最終章第5話 彼女の沈黙
二階堂家前――
『歩花は日直で、さっき家を出たけど……』
「……そうですか」
あれから昨夜になってLINEで許しの言葉は貰えたが、彼女が今日日直だなんて話は聞いていない。いつも彼女が朝早く出なければならない日は、前もって伝えてくれるのにだ。
二階堂家の家の前、インターフォン越しに茜と話した後、リーフェルトは溜め息をついた。
(怒ってる……かな。そうだよな)
顔を合わせにくかったが、やはり直接謝るべきだったかと後悔して歩き出す。
学校で休み時間を待ち、すぐに隣のB組へ行けば、「風邪だよ」とそのクラスの男子に言われて耳を疑う。
「……え?」
「風邪で休みだってよ」
休み……!?
ついその男子をまじまじ見つめてしまうが、それ以上の情報など聞き出せるはずもない。
(でも、茜さんは日直だって――)
彼女は母親に嘘までついて、一体どこへ行ったのだろう……?
リーフェルトの疑問も構わず、いつもと変わらぬ学校での平凡な時間が終わっていく。
何事もないモヤモヤとした気持ちはその次の日まで続き、『先生から呼び出され早くに登校した』と言う茜と、『今日も風邪で休みだ』と言うB組の女子生徒の間で、リーフェルトの動揺は更に大きなものへと変化した。
必ず自分のLINEに返信してくれる彼女が、まったく既読さえ付かない状態が続き、二日目の放課後、茜が自分に嘘を話しているのだろうかと思ったリーフェルトが二階堂家に寄りインターフォンを押せば、出てきたのは養母の茜ではなく養父の左一だった。
風邪で休みというのは嘘で、歩花の身になにかあったのかと問えば、話の詳細を求められる。
かいつまんで話せば、一度家の奥に引っ込んで姿を消す左一。彼は少しして、またリーフェルトの前に戻ってくるなり
「……学校に行ったって茜は言ってるが」
「来てません。B組の先生にも確認しました」
少し遅れて夫の後を追ってきた茜と左一は顔を見合わせた。
「まだ連絡はなしか?」
「はい……」
たまたま仕事から戻ってきたばかりだという左一と茜に招かれ、二階堂家に上がらせてもらい茶を頂きながら彼女を三人で待つが、日が暮れる頃になっても帰ってこない。
「GPSにも反応がないままです。……リーフェルト君。なにか、心当たりは?」
茜に尋ねられたリーフェルトだが、気まずさで暫し沈黙する。自分がデートをすっぽかした、ということだけではきっと二人は納得しないだろう。
心当たりとして自分が知ることをすべて話そうとすれば、必ずリリアーヌとのことも話さなければならなくなりそうで、
「ありません……」
つい、嘘で応えてしまった。
陽人や小夜、真優たちに連絡しても彼女を知らないという返信をもらってから彼女を探そうという話が出た頃に、ようやく歩花から茜に、LINEのメッセージが届く。
『ごめん。今夜中には帰ってくる』
茜と、そのメッセージを後ろから覗き込むリーフェルトと左一は怪訝そうに顔を見合わせた。
すぐさま茜はLINEにメッセージを送らず電話をかけたが、
『歩花? 貴方今どこにいるの? ……はい? なんです……。……そるは、学校までサボって、嘘をつかなければならないほど大切なことですか?
……成績のことはどうでも……いいですか? 私もリーフェルト君も左一さんも心配して――ああ、もう』
どうやら一方的に電話を切られたらしい、茜は通じなくなった自分の簡単スマホを置いて頭を抱えた。
「……今夜中には帰ってくるとは言っていますが……あの子は、もう」
「昨日もそんな遅かったか?」
「いえ。昨日は普通にいつも通り帰ってきたので、てっきり学校に行っているものかと」
恋人の養父養母が話している間、リーフェルトも彼女に電話をかけたが、養母と話して間もないというのにマナーにでもされたのか、無視されているのか、コール音だけが耳に響き歩花の声を耳にすることはなかった。
「今ならGPSで場所わかるんじゃねえか?」
「そうですね――」
リーフェルトはハッと茜と左一を振り返る。茜のスマホが電波を受信し、突き止めた歩花の居場所に「は……?」と声を思わず漏らした夫婦に、彼も彼らの目の先を辿った。
平日だというのに、どこからこんなに人が集まるのだろう。とうに日が落ちきっても、そこに集まる人々は皆疲労も感じさせず、キラキラと幸せそうだ。
家族、カップル、男子のグループや女子のグループ。彼らのを走り抜き、すれ違いながらも、リーフェルトは辺りを見渡し遊園地内をさ迷い歩く。
都外の者でも知らぬものはいないと言う、人間界ではどこでも知られる遊園地と言われるだけ大規模だ。
恋人の姿を夜目を利かせて歩いても、それらしい影も見かけない。茜曰く女の声だったため、女子の姿でいるのだろうということだが。
何度も捕まえた肩を間違え、どれくらい歩いたか。花火が暗くなった空に広がり、人間たちが歓声を上げた。
「パレード……?」
ニュースで見たことがある。確かこの遊園地はアトラクションの他に、花火やパレードも見どころだと。
そういえば、一緒に遊園地に行こうと彼女と話したことがあったか。そこまで考えて、歩花が何故ここにいるのかをなんとなく理解した。
(一緒に行こうって話した場所だから、一人でここに……?)
自分が彼女とのデートを忘れたから。兄との関係を優先したから。ずっと寂しい想いをさせたまま、自分を責めず笑って優しい言葉で許してくれた彼女は、一体どんな気持ちでこの遊園地に訪れたのだろう。
(一緒に、パレード見られたらって。僕もそう、本気で思ってたんだって)
伝えなければ。今度こそ。
一人きりでこんなところにいるなんてあまりにも可哀相だと、健気な彼女にどうしようもなく耐えがたい気持ちになって走り出した。
その場から離れていく観客の後を追いかけて、大勢で広いスペースをぐるりと囲み込んでいく様を見、リーフェルトは目を凝らしながら時に足を止め、周りを眺め、また走り出す。
大きな音楽が流れ、見知らぬ小さな女の子が父親に肩車をせがむ声。気が急くリーフェルト。
(待っていて……歩花)
早く見つけ出さなければ。
たった一人でいる小さなあの手をこの手で取って、肩を抱いてあげるのだ。
ずっと彼女が求めていたキスも、今ならできそうだ。いや――絶対に……
自分が大切にすべきもの。自分が大切にしたいもの。すべてが頭の中で決意と共にはっきりとわかってきた。
モヤがかったような憂鬱な頭がクリアになった瞬間、ようやく求めていた後ろ姿を見つけた気がして目を見張る。
去年彼女が好んで着ていた、露出の少ない服。小さな背中が一つ。間違いなかった。
思っていた通り、彼女は一人きりだった。
「歩花……!」
叫んだが、大きな音楽にかき消されて彼女はこちらに気づかない。
その手を取ろうと駆け寄ろうとしたが、リーフェルトの足はすぐにその動きをぴたりと止めてしまう。
握ろうとした左手は、何者かの手によって横から奪われてしまったからだった。
流れる長いブロンドの髪を、後ろに一つに束ねた少年。どう見ても日本人ではないその男子のことは、見覚えがあった。
その名前を思い出すより先に、歩花の空いた右手を大きな手が取る。彼女の右側にいるのは、同じブロンドの中年男性だ。
戸惑ったように歩花は左右にいる男二人を見るが、右の男に何か囁かれ、彼女は前を向いてパレードに集中する。
これがどういう状況なのか、頭で理解できない。歩花は左にいる少年――シュガー・コフィのことを毛嫌いしていた。何故手など繋いで一緒にパレードを見ているのだろう。右の男性のことは、自分はまったく知らないが……
ポケットの中のスマホが震えて、混乱していた頭が少し我に返る。
知らない番号からのそれによく働かない頭で出てみれば、つい手が勝手に出てしまった。
『おい。どうだった』
「あ……っ、左一、さん……?」
『見つかったか』
「えっ……と。シュガー・コフィ君と、一緒で、彼女――」
そこまで言ってから、動いた前の気配にリーフェルトの心臓が凍りついた。
シュガーは手を繋いでいない方の左手をポケットに突っこみ、パレードから目を離して歩花と向き直る。
シュガーを見て不思議そうにしている歩花の左手を右手で彼女の胸もと辺りまで持ち上げると、彼はパレードできらりと反射する指輪を歩花の指に通した。
驚いた顔で自分の指を眺めていた彼女は、シュガーが何かを話し、みるみるうちに笑顔になって自分の薬指にはめられた指輪を大切そうに抱き締めた。
右にいる男は微笑ましい、優しい笑顔で二人の様子を見守っている――そんな、光景に。
『おい。野郎と二人か? おい?』
片耳に当てたスマホから問いかける恋人の養父にも、リーフェルトはしばらく応えられなかった。