28.脱出
俺は座り込んだまま、左目を瞑りつつビスティラットへと這い寄った。
今回ここに来た目的はラットの素材集め。ただ、ゲーモに言われていたのはノーガラットだ。
(まあ、似たような物だとは思うが……同じラットだし)
兎も角、入口に帰る途中で普通のラットを拾えなかった時のためにこの巨体を持って帰りたい。
取り敢えず空間魔法を大きくイメージすると、巨体を飲み込めるくらいには大きくなる。
自分が入ったらどうなるか気にはなったが、その好奇心は今発散するべきではないだろう。
「……無理か」
空間魔法に押し込もうとしたが頭を入れようとした時点で消え、裂け目へと収納する事は出来なかった。
素材を取るなんて話がある以上、魔物の死体は入るはず。もしかしたら『状態:気絶』が良くないのかもしれない。
……なら、殺ってみよう。
「でも、どうするかな……」
俺は左目を気にしながら殺害計画を立てる。
先程、自分のHPを確認した所『69/102』という風に少し減少していたが、出血(小)とかいうステータス異常が関係しているのは明らかだった。
というか、血が止まらない以上あまり良くない事はステータスを見なくても判る。
余力のある内に帰るべきだ。
「でも、放置は勿体ないよな……あ、そうだ」
俺はおもむろに布を脱ぐ。ぼろぼろではあるが、辛うじて布としての機能は保っているようだった。
その布を地面に敷き、手の届く範囲にある小石や砂をせっせと載せる。そして、それらを包むようにして結ぶ。
「ブラックジャック……だっけ?」
立ち上がり、中に小石や砂を詰めた即席の鈍器を振り回す。ついさっき別の物を似たように使った気がするが、それよりも数段取り回し易く、力も乗る。
振り回したそれを動かないビスティラットの脳天に叩きつけると、頭蓋と石が音を鳴らす。
暫くしてステータスを確認すると、『状態:死亡』というステータス表記がされていた。
「……まあそうだろうよ」
頭が軽く陥没しているラットを見て、若干の罪悪感が生まれてくる。引っかかれた腹いせで何発か当てたとはいえ、思ったより威力が出ていたようだ。
もっと早く作れば良かったという後悔の反面、誤って自分の身体に当たった場合が怖い。
取り敢えず実験台にしてしまったビスティラットの頭を出来るだけ視界から外し、空間魔法へと押し込む。今度は上手く収納出来たようだ。
(そう言えば、空間魔法の容量とか気にしてなかったけど……大丈夫だよな)
まあ、答えが出たとしても意味は無い。俺はブラックジャックも空間魔法にしまい、ローブを着て出口の方向へと足を進めた。
片目だと立体感が掴みづらいとは言うが、動く分には問題ないようだ。
そこそこ走ったとはいえ、道はまだ覚えている。帰りのノーガラットは気がかりだが、レベルも上がった今なら【高速思考】を使うだけのMPがある。
生きて帰るまでがダンジョンだ、なんて偉そうに言える程慣れている訳ではないが……。気を引き締めて行こう。
――――――――――
「確かに、ビスティラットがいたのね?」
「ああ。ステータスを見た」
「うーん……取り敢えず報告してみますね。セフィー、お願い」
「オッケー。さ、ツクモちゃんお顔見せて」
あれから、普通にダンジョンから帰還出来た。不思議な事に帰り道で襲われる事は無く、そもそも魔物と遭遇する事が無かったのだ。
拍子抜けではあったが、無事に帰る事が出来た事に喜びつつ、龍の雫で依頼の報告をしに行った……のだが、ビスティラットと交戦した話をするとカウンターの奥へ通されて、今に至る。
「……何か問題だったのか?」
俺は目の前で俺の顔の左半分に手を置いているセフィーへ訊ねる。
「んー、問題って言えばそうなるかも。……間引き依頼だし、深くまで潜って無かったのよね?」
「一応。初遭遇がビスティラットとノーガラットの群れだった」
俺がカウンターでの話と同様の答えを返すと、彼女は更に話を続ける。
「モンスターの生態が違うと、依頼の内容を変えなきゃいけなくてねー……。今回はツクモちゃんが当事者だったけど、時々こういうのはあるのよね」
「なるほど……」
話を聞いて納得した。確かに『雑魚を期待して行ったら実は強敵だった!』という事がどれだけ危ないかは身をもって知っている。
依頼の仲介所として使われているのであろうギルドも、そういうトラブルには敏感なのだろう。
「民間なら自己責任だけど、今回はギルド主体で管理してるダンジョンだからね。本部に報告しないといけないの」
「そうか……少し申し訳ないな」
「ま、でも被害者は報酬に期待してるくらいでいいのよ。ギルドのミスだから結構色付くわよー……?」
確かに、セフィーの言う通りだ。俺はギルドが少し大変になった所で手伝える事もない。ましてや、被害者から心配されても困るだろう。
「朝のシチューの代金くらいは払えるか?」
「ふふ、10杯払ってもお釣りが来るわよ」
「それは楽しみだ」
俺はすっかり治った左目を瞬かせ、書類を眺めているセフィーを見つめる。
他人を治癒するスキルは、冒険者向きの能力ではないだろうか。まあ、受付で手当てして貰えるのはありがたいけど。
別に男ばかりの職業ではない事は確かなので、昔は冒険者だった可能性もある。受付嬢だから、という割には俗っぽい冒険者事情に通じている気がする。
「なーに、何かまだ質問?」
「あーいや……なんて言うか、意外と真面目なんだなって」
……気にはなるが、流石にそこまで踏み入った話を聞くべきではないだろう。
とはいえ誤魔化すにしても少し失礼だったかもしれない。案の定、セフィーはむっとしてこちらを見てくる。
「ちょっとぉ、それどういう意味ぃ……。私も怪我人に対してふざけないくらいの良識はあるのよ?」
「あだっ」
セフィーに額を小突かれる。
失礼かなと考えてはいたが……冷静に考えると初対面で母を名乗ろうとする人物への反応としては妥当ではないだろうか。
「初めて会ったの時の発言の印象が強いし……冗談だとしてもさ」
「やー、ギルドは可愛い子は歓迎なのよ?」
「そっちじゃない……けど、それだって簡単になれるもんでもないだろ」
「まあ、そうね」
なれても別になりたい訳ではないが、トラブル対応やら冒険者の個人情報の管理やら、色々大変だと思う。昨日今日で察する限り、勤務時間もそこそこにブラックだろう。
セフィーは自前の白髪を左手で横に掻き分け、俺の左目を見ながら呟く。
「……でも、怪我する事して欲しくないのは本気よ」
先程までとは違う憂うような目。纏う雰囲気が、その言葉は茶化しではない事を表している。
聞こえるように言ったのかは判らないが、少しだけ胸につかえるような感情を抱いた。
(……この感情に流されてしまえば、楽、なのかもな)
異世界に来てからというもの、こういった機会は多かった。
優しさの理由は子供であるからだろうが、俺の意識は子供ではない。前世の記憶は曖昧だが、少なくとも知識を溜め込めるだけの年齢は積み重ねていたはずだ。
それを分かった上で善意を享受し、それでも自分が子供だと認めたくないがために甘えていないと主張する。
……齢11の少女の身体は、俺にとっては不自由だ。
(きっと、俺は我儘なだけだ)
子供である事を恵まれていると揶揄している癖に、子供である事を否定する事はしなかった。
ただ一言、実は大人だと暴露を試みる事もしないのは『言っても信じてくれない』という理由だけではないだろう。
「まだ目、痛むの?」
「―――いや、目にゴミが入っただけ。全快してるよ、ありがとう」
セフィーにそう返答しながら、俺は拳を握りしめた。