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最終章第37話 修羅場

大したことはないですが、グロ描写が入っています。一応書いておきます。

「よお。かける言葉は見つかったか?」



 和室の扉を開いて、リーフェルトたちの前に顔を出したガートルード。

 しかし姿を見せたのは、何故かガートルードだけではなかった。彼の友人のソフィやミイたちの姿もあった。



「ミイたちも、お手伝いさせてください」

「半人前のガーティだけじゃ大変だしな。女心なら、ガーティより自分たちのほうが参考になると思う」

「……あぁん?」

「……ガーティは童貞だから。ミイたちのほうが頼れます」

「っせーな! 童貞ってわざわざ言い直すんじゃねえ!」



 夢魔幼馴染三人で軽い喧嘩をしているのを見て一度小さく笑ってから、リーフェルトはすぐに顔を引き締める。

 『繋ぎ』になる夢魔が増えたところで、一体自分は歩花になにを言えるだろう。

 彼の深刻な顔に気づいたらしいソフィが、近づいて肩を叩いた。



「ガチガチに不安がってたら粋なセリフなんで出てこない。欲望さえあればそれでいい」



 そう言われたが、言葉が上手く纏まらず惑う。惑うも、あれこれ考えている暇はないと、言葉を探しつつ彼女の意識の中へ再び身を投じた。





 一方――二階堂家リビング。窓の外に出て一人きりで煙草をふかしている左一の背に、人影が近づく。

 ハロウィーンは何も言わず、左一の近くに立った。



「……結局、頭も撫でてやれねえまんまだ」



 独り言のように呟いた彼に、普通の男の声で「そうかい」とハロウィーンは相槌を打つ。



「歩花ちゃんは、何か言ってたか」

「出ていけってよ」

「キレてもらえただけでも進歩じゃねえか」

「……」

「十七の女の子だ。反抗期真っ盛りの、健全な反応が返ってきただけでも良しだよ。

 今までがまともじゃなかったってだけだ」



 そう言われて、左一は自分と歩花の関係を省みる。確かにそう言われればそうだ。歩花がああまでに感情を剥き出しに怒ってきたのは、初めてのことだった。



「歩花ちゃんだって根っこはわかってるさ。昔、告白してきた時もな」

「……は?」

「俺のこと好きだって、そう思って“た”ってよ。だけどすぐに、多分『父親代わりが欲しいから、そう思ってただけなんです』って。しかもそれ言ってきたの、あの子が十二の時だぞ?

 そんなあの子に彼氏ができたって聞いたときゃ、俺は家帰って嬉し泣きしてホールケーキ買ったよ。一口食べてから自分が甘いの苦手なのに気づいて、残りは近所のガキたちの胃袋に収まったけどな。

 ただ――」



 ハロウィーンは言葉をそこで一度止め、女装のために赤いルージュの乗った形の良い唇を開いた。



「思春期だからな。理屈じゃねえ。

 それは、大人になった俺たちが一番わかるだろ。頭ではわかっててもな」









 次に訪れた歩花の意識の中は、さっきリーフェルトが訪れたときとは違っていた。


 深海の中ではない。否、海の中にいるように視界はぐらぐらと歪んではいるが、場所そのものは一本道の敷かれた夜の森の中。

 浮力で足が付かないため、ここでも泳ぐしかないようだ。



「歩花」



 声は出せる。呼吸もできる。リーフェルトは彼女の姿を探し続ける。




<だから……小夜ちゃんの王子様のままでいたかったのに……>




 頭の中から、不意に響く声。誰の声かと探る必要などない。聞き慣れたこの意識の主だ。



<人間らしくなりたいって思うほどに、私はサキュバスの血が入ってるんだって思い知らされる。

 陽人にも小夜にも、悪いことをしてしまった……誰かの背中を押そうとすればするほどに……私に依存させてしまった。都合のいい夢を見せて、自分に依存させて、人を堕落させる……私は、結局、そういう悪魔なんだって。

 他の夢魔とは違うって、同族を低俗だと見下して。同じ女の子を、守る対象だと見下して。自分は他とは違う、自分は特別だと思い込む……一番低俗なのは、そんな私だとわかっていたのに>




 涙の滲んだ語尾。リーフェルトは泳ぐことをやめて、水中に歪んだ漆黒の空を仰ぐ。




<ごめんね――小夜ちゃん>




 それきり声は聞こえなくなった。











 結局あれから歩花を見つけ出せず、ガートルードの魔力を使いきって現実にまた舞い戻ることとなってしまった。

 どれだけ言葉を叫んでも、彼女は聞く耳を持ってくれないまま夢の中に引きこもっている。



「どうしましょう……このままでは、ミイたちの魔力も無駄に終わってしまいそうです……」



 やり方を変えなければと悩んだ顔をするミイの科白に、二階堂家で皆が集まり黙りこんで考え始めた。

 が。真優だけが少しも考えもせず、「あれは試したの?」とすぐに口を出した。



「『あれ』?」

「ディープキスに決まってるでしょう?」

「……――」

「なによ。忘れてたの?」



 両腕を組み、大きな溜め息をつく真優。



「リーフェルト君と歩花がこじれたきっかけは、そもそもそれだったじゃない」

「あー。確かにそうだったかもな」



 ガートルードは「っし!」と気合いの入った声を出して、真剣な顔で隣のリーフェルトの肩を叩き、逆の手で親指を立ててリビングの扉の向こうを指した。



「行ってこい」

「……え? 寝ている彼女に、勝手に――」

「尻込みしてる場合かよ! とっとと行け!! 馬鹿!!」



 ガートルードはリーフェルトの首根っこを掴み、リビングのドアを開けて廊下に彼を放り出した。

 突然の流れに尻餅を着きながら少し戸惑ったリーフェルトだったが、彼を追って廊下にやってきたミイに我に帰り、彼女を連れて和室に向かうこととなった。




「……起きる、かな……」

「……やってみましょう。なにもしないよりは、いいです。ずっと」




 短い会話の後、部屋に入る。改めて見てみれば、棺に入った状態を初めて見たときより、歩花は少し痩せたように見える。

 確かに尻込みなどしている暇はないと思い知らされ、気が急いたリーフェルトはミイを一度和室の外へ追いやった。



「……歩花」



 自分を見上げよく赤らめていた頬は、今では嘘のように少し痩けてしまって、青白い。


 このまま放置すればミイラのように干からびてしまう――セノの科白を思い出して、ぞっとした。

 それでも口付けを躊躇うのは、情けなくも、男としての自信のなさだった。




 自分は、果たして歩花を満足させることができるのだろうか――と。




 リーフェルトは、キスの快楽を一度知ってしまった。

 熟練した女の舌使い。自分の心や気持ちの中に巧みに潜り込み、死しても尚、快楽を自分に与えた女としてリリアーヌの存在は強く自分の記憶に刻み込まれてしまっている。それは男という悲しいさがゆえなのだろうかと、実は今でもリーフェルトの心を悩ませている。

 歩花はこの状態になる前に、シュガー・コフィと口付けを交わしている。おそらく、リーフェルトが味わったものと同じ快楽も知っている。経験のない自分が、そんな彼女としたところで……



 そこまで気持ちが落ちかけて、慌ててリーフェルトは思考を振り払った。

 『馬鹿だ』と、自分を罵った。




 そういったキスを、彼女の初めてをシュガーに奪われる前に奪ってやれなかった自分が一番悪い。

 機会ならいくらでもあった。彼女から誘ってくれてもいたのに、拒んだのは自分だった。自分が誘うこともできたのに、しなかった。




 リーフェルトは棺の中の歩花に跪き、血色の悪い歩花の頬に片手を優しく添えてやる。

 温かかった、柔らかかった頬が堅くて冷たくて、悲しかった。



 そっと青くなった唇に、自分の唇を重ねる。

 頬よりも凍えてしまった彼女の唇を、何度も角度を変えて温めた。反応の返らない、死人と口付けをしているようで胸が締め付けられた。




(ごめん……)




 気づけば、リーフェルトは泣いていた。

 ファーストキスをわかちあった初々しかったあの頃の自分たちを思い出し、嗚咽が漏れそうになる。


 あんなに好きだったのに。

 こんなに好きなのに。

 どうしてこんなことになってしまったのかと自問しながら。



 心の中で何度も何度も謝り、舌を優しく絡めた。











 苦しいほどの口付けの途中で、息を吹き返すように目の前がクリアになる。


 ハッと気づいたときには、視界いっぱいに歩花の顔があった。無表情で、こちらを見つめている。



「あ、歩花――」



 よかった。目覚めてくれたのか。本当によかったと心から喜び彼女を抱き締めようと両手を開きかけたが、横殴りの衝撃に、突然のことすぎてそれが激痛だと脳が判断し損なう。


 文字通り、目が飛び出た。一方の眼球が白い床に転がっていくのを、もう一方の眼球が呆然と他人事のように見つめていた。




『イ、マ、サ、ラ――?』




 歩花の唇がゆっくり動いた。




「一体。誰に教えてもらったキスを。私にしたの――?」




 ゆっくりと発せられる科白そのものは子供に向けるように優しかったが、区切るたびに振り下ろされた大槌は容赦なくリーフェルトの身体を打ち付け、骨を砕いていく。




「だから。私が。初めてになりたかったのに。なんなの? ねえ」




 人間よりも遥かに耐久力に優れたリーフェルトの身体が、焼き菓子のように脆く壊れて容易く崩れ落ちた。


 歩花の意識のなかに引き込まれたのだと知るのは、後の話。

 リーフェルトはされるがままに痛め付けられながらも、あの日――リリアーヌにフレンチキスをされたあの後、「浮気は容認していない」と笑っていない目で優しく自分に言った歩花をぼんやりと繰り返し思い出していた。




(……あれ。まるで、虫だ)




 いつの間にか地を這っている自分の手が黒く、棒のようになっている。


 全身が、潰れた。











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