最終章第39話 taste of future
幼い頃から溜め込んでいたことは、沢山ある。
家族に愛されている自覚はあった。純粋に家族を尊敬する気持ちもあった。しかし歳を重ね尊敬が強くなればなるほどに、地位をしっかりと獲得している兄弟を見上げるほどに、自分の無能さも小ささもハッキリと見えてくる。
今まで告白して、微笑んで頷いてきた女の子たちに聞いてみたいことがあった。
『たとえ僕が王子じゃなくても、告白を受け入れてくれた?』――と。
だけど聞けるはずもない。王子という響きがどれほど魅力的なのかなんて、わかっている。
何故ならその魅力を一番知っていて、その肩書きに依存し離れられないのは、他でもない自分自身なのだから。
自分が王子だから皆が優しくしてくれる。自分を見る周りの目が冷めてしまうのが怖い。
優しくしてくれる女性たちの中には、自分を自分として見てくれていた者もいたかもしれない。そんな望みを確認できなかった、王子の肩書きにすがる情けなさと、無駄に高いくだらぬプライドと、自意識過剰なまでの他人への疑い。
『自分で自炊をしてるんだ』
『……ご自分で、ですか?』
『最初は失敗が多かったけど、結構上手くなったよ。家事って、案外やってみると楽しいんだ。達成感もあってね』
『そんなことを王子がなさらずとも、メイドを呼び寄せれば早い話でしょう?』
『……そうだね。はは』
カーヤ・メイトランドが家に訪れてきた時。彼女は人間界での様子を話している自分に、小首を傾げふんわりと微笑んでいたのを覚えている。
嗚呼、わからないのだろうな、と思った。カーヤは幼い頃からなんでもできた。リーフェルトとは違う。
だから、できないことをできるようになっていくことが楽しくて、兄弟ができないことができるのが嬉しくて、自分の身の回りのことを自分からやっているリーフェルトの気持ちを普通に理解できないのは仕方のないことではあるが。
『ガーシェル君のお弁当美味しそう! 料理上手くなったね!』
『これ、何入れた? え、マジで。美味いじゃん。その発想はなかったわ。俺も試そ』
『お前自分で弁当作ってんの!?』
『ア……アイロンがけまで……!! 負けた……! 女子として負けたァァ……!!』
小夜、陽人、クラスメイトたちと
『美味しい。今まで食べてきたものより、君のが一番』
フォークを片手に、蕩けそうな笑顔で微笑んだ――
自分の拒絶に、目を見開き時を止めたアゼリア。
微動だにせず固まっている長兄の不自然な様子に、リーフェルトは察して立ち上がる。
すべての扉を開けて閉めて、棺から消えた彼女の姿を探す。
最後に二階堂家のリビングに足を踏み入れると、思っていた通り、そこにいるはずの陽人や左一たちの姿は一人も見当たらない。
リーフェルトはリビングを少しさ迷って暫し考え込んでいたが、やがて思い立ったように顔を上げて二階堂家の冷蔵庫を開けた。
冷蔵庫の中にあるものを手繰り、手早く具材を切った。鍋に投入し、みりん、醤油、砂糖などの調味料を計りもせず、リーフェルトの普段通りに入れていく。
鍋の中身を器に盛って、誰もいないテーブルに静かに置いた。
歩花は言っていた。歩花が夢魔の力で自分に見せているもの、感じさせているもの、すべては幻だと。
痛みもすべて、歩花が送るイメージで成り立っている。それならば。
「肉じゃが――」
和食が得意な歩花に見せるのは恥ずかしくて、作れなかった料理だった。そして歩花の好きな煮物の料理。
「いつか、食べてもらいたくて。ずっと練習してた」
彼女の姿が見えなくても、どこかできっと自分をみていると願って、リーフェルトは話し続ける。
「君が作るものに比べたら味も劣るだろうけど。
不格好で、恥ずかしくて、大したものじゃない。これが、僕の全部」
今まで自分が見せたくなかった、隠してきた欲そのもののように。
リーフェルトは小声で、ミイの名を呼ぶ。歩花には聞こえているかもしれないが、一応なるべく聞き取れないようなヒソヒソとした声にした。
「繋ぎを切って」
<……え?>
「二人きりにしてほしい」
<……それは――>
「彼女と二人きりで話したいんだ。たとえ結果がどうなっても」
ミイは躊躇っていたのか、無言だけをリーフェルトに返していたが、最後にはわかってくれたらしい。
リーフェルトの身体に気だるさがのしかかった。
繋ぎの夢魔がいなくなって、精気が歩花の意識の中で奪われ始めているのだ。
料理の置かれた席に向かい合う椅子を引いて腰を下ろし、背もたれに背を預けて天井を仰ぐリーフェルト。
覚悟ができている頭で今までの人生を記憶でざっと辿り、
「……しんど」
心から漏れた自分の第一声。リーフェルトはすぐに「ああ」と声を上げる。
「君のことじゃないよ。僕自身のこと。自分がやだなーって。いつもだけど」
こんな弱音は、あまり聞かれたくない。相手が自分の世界とは無関係のミイであってもだ。
「本当に、自分がさ。嫌になる。不自由なかったけど、自由もない。周りの目や評価や見栄ばっかり気にして、自分の首を絞めて、どこでもつまらない人生にしてた」
そういうことをすべて気にせず、空を飛べたならどれだけいいだろう。ずっとそう望んでいたから、日本に来たのに。勿体ない。
「……歩花ってさ。死んだらその後ってあると思う? 生まれ直したいってさ。そういうこと?」
相変わらず彼女からの返事はない。相変わらず聞いているのかいないのかさえよくわからない。
じりじりと身体を蝕む疲労感。
「僕はあんまり信じてないけど。……もし、信じてみたら、生まれ直せたりする?」
一方的に話すリーフェルトの腹が、空腹を訴えた。
干からびていくとは、こういう感覚なのか。
「人間でも。ヴァンパイアでも。夢魔でもなんでも。君の意識の中で終われたら、また会える?」
思っていたよりも、奪われるスピードが速い。背もたれに寄りかかっていることさえ辛くなって、前に身を折り、テーブルの上に頬を擦り付ける。
頬骨が、木製のテーブルに当たった。
「今度は、普通の家で生まれようかな。君と、同じ――。で、またどこかで出会って。今度こそ君とやって。今度こそ一緒に、レストランでも開いて。
子供を作って、子供を作る目的じゃなくても沢山やって、子供を育てて、死ぬまで、一緒に、って。思ったら。今に、未練は感じないかもね……」
なんて。格好つけたいけれど。
少し考えて、ふ、と自嘲し、リーフェルトは力なく顎を持ち上げて、自分が作った料理の向こう側に座ってこちらを見ている歩花に力なく笑った。
「嘘。――やっぱり、一回くらいしとけばよかった」
歩花は溜め息を吐いて、頬にかかる横髪をかき揚げた。
「馬鹿なんじゃないの」
「……男だからね」
存分に呆れてくれればいい。存分に馬鹿にしてくれればいい。
自分なんて所詮、この程度の男だ。
「味なんてわからない」と不満を言った彼女に、薄れ行く意識の中で、「また作るよ」とリーフェルトは応えた。




