50.直帰
「今日はもう遅いし、あがっていいわよ」
「ん、いいのか?」
カウンターとテーブルを料理と酒をせっせと運んで何往復したか判らなくなってきた頃、セフィーからそんなことを言われる。
「追加の注文はまだありそうだけど……」
「受付の仕事は落ち着いたし、明日も頑張ってもらうから。今日はありがと、ツクモちゃん」
セフィーがそう言うのだから、一人で回せる事は確かだろう。気を使われているなら、俺が仕事を分捕った時点で抵抗があった筈だ。
(見た感じ、いる客に変わりはないな)
冒険者という肉体労働を主とする職業柄だからか、飯を食うのが非常に早い。あまり急いで食べている風でもないので、自然とそうなるのだろう。
まあ、その関係で本来はすぐ客が捌けていくのだが、酒を運ぶついでに見た限りではここ30分くらい面子に変わりはなかった。
「飲め――!」
「――一発芸しまーす!ゴブリン――」
「――!!」
客の入りが落ち着いて殆どが追加注文ばかりになってきていたため、今いる面々が暫く呑むのだろう。
本格的に出来上がり始めているようで、耳を澄まさなくても内容を聞き取れる怒号にも似た音が聞こえる。
声が響くだけで頭が痛くなりそうだし、お言葉に甘えて退散させて貰おう。酔っ払いに絡まれると非常に面倒臭そうなのは、既に出来上がっている不特定多数の様子でわかる。
裏口から出るついでに、厨房にいるガドルへ一声かけに向かう。すると、その横で皿洗いをしていたツインテールの少女が、こちらに気付いて話しかけてきた。
「ツクモの姉御、お疲れ様っス」
「あれ、買い出しって話じゃ……?」
「元々、厨房側の助っ人も兼ねて来てたんスよ」
コルチは口角を上げ、自分のツインテールの毛先を弄りながら続ける。
「ま、誰かさんが予想以上に頑張ってくれてたらしいので、あたしはほとんど買い出ししかしてないっスけどね」
「それは申し訳ない事しちゃったか」
皮肉っぽく言うコルチにこちらも軽く笑って返す。
というか、セフィーが定期的に奥の方へ向かっていたのは見ていたが、厨房の仕事もやっていたのか。
依頼の書類を取りに行ってるのかと思っていたが、厨房のヘルプをしていたとは……この仕事、普段もギリギリで回しているのでは。
「その格好も様になってるっスよ、姉御」
「……それ、褒めてるか?」
「勿論っス。可愛いっス」
笑顔でこちらに話しかけてくるコルチ。褒め言葉には聞こえるが、素直に受け取り辛い。
そもそも、この格好が恥ずかしいって言いかけたのはコルチだ。まあ、自分が着るのと他人が着てるのを見るのは違う、というのは何となく分かるが。
二人で話し合っていると、先程から一人で厨房を回していたガドルが声をかけてくる。
「コルチ、お前も帰っていいぞ。朝弱えんだから早く寝ろ」
ガドルは慣れた様子で手を動かしている。最初に知った時も思っていたが、やっぱり厨房に似合わない。普段、大剣を振ってるイメージしかないのもあるだろうが。
「朝が弱いんじゃなくて、夜更かししてるだけっスよ」
「尚更、早く寝ろ」
「まあ、さっさと帰って寝ようか、コルチ。……ガドルさん、お先に失礼します」
「ガドルの兄貴、お疲れっス」
「おう、気を付けて帰れよ」
ガドルに挨拶をして、コルチに先行して裏口から出る。
今日来ていた客に比べればそこまでギルドに来ている訳ではないが、裏口から出た回数だけはかなり上位になるのではないだろうか。
「あのー」
「……ん?」
考え事をしている俺は勿論のこと、コルチも無言のまま訓練場へと向かっていたが、しばらくして沈黙に耐えられなかったのか話しかけてきた。
「姉御って、昔何やってたんスか?」
「昔……いや俺、記憶喪失だし」
「この街で記憶喪失になった、って訳じゃないんでしょう?」
「……あー」
つまり、俺が記憶喪失になってから何してたかって話をすればいいのだろうが。
「……。何してたんだろうな、俺」
そもそも、森から出てきてからどころか転生してからそこまで経っていない。そんな俺が何をしてたかと言えば、シュトフに言われたままにこの街のギルドに入って、依頼をこなしていただけだ。果てにはメイド服なんて着ている。
「……マジでなんなんだろう、俺……」
「姉御、えっと、辛かったら無理には」
「いや、心配してるような理由じゃないんだ」
曇った表情だけでは抑えきれず、つい愚痴が口をついて出てしまっていたようで、コルチが慌ててフォローする。
あれだけ自分の目標が無いとかどうのこうの言っていたが、実際かなり能天気に過ごしていた気がしないでもない。
「そもそも記憶喪失になって10日くらいしか経ってないから、話せる事もないんだ」
「……あー、そうだったんスか。てっきり地雷だったかと」
どうにかコルチに元気を出して貰うべく言葉を捻り出す。
訓練場の部屋のドアを開けながらそう呟いて、また言葉が続かなくなる。
俺はそのままカチューシャを外して空間魔法にしまい、腰の後ろのエプロンの飾り結びを解こうと――。
「って、10日しか経ってないんスか!?」
「そうだけど」
――ベッドに腰掛けると、彼女が急に驚く。
そして、自分の目の前で片手の指を折りながら数え、何かを導き出そうとするコルチ。
「いや、あたしと会う1日前にギルドに来たんスよね……3日間、何処にいたんスか」
「あー、だったら9日前に記憶喪失になったんだな。だから2日間だけど、森で過ごしてたよ」
「不安じゃ、ないんスか?」
「全然。……ごめん、コルチ。これ外してくれるか?」
「ほどけましたよ。ワンピースは脱がなくて良いと思います」
「ありがとう」
結び目を解いて貰い、コルチがベッドの奥に横になったのを確認して、目を合わせないように背中を向けて自分も転がる。
「こっち、向いてくれないんスか?」
「向き合って眠るのは少し抵抗があるんだ。尻尾、邪魔か?」
「いや、大丈夫っスよ」
背中越しに残念そうな声が聞こえ、少しだけ申し訳なくなる。正直、どっちを向いて寝るのも抵抗はない。まあ、寝返りをうってまで向き直る事はしないが。
「……」
「……んしょ……」
コルチが居住まいを直すのを肌で感じながら、先程の問答を思い出す。
――不安が無い、なんてのは嘘だ。正直なところ、不安ばかりだ。これからの将来に対する不安も、自分の過去も頼れない。
いくら開き直っていたからといって、自分が不確かなものであることも確かなのだ。
……ただ、これは知り合って数日の少女に相談をするものではない。誰ならいいという話でもない、俺の中で折り合いをつけるべき問題だ。
「……姉御」
「……?」
しばらく横になって、精神的な疲れからまどろみかけた頃。コルチが話しかけてくる。
「……森で記憶喪失になって、この街来てすぐ、冒険者になりに来たんスね」
「……ん。まあ……金稼ぐ……ためにな……」
「そうだったんスか……」
「……ん。……?」
突然、頭に手を置かれる。髪を撫でるように、優しく動かしているような……その手から伝わる温かさが、眠気をより一層強くする。
俺はしばらくそれに身を任せていたが、なんとかふわふわの理性を繋ぎ止めて言葉を発する。
「……。……なに……」
「偉いですね」
「……ん、にゃ……」
最早、言葉にすらなっていない呻きが口から零れる。目は元より閉じていたが、意識も身体もだるくなってきた今はもう開けられそうにない。
「姉御は――――」
そして、彼女が何を言ったのか判らないまま、完全に意識は途切れていた。