一度組み立てる。
……少しだけ後ろ髪を引かれる気分なのは、精神的に疲労が溜まっている証拠なのだろう。
「あー、えーとですね。魔物に限った話じゃなくて、魔力って身体に入らない分は外に出るっス」
「だからゴブリンが減ると魔力が減って、暗く……?」
「そっちはあくまで予想ですけどね。むしろ、詳しいことも考えると違う気がするっス」
「へえ……?」
口振りからして彼女はその『詳しいこと』を知っているようだ。素人でもわかるレベルに噛み砕いて教えてくれるのは本当にありがたい。
「……。ふぅっ……と」
俺が考え込んだのを見計らってか、彼女は地面に膝をついて休んでいた。……色々魔法について聞けば、魔法を使えるようになったりしないだろうか。
「あの……ん」
「……魔力……暗くは……。即時……」
早速教えて貰おうと声をかけようとすると……コルチが何かを考え込んでいたため、咄嗟に口をつぐむ。
考え事に集中しているようで、そもそも声をかけようとしたことにも気付いていない。後学のためにも色々知りたかったが……考え事の邪魔をするのも忍びないし、黙って見ていようか。
「なら……総量は……。……親和性……ここなら……」
「……」
「あ……そっか……コアも……。……土か……」
「……んしょ……っと」
……。断片的な情報が聞こえるせいで余計に気になるから、少し別の事でもしていよう。
俺は行き場の無くなった手で三角形の耳の付け根を弄りながら、身体をほぐすために立ち上がる。そして脚についたほこりを軽く手で払うと――突然背筋に寒気が走り、ぴくりと身体が震える。
「……!っ」
まずい。そう思って目を瞑ったのも束の間、口は意志とは関係なく空気を吸い込む。
「――くしゅっ!」
「ん。冷えちゃいましたか」
そして、そのまま反射的に吐き出してしまった。なんとか顔を背けはしたが、申し訳なく目を逸らしていると声をかけられる。
「……少し」
「平気っスか?」
「大丈夫、ローブ羽織っとく」
……将来的な事を色々と考える前に、自分の体調などの目先の事を考えるべきのようだ。良くも悪くも、現実に戻されたような気分になる。
俺はローブで身体を覆いながら、何度目かもわからないため息をついた。