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最終章第38話 欲と反抗

 転がった一方の眼球が、大槌をその場に投げ捨て、背中を向けて去るマーメイドドレスの花嫁を見つめる。

 嗚呼、待って――潰され動かない身体に宿る心が、歩花を引き留めようと叫ぶ。



 やっと出会えたのに。やっと話すことができると思ったのに、またどこかへ行ってしまう。



 わあ……、と引いたような声が意識に響く。とはいえ、脳さえも潰れているだろうに意識があるというのは、なんとも不思議な感じだとリーフェルトは思った。

 きっとありえないことが身に起こっているのは、ここが意識、夢の中だからだろう。



<だ、大丈夫ですか……? 修復しますね……>



 夢魔のミイだ。きっと、なかなか部屋の中から出てこないので見に来てくれたのだろう。



<ここは意識の中ですから、私がいればどれだけ傷ついても大丈夫です。……でも、一度帰ったほうがよさげですね。

 心が壊されてしまっては、いけませんから>



 「帰る」というミイの言葉に、眼球がぴくりと独りでに微妙に揺れた。

 ここで彼女を見失うわけにはいかない。ここから離れるわけにもいかない。


 リーフェルトは修復し始めている身体が完治するのを待たず、眼球だけを塵化させて歩花を追いかけた。

 彼女の前に周り必死で引き留めるが振り払われ、もとの形に戻った眼球が地に落ちた。


 表情は、無表情だった。涼しげないつものポーカーフェイスに戻っている。

 歩花はリーフェルトの眼球を通りすぎた。



(……なんだよ……)



 潰れた喉が修復しきっていないため、声はまだ出ない。胸の底から、ふつふつとリーフェルトに怒りがこみ上げる。


 時々、そのポーカーフェイスを格好いいと思ったことがある。

 時々、そのポーカーフェイスに何を考えているのだろうと悩まされたことがある。

 だが、こんなにムカついたのは今日が初めてだ。



「少し……」



 思わず発した声が、出た。喉が修復したとわかるなり、リーフェルトは治りきっていない身体でも、衝動に任せるままに声を張った。



「少しくらい、人生間違えたくらいでなんだよ!!」



 どうしてまだわかってくれないのか。ここまで左一や小夜が頑張ってくれたのに。



「君を気にかけてくれた人がいるって、もうわかったじゃないか! 左一さんと木塚さんと過去になにがあったのか僕は知らないけど、二人とも君を想う気持ちがあったから君を助けるためにここに来たんだろ!!

 少しも心を動かされなかったのか!? 愛されてるって、思わなかったのか!?

 どうしてそんな、無表情でいるんだよ!!」



 ドレスに隠れた歩花のヒールの音が止まっても、矢継ぎ早に叫び続けるリーフェルト。



「僕だって、間違ったことばかりしてきたじゃないか!!

 それでも君が諭してくれたから! 君が笑ってくれたから! 間違っても許してくれたから、前を向いていこうって思えたよ!

 僕も、同じことを君に返していきたいから……前を向いてくれよ!! ずっと、傍にいるから!

 ……少し間違えたくらいで、僕は君から離れたりなんかしない!!」




 たっぷりと引きずる裾の下で、コツ、と音を立てて彼女は振り返る。

 駄々をこねる子供を見るような、少し困ったような笑顔を自分に向けている。



「……少しくらい間違えたって。私の間違いは、それくらい小さなことだと思う?」



 静かに歩花は聞いてくる。


 首を少し傾け微笑む彼女は相変わらず美しかったが、目そのものに光はない。

 彼女は、ハッキリと口を開いた。




「私は、生まれてきたこと自体が間違いだった」




 彼女の当然のように吐かれた科白に、リーフェルトの心臓が凍りついた。



「夢魔の血が入っていることで多くの人たちに迷惑をかけた。それでも精一杯、沢山の人たちの役に立てたと思う。償いは、十分できた。

 だから、あとは生まれ直すだけ。今度は、夢魔の血なんて通っていないものになりたい」

「……本気で……」

「こんな身体じゃ、未来が見えない。……次は、普通の女の子の未来を夢見てみたいの」



 歩花は軽い足取りで踊るように再び背を向けて、「今度は小夜みたいな女の子がいいなあ」と鼻歌を歌うように笑った。



「大和撫子らしくって、女の子らしい女の子。

 ……あ。セノがお金を出して、結婚式場にお願いしたらね。余命があと少しってことで同情してくれて、特別にウエディングドレスと式場を撮影のためにちょっとだけ貸してくれたの。

 写真、沢山撮ったから。私が死んだら見てね」



 言い残して消えていった歩花に、身体が修復しきってもリーフェルトは何もできぬまま呆然とたちつくす。




『生まれてきたこと自体が間違いだった』




「……何を、言ってる……?」



 彼女の、彼女自身に向けられた強く残酷な言葉を頭の中で繰り返し、自然と口から溢れ落ちた。



「何を、言ってる? 何を言ってる? 何を言ってる、何を言ってる……何を――!?」



 繰り返す度に何度も何度も否定し、遂に「そんなわけがないだろう!!」と虚空の向こう側に、なにもない空間のさらに向こう側にいる歩花に怒りで叫んだ。

 その瞬間、抗えぬ睡魔に襲われた。



 気がつけば、棺に眠る彼女の顔が目の前にある。

 現実世界に戻されてしまったのかと頭の中で思うより早く、背後から名前を呼ばれて振り返った。




「やっと起きてくれたか。心配したぞ」

「……」




 自分に少し似たブロンドの男が、すらりとした身を折って自分の傍らに膝をつき座っている。長兄のアゼリアだった。


 どうして彼がこんなところにいるのだろうかという疑問をアゼリアに直接聞く前に、彼は自分の肩を叩いてきた。



「歩花はどうした。まだ起きないのか?」

「……それが、まだ――」

「そうか」



 アゼリアは優しく頷いた。



「リーフェルト。お前は、よくやった。やれるだけのことをすべてやっても、結果はついてこない時もある」

「……兄さん」

「これ以上はお前の身体が心配だ。無理をするな」

「しかし」

「リーフェルト。お前の夢はなんだった」



 リーフェルトは口を閉ざし、兄の目を見つめ返す。自分と同じ灰色の瞳は、どこまでもあたたかな光でリーフェルトを映している。




「私の仕事を助けることだと、そう言ってくれたな? 幼い頃から……」

「それは、わかっています」

「頼む。生きて、私たちのもとに戻ってきてほしい。お前も、私にとって大切な弟なのだ」



 リーフェルトの両肩に触れてくる、アゼリアの両手。自分では足元には及ばないと憧れてきた、次期王となる愛すべき兄弟。



「王族としての自覚も、忘れてはならない」




 リーフェルトは、無言で俯いた。




「リーフェルト」

「……王子、として」

「そうだ。そしてそれは、お前がずっと望んでいた道だ」

「……そうですね。僕は王子だから。……王子だから」



 口の中で何度も繰り返す、『王子』という言葉。


 それはリーフェルトの中で、誇りだった。

 同時に、重圧でもあった。

 優越感でもあった。

 鎖でもあった。




「……王子、だから」




 その甘さも。その苦さも。すべて含んだそれは、一言でいえば呪いだった。



「そうだ。だから、戻ってこい。彼女よりもお前に合う素晴らしい女性たちが、いくらでもいる」

「……それも。僕が王子だから?」

「……?」

「王子だから。……素晴らしい女性に会える……王子だから……王子だから――」

「……リーフェルト?」

「うるさいんだよ!! 王子王子王子王子!! いい加減にしろよ!!」




 リーフェルトは兄の両手を肩から振り払い、立ち上がり怒鳴った。




「『あんた』だって男ならわかるだろ!!

 好きな女とやれない王族なんてくそくらえだ!!」










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