45.赤髪
いきなり面識のない相手にお姫様抱っこをされる。一体どんな人間なら、俺の気持ちを正しく理解出来るだろうか。
少女漫画の主人公なら感情を共にして……くれないな。日常的に扉に女を押し付けて壁を叩く世界の住民とは、この手の感覚をシェア出来ると思えない。
少なくとも一般的な記憶喪失の転生者の感性では、突然近付いてきた人に連れ去られるのは恐怖か困惑の二択に限られる。
イケメン無罪、という言葉は間違ってはいないが正解ではないと思う。
確かに、これをイケメンでもない男にやられたら悲鳴を上げて助けを呼ぶのに躊躇はしなかった。
まあ、当の俺は相手がイケメンだから静かに抱かれている訳ではなく、驚きで声が出なかっただけなのだが。
周りの人間は白昼堂々と人攫いをする訳がないと思っているのか、ちらりと見ては何事もないように目を逸らしている。
そして、ようやく止まった誘拐犯は俺を丁寧に足から降ろした。
「誰……?」
街の外れ、人通りの少ない街中。俺はどうにか声を絞り出す。
とにかく今の状況を整理する事が重要だ。現状、何故か名前を知られている青年に通り魔的に誘拐されたという事しか分からない。
幸いなのは向こうに敵意が無さそうな事だろうか。近くには先程人混みで似たようなコートを着ていたはずの面々が辺りを伺っているから、引き続き大声を出す準備はしておくべきかもしれないが。
だが、警戒は明らかに俺達とは違う方向に向けられたものだ。……こちらを警護している、のか?
「……僕は【アルギ】。……ええと、ツクモくん、だっけ」
周りの状況を見ていたが、目の前から青年の声がして意識をそちらに向ける。
あれだけ自信満々に俺をツクモと呼んで来たくせして、今は自信なさげに呼びかけてくる【アルギ】という青年に、気になった事を聞いてみる。
「連れてきてしまってすまない」
「……。アルギ……いや、なんでこんな事したんだ」
当然、知らない名前だ。敬称を付ける余裕もないが、今はそれを改めるよりも重要な事がある。一体、このアルギという青年がどうして俺の名前を知っているのか、だ。
向こうに敵意が無いなら、此方が怯える必要はないが……。
「こちらの勝手な事情だが、目立つ訳にいかなくてね。驚かせてすまなかった」
「それはまあ、いいけど。……なんで、俺の名前を知ってたんだ?」
謝罪の言葉とともに頭を下げられる。本当はあまり良くないけども、仮にあの場に残されても困っていたのは確かだ。
不服があるとすればその運搬方法だが、頭を下げている相手にとやかく言える程はっきりとした嫌悪は示せない。
「似た人と間違えた。名前は……偶然、としか言えないかな」
頭を下げられて、理由も聞いて。普通の人間だったらその凶行を咎めこそすれ、これで納得するしかないだろう。
「……。他人の空似で、名前が一致したとでも?」
「それは僕も驚いてる……とはいえ、本当にそれ以上の理由も無いんだ」
……偶然にしては出来すぎなのではないだろうか。顔も似ていて、名前も一緒の赤の他人が都合良く……?
(でも、目の前のこいつが嘘をつく必要性も無い―――待てよ)
俺がこの世界に飛ばされた方法。推測の内のひとつとして、憑依した可能性を考えていた。具体的には、元々いた『ツクモ』という少女に俺が取り憑いた、という説だ。
根拠が無ければ確かめる術もない、荒唐無稽な話だが―――俺は視界の端でステータスに触れ、とあるスキルの説明を出す。
――――――――――
【複魂.lv1 1/1】
複数の魂を持つ。自身が死亡した時に魂を生命力と魔力に変換し、在るべき形へと戻す。
――――――――――
そのスキルは【複魂】。その説明が指す魂の持ち主とは、俺と元の持ち主……ツクモのものではないだろうか。
「その、アルギの知っているツクモについて、教えてくれないか?」
見た目を間違えるくらいには似ていて名前も同じなら、その推測が正しい可能性は高い。それこそ出来すぎな気もするが。
「……いきなりだね。なんでそんなに知りたいのか、聞いてもいいかな?」
「えーと……俺、記憶喪失なんだ」
表情には出ていないが、アルギは訝みながらこちらに問いかける。
そういう疑問が来るだろうとは予想がついていたので、用意していた答えを返し、更に続ける。
「……名前だけは覚えてたんだが、過去についての記憶がない」
口調も多分違うし、別人だと思われたのはそこに理由があるだろう。だが、性格以外が一致しているなら。
「だから、もしかしたら。アルギが言う『ツクモ』が、俺の可能性がある」
……過去について何か分かるかもしれない。
「……なるほど」
「だから、聞かせてくれないか―――」
―――きゅるるうぅ。
「……。えーと、その、ツクモについて……」
空気を読め、俺の腹の虫……!
自分で意図していない生理現象の発生でまごついていると、目の前の青年が微笑みながら語りかけてくる。
「……。迷惑をかけたお詫びと言ってはなんだけど、お茶でもしながら話さないか?立ち話もなんだしね」
気を使われながら、古典的なナンパの如くお茶へ誘われた俺は、目を逸らしながら相槌を打つ。
こんなセリフを言われるのは生前いた世界でも稀有だろうが、その中でもこのセリフを食欲を理由に断れなかったのは俺くらいかもしれない。