70.浄化
「せっ!」
武器を持つゴブリンへ向かって走り、群れの真ん中へと飛び込むコルチ。そして勢いのまま剣を斬り下ろした彼女は一体のゴブリンの首を切り裂き、流れるように斜めに斬り上げて二体目の胴を切り裂く。
「おお……」
そんな綺麗な不意打ちに少し見惚れていたが、このまま見ている場合ではない。
負けじと忍び足でゴブリンとの距離を詰める。ブーツと地面が擦れて軽く音が鳴ったが、未だ自分たちに何が起こったかの把握に努めているゴブリン達にはこちらに気づく余裕はなかったようだ。
「ふッ!」
これ幸いと隙だらけのゴブリンの首へと短剣を突き立てると、何かを千切る音と共にゴブリンの首筋へとくい込む。
近くで味方が刺されたからか群れの内の1匹が棍棒で殴りかかってくるが、高速思考を使っていればそれを食らいようがない。
「よ……っと!」
振り上げ始めの勢いのついていない棍棒を押さえ、先程引き抜いたばかりで紅く染まった短剣を首へ押し当てて後退させながら、足を引っ掛けて転ばせる。
「ギシャァァ!」
「んっ……」
押し倒したそいつに止めを刺そうとしたが、ゴブリン達も仲間がやられて何もしない程薄情ではないらしい。
攻撃が振り下ろされようとしている事に気付き避けるのを優先すると、棍棒が俺を掠める――そしてその先には倒れていたゴブリンが。
「あ」
「ギヒュッ!?」
「シャ……」
当然、勢いづいた棍棒は倒れていたゴブリンの腹へめり込み、弾力のある音を響かせた。
【高速思考】を使って確認すると、味方に棍棒を叩きつけてしまったゴブリンは気まずそうに味方にめり込んだ棍棒を見ていた。
(……やっぱり仲間意識はあるのか)
そう考えると少し気の毒だが、スキルを解除するとすぐに視線はこちらを向いた。戦いの最中に目線を逸らし続けたりするほど情に厚くはないようだ。その点は安心した。
――隙を付くことに、妙な罪悪感を得ずに済む。
「……ふんっ……!」
既に勢いがつき始めていた短剣で、顔を上げたゴブリンの眼がこちらを視認する前に刺し貫く。さらに間髪入れず引き抜き、目を抑えて叫ぶゴブリンの喉元に突き刺す。
「次……」
その場から軽く飛び退いて攻撃を避けるのに専念しつつ、こちらを狙っているのが1体ということを確認する。
ふと思いついて、先程味方に殴られたゴブリンの首へ短剣を刺し、その手から棍棒を分捕った。
狙いは一体、手には棍棒。試し打ちには好都合だ。
「らアぁッ!」
俺は両手で、さながらバットのように棍棒を掴むと、棍棒全体が薄い光に包まれる。昨日覚えたスキル――【スマッシュ】で、ゴブリンへと殴り掛かる。
こちらの大振りな動きを見て咄嗟に防御したゴブリンだったが……盾もないガードの上から当てた攻撃は弾かれることはなく、その身体ごと思いっきり吹っ飛ばした。
「……光ってたな、今……」
訝しむように持っていた棍棒を見るが、すぐにゴブリンに意識を戻す。
直撃しなかったからか伸びてはいないようだが、HPもかなり減っていたので棍棒を振り下ろす。
―――Lvが10になりました。
―――スキル【短剣術】がlv2に成長しました。
頭に届く声が成長を告げたと同時に棍棒を捨てる。持ち手の部分が軽くしなっていたため、流石にもう使えなさそうだ。
「姉御、そっちは――終わってましたか」
「ん、ああ」
スキルの威力で壊れそうな棍棒に感心していると、丁度コルチの方も終わったらしい。
「どれどれ……」
今回の戦闘でようやくレベルが2桁。今まで自分よりレベルの高い敵が殆どだったので、レベルによる優劣は気にしないようにしていたが……やはり上がるに越した事はない。
――――――――――
名称:ツクモ
性別:♀
Lv:10
種族:亜人(猫)
状態:普通
HP:138/138 MP:65/170
戦闘スキル:
【スマッシュ.lv1】【高速思考.lv2】【雄叫び.lv1】
スキル:
【魅力.lv1】【観察.lv3】【直感.lv1】【鑑定.lv4】【ステータス閲覧.lv3】【隠密.lv4】【投擲.lv1】【体術.lv3】【鈍器使い.lv3】【短剣術.lv2】【自然回復.lv1】【根性.lv1】
特殊スキル:
【複魂.lv1 1/1】【道連れ.lv2】
――――――――――
俺は先程突き刺しておいた短剣を回収しながらステータスを開き、下唇を噛む。嬉しくない訳ではないが、いつも通りレベルの大小による影響をあまり感じない。
【短剣術】とかいうスキルを手に入れたくらいで、HPやらの伸びは大概低い。いや、同レベルの魔物とかに比べれば高い方なのだろうが。
強くなった実感がないのは、そもそもスキルくらいしか変化が無いからというのもあるだろう。
【ステータス閲覧】が伸びれば別の数値が表示されるのかと思えばそういう訳でも無い。今の所、目に見えて成長しているのがスキルやレベルくらいだ。
まあ、仮に力だのを数値化されても自分のレベルじゃ大した事はなさそうだが。コルチに押さえ付けられたりするので、実はステータスが高いなんて幻想も抱いていない。
「燃費悪いな、このスキル……」
現実逃避気味に自分の残りMPを見て思わず顔をしかめる。防がれても相手を吹っ飛ばすほどの威力は魅力。とはいえ、普段は相手の攻撃を避ける事に【高速思考】を使っているため、MPが枯渇する事を考えるとあまり使うべきスキルでも無さそうだ。
「姉御、行きましょ」
「ん。わかった」
まあ、今はレベルが上がった事を素直に喜ぶべきだろう。
――――――――――
「す……ふぅ……」
あれから、ゴブリンには会っていない。別に出くわしたい訳でもないが、特に問題ではない。何か問題があるかと言えば――。
「ふーっ……。ふぅ」
身体が変だ。呼吸が一向に落ち着かない。ゆっくりではあるが、肩が上下に揺れているのが自分でも判る。
深呼吸するように息を吐いても落ち着く様子はない。魔物を刺しすぎて、いよいよ身体がおかしくなったのだろうか。
「……武器が合わない……?」
武器の相性にしても、悪ければ手にマメでも出来る事はあるだろう。だが、息が上がるような事態にはならないはずだ。というか、【短剣術】が成長した戦いが最後だったというのに、今更武器が合わないとも思えない。
となれば、疲労という線を疑うべきなのだろうが……今は、むしろ感覚が鋭くなっている。当然、疲労と呼ぶようなものではない。身体がエネルギーを発散しきれていないようにすら感じる。
ただ、何故か勝手に身体が呼吸をしてしまう。疲れているという訳でもなく、意識すれば止める事が出来るが、こうも続くと変だ。
「はぁ……んー……?」
「そろそろ出口ですかね。……姉御、何かお悩みっスか?」
そうやって短剣を見つめながら考え込んでいると、コルチが心配そうに話しかけてくる。
「あーいや……大したことじゃないんだけど」
妙に息が上がっている――なんて、伝えたところで心配させるだけだ。身体が疲れている訳でも無いから、これから帰るという時にわざわざ言う必要も無いだろう。
「これで狩ると血で汚れそうだな、と思って」
そんな事を言いながら血の付いた短剣を見せる。血も気になるし、服にも結構ついているので少しまるっきり嘘でも無い。
「ゲーモに作って貰ったけど、ウサギの身体がついたままの方が良かったかもな」
「冗談っスよね?」
「いや、流石にやらないけど」
間を開けず心配してくるコルチ。もしかして、本気でやると思われているのだろうか。
「個性的っスけど、肉の棍棒は流石に……姉御ってその内ラットとか武器にしそうですし」
「……。はは、まさか」
もう似たような事はやったなと思って苦笑いしながら、いつぞやの戦いを思い出す。
実際、ラットの死体を武器にしようと考えた事はある。今回のゴブリンみたいな相手だと、武器があった方が幾分か戦いやすかった。
「……戦闘中に空間魔法が使えないしな……」
「……?」
戦闘中には何故か使えないという制約があるようなので、武器は取り出しておく必要がある。そうなると、死体を武器にするならそのまま持ち運ぶ事になるので……流石に邪魔だ。
それに、あれは手元に何も無かったからやっていたというのもある。やっていた事があるからといって、常時死体を武器にする必要はない。
「でも、刃物使ってると血で汚れるんスよね。あたしも武器はこれですし……」
そう言うとコルチは持っていた剣の刀身を少し持ち上げ、軽く振るう。
こうして片手で扱っているのを見ると軽く見えるが、金属で出来ているので刀身は細くても軽くはないはずだが……。
「手入れもしないと血とか固まりますし」
「でも、昨日の……浄化の魔石だったか。あれを使えば……」
「んー……」
反応が芳しく無い。推測が外れているのを察し首を傾げると、コルチはこちらに気付いて説明し始める。
「あれじゃあんまり綺麗にならないんスよ。血とか、そういうのは特に……らしいっス。理由は良く知らないっスけど」
「装備を綺麗にする時は、それじゃ無理ってことか」
頷きながら、コルチは服に軽く付着した土を払う。地味に今着ている革鎧や、肌にも血がついているのはいい気分ではない。
「こういう、砂埃とかは落ちるんスけどね。でも、水魔法とかの魔石で洗えますから」
「へえ、そんなのも……魔石って高価なのか?」
「ものによりますけど、そこまで値が張るものでもないっスよ。今度買いに行きますか?」
「そうしたいな。……それがあれば、シャワーとか使わなくても良さそうだし」
俺がそう言うとコルチは深くため息をつき、呆れたような声を出した。
また何か変な事を言ったかと思い考えているとコルチは、あのですね、と前置きをして話し始める。
「装備はともかく、身体はちゃんと洗うべきっス。そんなに面倒なら髪以外も洗ってあげますから」
「いや、コルチも1人でゆっくり入りたいだろ?」
短剣を逆手持ちにして頬を掻きながら、やんわりと断る。
毎度洗ってもらう時に目を逸らし続けるのはそこそこ神経を使う。裸体を見ていないとは言わないが、視界から外す努力を怠りたくはない。
だからといって開き直って見てしまおうものなら、絶対に後で自己嫌悪に陥る。そういう図太さがないことくらいは自覚している。
「そろそろ髪も自分で洗うから、安心してくれ」
「安心できません」
そもそも、1人で入っていない理由は髪やらを洗うのに慣れていなかったからだ。ある程度やり方を知っている今なら一緒に入る理由はない。
……というか、あまり尻尾を洗われたくない。理由を詳しく聞かれても困るから口には出さないが、本音はこれだ。
「そもそも姉御って身体洗うの下手ですし、それに――って、雨っスね」
「うわ、凄い降ってるな……」
そんな事を話しながらダンジョンの外へ踏み出すと、突然雨音が聞こえ始めた。話していて気付かなかったが、そこそこ降っている。
軽く外に手を出したコルチは慌てて引っ込めると、手を振るって水を切る。
「……どうするか」
ダンジョンの出口の手前で外を眺める。雨の音が遠く聞こえて、まるで映像のようだ。このまま帰ればギルドに帰る頃には汚れが落ちるだろう。その代償に風邪もひきそうだが。
「暫くしたら止むっスよ、多分。一休みしましょ」