32.着衣
「お疲れみたいっスね。帰りましょ」
「……ああ」
あの時は高速思考のMPも十分にあったが、時間をかけても思いつく言い訳などたかが知れていた。
『金がないからまた今度に、ほら、装備の支払いとかあるし!』
と、その状況でも頑張って言い訳を考えたものの、ゲーモに『仕立ては無料でいいから買って貰え』とため息混じりに言われてしまい。
手元に金が無い事もアピールしたが、支払いはコルチにして貰う事になり。
返す宛が無い……と言おうとしたが『臨時収入がある』なんて言っていたせいでその逃げ場は無かった。
ゲーモ、コルチ、過去の俺。3人に追い詰められ、あえなく下着を買いに連行された。それが、ギリギリ日が落ちる前の出来事だ。
――俺は今、女物の下着をつけている。
何か大切な物を失った気がする。何か、というか失ったのは男としての尊厳だ。
夜の明かりが今はとても煩わしい。出来れば、俺は【隠密】を使いたいくらいなのだが、コルチに手を引かれている状況では無理なようだ。
元々あまり使用した実感のあるスキルではないが、溶け込む感覚というか、そういうのを感じない。
(……むしろ、下着の感覚が……)
下着は店からそのまま着用して帰った。そういう知識は乏しいのだが、下着って試着して良かったのか……。
正直、この異世界で1番異世界だった気さえする。まあ、中は完全に異世界では無かったが。なんなんだろう、この世界。
【高速思考】まで使って地味そうな下着を探したおかげで、なんとか叫び出さずに済んでいる状態だが……店にあった大きめの下着を思い出す。
あれを付ける事にならなくて本当に良かった。発育が悪い身体に感謝だ。
そこまでするなら何故着るのかと自分の中の羞恥心が叫んでいるが、装備もタダにしてもらって、支払いを任せて……それで着ないというのは2人に失礼だ。
俺にはプライドを優先出来る程の立場も理由もない。とはいえ、少しは気になる事もある。
「あのさ、コルチ」
「ん、どうかしたんスか?」
今、ローブ以外の物を着ているのだが、着ているのはコルチの私物である。
「下着買うだけなら、服は着なくても良かったんじゃないのか……」
俺がローブしか私服が無いと知り、彼女が貸してくれた物だ。
とはいえ、彼女が男性用も服を持っているはずも無い。つまり、今俺は女服を着せられているのだ。
服屋への道中、下着なら見えないからなんて自分に言い聞かせていたのに、これでは無意味だ。
「……はぁ」
だが、コルチは呆れたような表情をしてため息をつく。お前は何を言っているんだ、とでも言いたげだ。
……今回は、何がおかしかったんだ。
服屋で質問した時にも何度か同じ表情を向けられたが、これは俺の言動がいわゆる『女性としての常識』から外れている時の反応だ。
元男の俺にわかるはずもないのだが、身体が女性である以上は指摘はされるだろう。とはいえ言われっぱなしではなく、反論を試みてはいるが――。
「採寸する時、普通は服の上から採寸するんスよ?服はないと……」
「じゃあ、ローブだけでも……」
「仮に下着を着けてても、半裸にローブってそういう目で見られますからね、姉御」
「……。そうだな、すまん」
大半はぐうの音も出ない正論で返されている。
上着として羽織るものなのは知っているので、まともには見られない事は判る。確かに、裸に上着は露出狂でしかないだろう。
よって、裸にローブという格好の正しさを主張するのは無理。なので、今度こそ黙って歩く。
……頭では判っているが、それで代わりに女の格好をしていると考えるともどかしい気分になるが。
「……こんな事ならあの布――」
「例の布だってあたしは服とは認めてないっスから」
「え……!?」
「あれ、本当に服として使って……ましたね。それあげるんで、布を服とか言わないで下さい」
食い気味に返答された……いや、顔に出ていたのだろうか。コルチは俺の様子を見てか、更に続けた。
「でも、服も無いんでしたよね。姉御、服も買います?」
「!?……さ、流石に夜も遅いから」
精神的な死を感じる宣告に身体を強ばらせる俺。確認せずとも、顔に絶望が表れている。
2割くらい、そこまでして貰うのも悪いという気持ちもある。無論、残りの8割は恥ずかしいだけだ。
何より、服を買いに行けばコルチは間違いなく女物を選ぶ。間違ってはいないのだが、それは俺にとっては間違いだ。間違ってはいないのだが。
「……冗談っスよ」
その言葉に心底ほっとした俺を見てか、彼女は苦笑いを浮かべているが……正直、これ以上は精神的に再起不能になりかねない。
(意外と異世界人って服装に関しての意識、高いのな……)
昼間の街並みを見ている時も思っていたが、人混みを構成する殆どの商人や冒険者然としている人ですら結構洒落た格好をしている。時間帯のせいか、際どい格好をしている人も目に入ってきた。
下着みたいな鎧とか、腹とか脚が丸出しの格好を見ると、今の俺の格好が大人しめなのだと感じさせられる。
サイズが少し大きいのはコルチのものだからなのだろう、膝下辺りまでの丈があるスカート一体型の長袖の服。
このドレスが今の俺が着ている物なのだが、女物とはいえ、彼女が持っているのが普通の服で本当に助かった。
というか、あんまりこういう服とかが発展していない世界だと思っていたのだが……柄や余計な飾りが無い以外は、元の世界と遜色ない。
生地もしっかりしている気がするし、魔術付与とかによって汚れまで防止出来るなら元の世界よりも便利なのではないだろうか。
「下も、亜人用があって良かったっス」
「……ああ」
考え事をしていると、コルチが俺の思い出したくない事を更に思い出させてくる。
この下、というのは所謂パンツ。ファッション用語でもなくパンツだ。さっきまで言っていた『上の下着』ではない方である。
俺には尻尾があるため、パンツも特殊な造りになっているようで、普通のものと同じようには履けない。
というか、履くためにコルチに手伝って貰った。貰った、というより自主的に手伝われたんだが、あれで結構精神がやられた気がする。
正直、俺が疲れている理由はこっちの方が大きい。なんというか、履き心地が良いのが逆に俺にとっては辛い。
「ま、採寸はまた今度って話になりましたし。一緒に寝ましょ」
「そうだな……」
正直、ビスティラットと戦うより精神をすり減らした気がする。精神と身体どちらも疲れきっている俺は、すぐに部屋のベッドに横たわった。
(……肉体的にも疲れてて良かった、眠い)
疲れていなければずっと悩んでいたかもしれない。そう思いつつ目を閉じていると、そのまま俺の意識は眠りに落ちていった。