39.月夜
分厚い外壁によって円形にくり抜かれた空間。とはいえ平面的に分けられているだけで、そこは月明かりに照らされている。
完全に遮られている訳でもないのに静寂に包まれているのは、元々この辺りが静かなのだろう。
そんな周りから隔絶された場所には、隠れる所も無い。少なくともこの砂の上、いるのは一人だけだ。
「……まあ、ガドルがいないなら使われてないよな」
思い出すように呟き、俺は夜の闇に紛れるように壁際へ座り込んだ。
数日間かつ限られた時間だけの話ではあるが、ガドル以外がここを訓練をする場として利用しているのを見た事がない。おかげで壁にある部屋も静かなのだろうけど。
「一般には解放されてないとか?……入って大丈夫だったのかな」
3本目の串焼きを食べた俺は、食べすぎないよう自制して訓練場へ。外壁にある部屋に帰るつもりだったのだが、眠気がなかった俺は訓練場の中へと来た。
夜が更けているかどうかは星空だけでは分からない。時計があれば時間が判るかもしれないが、この世界にあるのだろうか。
シャワーやら風呂やら、挙句元の世界の言語が通じるこの世界に時計がないとも思えないけど、少なくともギルドでもそれらしい物を見た覚えはない。
わざわざ探していなかっただけなので、よく探せば見つかりそうだが……。今は知る必要も無いので、気にしなくていいだろう。スローライフを望む訳でもないが、時間を知るとそれに縛られてしまう気がする。
とはいえ、そうなると生活リズムは空だけが頼りだ。体内時計が狂わないように気をつける必要がある。
「……なら、早く寝るべきだろうけどな」
誰も見てもいないのに、着ている服を隠すようにローブを羽織り、空を見て少しノスタルジックな気分に浸る。
頭の中に浮かぶのは、今の今まで考えられなかった事。或いは、考えないようにしていた事だ。
――どうして、この世界に転生したんだろう。
星空を見上げて想うような事は、大抵すぐに答えが出るようなものでは無い。例に漏れず、この問いもその答えが出る事は無さそうだ。
俺はなぜこの世界に転生したのか。目を背けていても視界に映り込んでくる問題。
考える余裕は幾らでもあった。今まで戦ってばかりいたが、忙しさが理由で考えていなかった訳ではない。
満足に食事をとれるだけの文明のある街。ギルド登録が済んだ時点で、他人の庇護下とはいえ住む所も保証されている。服も……まあ、ある。
衣食住が揃っていたんだ、暇を作るくらいはいくらでも出来た。
結局、戦っているのは気持ちに余裕が無かった事を誤魔化す一時しのぎでしかなかった。戦っている最中は、良くも悪くも余計な事を考えなくて済む。
ため息をついて、しっぽに気をつけながら仰向け気味ににごろりと寝転がる。
「……理由なんて、ないのかもしれないけど」
別に転生に理由なんてなくても、生きていく事は出来る。現に七日、生きているのだから。
だが、俺には生前の明確な記憶がない。転生したなんて思っているが、本当にそうなのかすら確かめる術がないんだ。
「……」
満腹になって、少し心に余裕ができたから変な事を考えているのかもしれない。
だが、このまま漠然とした不安を抱えて寝ると夢見が悪くなりそうだ。安眠のためにも、少し考えてみることにしよう。
「そもそもここが異世界じゃない――って可能性はないな」
適当すぎる思考に、一息ついて落ち着きを取り戻す。
俺には元の世界の知識が確かにある。そして、俺の記憶にある世界にはこんな耳を自前で生やした人間なんて実在しない。
取り敢えず、俺は本来の自分とは別の身体という事は確か。でかすぎるネズミや角のあるウサギなんて最たる例だ。
「じゃあ、俺は死んでないのか?」
実は生きていたなら、俺は生きたまま別の存在に……それを転生って言うのか。実質死んでいるようなものだ。
「……結局、記憶がないからなあ」
記憶喪失を体良く言い訳として使っているが、実際問題本当に生前の記憶はない。
記憶は、思い出、知識、経験の3つに分けられるんだったか。それぞれ違う分けられ方をしていて、忘れやすさも違う……うろ覚えだが。
こういう知識は頭にあるなら、俺は記憶の全てを忘れている訳ではないという事だ。
そうなると俺にないのは思い出だろう。知識は当然のこと、経験に関しても魔物との戦いで活かされていたはずだ。
身体の動かし方を忘れていたら今頃、レベル1のまま魔物に殺されていたに違いない。
「実は女って事も……いやいや、尚更ないだろ」
精神的な面を考えるなら間違いなく俺は男だ。今更それは揺るがない。
「うーん……」
――――――――――
「……はあ。余計不安になってきたぞ」
ため息をつく。暫く考えたが『ここが異世界』である以上の確信はなかった。
そもそも、まともな情報もない予想は妄想でしかない。仮にどういう経緯でこの世界に来たのか、結論が出たとしても不安を拭いきれるとは思えない。
白いロークラビットの角を折ろうとしていた時間の方が、まだ有意義だった気さえする。
「……そういや、レベルアップしたっけ」
ロークラビットの話でレベルアップした事を思い出した俺は、気分転換にステータスを見る。
――――――――――
名称:ツクモ
性別:♀
Lv:8
種族:亜人(猫)
状態:正常
HP:114/114 MP:140/140
戦闘スキル:
【高速思考.lv2】【雄叫び.lv1】
スキル:
【魅力.lv1】【観察.lv3】【鑑定.lv4】【ステータス閲覧.lv2】【隠密.lv3】【投擲.lv1】【体術.lv3】【鈍器使い.lv2】【自然回復.lv1】【根性.lv1】
特殊スキル:
【複魂.lv1 1/1】【道連れ.lv2】
――――――――――
スキルが増えなかったので、変わり映えしていないステータス。でも、最初に比べればスキルは増えた。
……何度でも言うが、特殊スキルが転生した俺のチートなのだとしたらとんでもなく使い勝手が悪い。
痛み分けのスキルより、パックウルフとの戦いで覚えた【高速思考】の方が余程使っている。復活スキルなんて使ってすらいない。
「……成長も遅いし」
レベルが特段高いわけでもない。8レベル……ようやく、最近戦った魔物達に並んだだけじゃないか。
……弱いな、まあ使い道もないけど。
「……ああ、そうか」
宙に浮いた数字と文章の羅列を見て、自分の感情の正体を確信する。
「俺に足りないのは、目標か」
考えうるチートに比べれば、ゴミのようなステータス。仮にステータス的なチートを持つ転生者がいたなら、俺のステータスを憐れに思う事だろう。
――ぱんっ。
「……って……」
自分に喝を入れるために両頬を叩き、思っていたより痛みを感じて摩る。
「……はぁー。……ははは」
段々笑いが込み上げてくる。
今の俺は見ての通りのステータス。猫の耳だか尻尾が生えてるから何がある訳でもないし、むしろ寝転がる時に邪魔ですらある。
自分が何者だったのかも分からず、中途半端にある知識はここではまるで役に立たない。
――それでも自分を奮い立たせるために、使命感で補っていた。
でも、俺はこの世界において何かを成し遂げられるだろうか。魔王とか、とんでもなく強いモンスターを倒すとか……冗談じゃない、死ぬ。
ましてや、知っている程度の現代知識でチートなんて出来ない。俺の発想1つで変わることがないくらいには、この世界は発展している。
「……あーあ、なんかすっきりした。中二病かよ、俺は」
――自分が何かをしなくてはならないなんて驕りと、どうにもならない程弱い現実との隔たりが、俺の不安の正体だ。
何か凄い能力がある訳でもないのに、思春期じみた使命感を抱いていた。馬鹿馬鹿しい。
俺は、弱い。何度も反芻した癖に、本当にそれを理解してはいなかった。身の丈にあった、それこそしっぽ付きの少女レベルの目標を立てること。
それが、この胸につかえた不安を解消する方法だ。
「本当に馬鹿らしいな、俺は」
言葉にしても割り切れない自分が、自分の弱さを表している気がする。
俺は空に浮かぶ月を薄目で見ながら、もう少しだけ感傷に浸ることにした。




