42.急用
日が昇ってしばらく、くらいだろうか。霞みがかり薄ら青い空は、そろそろ本調子になろうとしている。
トラブルさえなければラット退治はすぐ終わるものなのだろう。朝早く、それこそ日の出る前から出発したのだから早くはない筈だ。
これで銅貨10枚か。毎日ラット退治をすれば安全に稼げる気もするが……やめておこう。
レベルが上がる気がしないのもそうだが、ノーガラット退治の依頼の量が減っていたからだ。
多他の冒険者もラット退治は行っている。まあ、ノーガラット退治は毎日そこそこ補充されるだろうし問題ではないのだが、数の少ない依頼は取り合いになる事があるはずだ。
俺は他の冒険者より朝が早く、それこそ依頼の取り合いになるような事は無い。レベルに則した魔物の依頼を行えるメリットは捨てるべきではない。
考え事をしながら、何度も行った事のある、ともすれば住んでいる部屋よりも通っているギルドへ向かうと、俺が声をかけるよりも速く挨拶をされた。
「あ…… おかえりなさい、ツクモさん」
「……ん、おかえり。何か食べる?」
言うまでもなく、声の主は受付嬢2人だ。普段どちらも先に声をかけてくれるので、そのこと自体はよくある事だが……どうも2人とも元気がないように見える。
というか、セフィーは思いっきり机に突っ伏した状態なので、間違いなく元気はない。
「ただいま、スープとパンが欲しいな。……えっと、何かあったのか?」
何かあったか聞かなくても言ってくれそうだったが、先に聞いてみる事にした。すると、顔を上げたセフィーから返事がくる。
「急な話になるけど……ツクモちゃん、明日から3日間くらい、空いてる?」
「空いてる……っていうか、基本予定はないけど」
基本的に依頼を請けるつもりではあるが、用事があるわけではない。とはいえ、急な話に首を傾げているとメランが付け足す。
「ムーブログを届けに【パーズ】に行くのですが、その間のギルドの人手をどうしようかと考えてたんです」
ムーブログを届けに……多分、ビスティラットの時のものか。本部に提出するとか言っていたはずなので、その件で行くという事だろう。
ここまで聞けば、俺の予定を聞いた訳も察しがつく。
「ギルドの手伝いが必要なのか」
「その通りです。流石に1人では手が足りないので……。報酬は出ます、お願いできませんか?」
次の依頼をどうするかまでは決めてないし、仕方ないとはいえ自分の事で迷惑をかけているのだ。
負い目という訳ではないが、ここまで聞いて断る気にはなれない。
「でも、俺に手伝える事ってあるかな?」
流石にメランの代わりが務まると思われてはいないだろうが………だとすれば、何を頼まれるのだろう。
記憶喪失だと言ってあるので、そこまで複雑な事を頼むとは思えないけども。……と、考察を重ねているとセフィーが髪を整えて話し出す。
「食事の配膳とかをお願いしたいの。流石に1人では無理だから」
……なんかもう、ずっと思っていたがギルドというか居酒屋だな。手伝いと聞いて書類整理とかそっちを考えていたが、肉体労働だったか。
取り敢えず、内容はなんとなく想像がついた。居酒屋バイトみたいなものだろう。
今の身体能力なら魔物駆除をしなければ問題なく体力は持つ。1歩間違えれば死ぬような環境よりかは、精神的な負荷もなさそうだ。
それで報酬が出るなら、依頼をこなすよりも待遇もいい。
「コルチもいるから、無理はしなくていいけど」
多分、今日の朝に忙しそうにしていたのはこれが原因だったのだろう。俺は手を胸の前で軽く握りながら返事をする。
「ん、大丈夫だ。明日、いつくらいに来ればいい?」
「本当?助かるわ……そうね、起きたらすぐ来てくれるかしら。まあ、昼過ぎなければ大丈夫よ」
昼過ぎまでに、というのは冒険者が増え始める時間だからだろうけど、朝にもやることはあるからかもしれない。
……やっぱり受付嬢ってブラックな職場なのではないだろうか。冒険者がいない時間も結構あるとはいえ、その時間は事務仕事等をしているだろうし、勤務時間も夜中まで。
挙句の果てには急な出張までさせられる。……将来的な目標に受付嬢だけは入れないでおこう。いや、その気もなかったけど。
わかったと返事をして、俺はメランからラット退治の報酬を受け取りながら朝食を取る事にした。
詳細不明の野菜スープの具を掬い、口に運ぶ。スキルを使えば詳細は分かるだろうが、こういう料理の素材の名前を知っていい事がある気がしない。
というか、名称がわかった所で食べる事には変わりない。ないとは思うが万が一食欲の失せるような名前だったら困るし、使わない方が美味しく食べられる。
(……もにゅ……。……はむ)
いくら朝とはいえ、スープだけでお腹は膨れないので、主食としてついていた丸いパンにもかぶりつく。
中に何も入っていなくても美味しく感じる、ふわふわとした柔らかい中身の食感を楽しむ。
(……もぐ……。……)
ふと、こういう世界では混ぜものがないプレーンなパンは高級……のような、異世界への偏見にも似た知識を思い出す。
(……はむ……んむ……。ごく……)
……まあ、思い出しただけだが。
この世界の文明が発展しているのは知っているし、食に関しても想像はつく。
パンを頬張り、木製の皿に口をつけてスープを啜る。元々ふわふわなパンではあるが、こうすると更に柔くなり、パン由来の甘い風味が口に広がった。
(……ん……ずず……。ふう)
スープとパン、どちらもの最後の一口を同様にして完食し、先程の事を思い出す。
アルバイトか。最初にこのギルド来る前にそういうのをやりたかった。それなら、腕を切り落とされる痛みとかを知らずに済んだはずだけど。
……。いや、当時の服装じゃ無理か。身体を売れる年齢でもないから、街中で乞食のフリでもして拾われ待ちがせいぜいってところだ。
(そういえば……ここの制服ってあれか?)
服装で思い出したが、制服とかを着る必要があるのか聞き忘れていた。いつぞやにセフィーが制服を着せる事を画策していたから、割と高確率でサイズの合う服が用意されてそうだ。
(でもまあ、うん)
声をかけようか迷ったが、やめておく。既に女物の下着とか着けてるし。受付の制服くらい、今更気にする程じゃないか。
自分に言い聞かせるようにしながら、横目で二人の格好を見る。
余計な装飾がついている訳では無いし、制服というのはある程度の機能性を考えた上でデザインされているはずだ。それでもかなり可愛らしく見えるのは、中身がいいからというのもあるだろう。
(というか……)
……こっちがメインの理由なのだが。
正直、あそこまで過酷な職場の人間の頼み事を引き受けて、今更撤回するほど薄情ではない。セフィーがおかしくなった原因だと言われても、納得出来る黒さだ。
(……メランが突然スカートめくったり、変な事を言い出さない事を祈ろう)
セフィーのあれは本人の気質による所が大きそうだから、大丈夫だとは思うが。
俺は「ごちそうさま」と小声で呟き、支払いを済ませて忘れないうちにゲーモの所へ向かった。