54.鳴声
「……ふあぁ……」
身体を起こすと、珍しく間の抜けた声が出る。身体から緊張感が失われている感覚に新鮮味があり、こんなに気の緩んだのは久々だと実感する。
いつもはすっきり目覚められているので、これも今着ている服の……【精神弱化】辺りの影響だろうか。
(……いや、流石に考えすぎか)
上体を起こしたまま目を閉じて、服に全て責任転嫁する思考を止める。
検証した訳ではないが、服の影響を受けていない事は確かだ。このデバフが精神に作用するタイプのものであれば、子供にしか効かないレベルのデバフが俺には効果の無い理由も頷ける話だ。
(お腹、減ったな……)
既に出されていた結論をもう一度導くという生産性の無い思考活動に精を出してたところ、突然自分が空腹である事を自覚する。
そういえば、昨夜は何も腹に入れていない。実を言うと一昨日の夜もそうなのだが、あの時はそんな事に気を付ける余裕は無かった。
それでも昨日の昼には空腹に耐えきれなくなり、服についた呪いを説明した後にしっかり食事は取らせて貰っていたくらいだ。つまり、精神的にいっぱいいっぱいでも、間違いなく腹は減る。
となれば、気の抜けた声が出る程に緩んでいる今、空腹に耐えきれなくなるのは自明の理であり……。
つまりは、まあ。腹が減っているのだ。
「んー……」
思考がまとまらないのは空腹だからというだけではない。両足を地面と水平に伸ばしたまま、唸りながら前屈をする。一日やそこらでは問題ないが、連日こんな服で寝れば身体も凝る。
普段はローブ一枚で寝た方が良いな。寝間着という物は持っていなくても、近いもので代用しておくべきだ。
(んて、珍しく、眠いんだよな……)
お腹が膨れると眠くなるという話はあった気がするが、腹が減り過ぎても動く気力や意識を保つ気力も失せるのだろうか。
目は閉じているとはいえ、上体を起こしたままにも関わらず寝てしまいそうだ。
「……。……んっ……ぁふー……」
このままでは良くないと思い、声が漏れるくらいに息を吸って前に伸び、精神的に助走をつけて目を開ける。コルチが起きる前に小物を着けてしまおう。
……多分結び直されるだろうが、リボンのように結ぶくらいはしておく。これが俺の精一杯だ。
「こんなもんか。……はぁ」
姿見に映る、過剰なフリルのメイド服を着た猫耳の少女。それを眺めながら、何度も確認した事実が変わらない事にため息をつく。
どうせならいっそ、生前の記憶も全て無くしていれば良かった。自分を男だという自覚が落ち込む原因なら、これ以上ない解決策だ。
ただの少女として余生を過ごせるだろうし、その方が……。
(……やめだ、やめだ。また不安がぶり返しかねない)
いつぞやの夜に、そんな事は考えた。それでも尚解決しきれていないなら、もはや考えるべき事じゃない。……この服のせいで、悩ましく思わされた節もあるが。
まあ、もし仮に頭を打つなりして更に記憶を無くしたとしても、孤児院送りになるだけだろうし。今も大概、場所が違うだけで保護されているのに変わりはない。
気持ちを切り替えるため、床と音を鳴らしてブーツの履き心地を確かめながら、服の袖口を整える。
(……だけど、見た目もまあ、恵まれてる方ではあるよな)
姿見の前に立ちながら、仏頂面の自分を見ながら服の細部を弄る。
この格好も思っていたより……似合っている、かもしれない。口を開かなければ見た目は少女なので、この服装にそこまでの違和感はない。
「……ん……」
頭に付けている装飾の位置を調整する。そのカチューシャ越しに見える猫耳は、服装に負けないだけの印象を持っている。
何もしていない時に顔に感情が出るタイプでもないため、いつも通り無表情だ。……我ながら無愛想だと思い、試しに指を使って口角を上げてみる。
「……む……」
……一瞬、可愛いと思ってしまった。
生前はロリコンだったのかナルシストだったのかは分からないが、自意識過剰が過ぎるのかもしれない。端正な顔立ちではあるが、恐らく、自分自身だから贔屓目で見ているだけだ。
「……あー……」
……指を離して笑顔を維持しようとしているこの少女が、本当に自分自身か確認するために発声してみる。
鏡の中の少女が自分の意思通りに動くのは、ゲームの主人公を操作しているかのような感覚だ。鏡を見ても、心の何処かでこれが自分だとは理解出来ていないような気さえする。
(……慣れた方がいい、よな)
瞬きをして息を整え、改めて鏡を見る。
自分の姿に慣れてしまえば肉体と精神の性別の差に苦しむ事も減るはずだ。そもそも、一々自分の顔を見てどうのこうの気にしていたら、今後が思いやられる。
鏡を見ながらも、背中を向けるようにワンピースの裾を持ち上げ、片足と合わせて回してみる。持ち上がったスカートからは、ブーツと白いニーソックス、そして黒い尻尾が覗いている。
慣れるためだ、色々やってみよう。……こういう時こそ、俺の中の無駄知識は使えるかもしれない。
――――――――――
(何やってんだ、俺は……)
鏡を見ながら、最早何も感じなくなった自分の姿を死んだ目で見る。顔に感情は出ないと思っていたが、今の無表情は正しく、無の感情によるものだ。
色々ポーズを取ってみた結果、最終的には自己嫌悪で冷静になれた。まあでも、おかげでかなり慣れた気もする。
「お帰りなさいませ……はっ、なんてな……」
スカートの両側を持ち上げるようにしてお辞儀してみると、記憶にあるそれと同じではないにしろ、雰囲気は真似出来ているように見える。
色々やったお陰で、今ならこんな事をしても平気……ではないが、自嘲気味に笑って流せるくらいにはなった。今なら、割となんでも出来そうだ。
ふと思いつき、顔の近くに持ってきた手を拱くように動かし、呟く。
「……。にゃん」
……。やって後悔した。流石にこれは恥ずかし―――。
「……くふ、ふっ」
背後での物音と、小さい笑い声が背後で聞こえた。
幸か不幸か、気付いてしまった俺は何かを察すると共に、手を下げてゆっくりと笑い声の方を向く。いつの間にやら、彼女はこちらを向いて寝転がっていた。
「……コ、コルチ。おは、よう……」
「おはようございます……んっ……」
必死で自然な反応を取り繕うが、隠す事の出来ない動揺に声が震えているのが自分でも判る。
「いや、やっぱり朝早いっスね姉御」
彼女は、あたかも今起きたように振舞っている。だが、未だに目を合わせてくれない。
「でも結び方、昨日よりは良いですけどまだ駄目っス。結び直しますね!」
「……あ、ああ」
コルチは後ろに周り込み、俺のエプロンの結び目を解き始めた。
「見てた、か?」
気を使ってくれた手前聞くのも憚られたが、俺のエプロンの結び目を直すコルチに恐る恐る聞いてみる。
ほぼ確定で見られているはずなので、言ってくれた方が良い―――。
「二番目のピースの仕方、可愛かったです」
「!?……い、いつから……」
―――そう、思っていたのだが。予想以上に前から見られていた事が判り、顔から火が出そうになる。
「……にゃん、って奴も可愛いと思うっス」
笑い声があった時点で感じてはいたが、やはり全て聞こえていたらしい。死にたくなってきた。
「もう一回、最後のやつやってくれません?」
「……。……よし」
気持ちをリセットするためにも一回死のう。復活スキルの使用回数が回復するのかは知らないが、一度までなら平気という事だろう。
俺は空間魔法から白い短剣を取り出し、自分に向けて構える。切れ味は確かめていないが、自決するなら心臓に向けて刺せばいいだろう。最悪首にも刺してしまえば十分―――。
「……止めないでくれ!」
「ごめんっス!もうからかわないっスから止めて下さい!」
後ろから羽交い締めにされながら、短剣を持つ手首を締め上げるように掴まれ、反対側の腕も同じように拘束される。
お互い少女とはいえ、空腹で肉体的に参っている俺は完全に力負けして、あっさり動きを封じられてしまった。
「……いっそ殺せ……」