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最終章第36話 『男』の役目

 棺に眠る歩花と、彼女に寄り添い横たわる小夜、左一。彼ら二人の背中に手を当て、繋ぎとしてミリーとマルタが目を閉じ集中している。

 それを静観し、リーフェルトは考える。一体どんな言葉が歩花を目覚めさせるのか。一体どんな言葉を投げてやればいいのだろうか、と。



「リーフェルト」



 襖が開く音に続いて耳に届いた声に、リーフェルトは思考を止めて振り返る。リビングにずっといた陽人が、そこに立っていた。

 リーフェルトは隣に彼が歩いてくるのを察してすぐに、彼から目を外し歩花のほうへ目を戻した。



「……本当に、なにも言うことはない?」

「……あ?」

「歩花に。僕より、君の方が彼女と長い付き合いなのに」



 恋人だった自分よりも、陽人のほうが歩花のことをわかっているはずだ。なのに彼は、こんな時に歩花に言葉をかけないと言う。

 そんな陽人のことを理解できないだけに、リーフェルトは歯がゆい。



「付き合いが長いってだけだけどな」

「……出会ってからずっと一緒にいても、わからない。君たちのことは」



 陽人や歩花たちにはそんなつもりはなくても、誰にも介入できない絆のようなものをたまに見せ付けられる。

 正直いうと、あまりいい気分ではなかった。



「お前が思ってるよりも、俺だってあいつのことはわからない」

「……」

「嘘じゃねえよ。小夜を守るって気持ちだけの繋がりだからな。

 だから、一緒に戦えた。お互いがどんなにヤバい状況でも、一番に小夜を優先する。お互いを異性だと意識しない。それが、相棒の条件だったからな。

 ……その証拠にお前、あいつの隣でちゃんと戦ったことないだろ」



 リーフェルトは顔を上げ、陽人を見た。

 そして、記憶を掘り起こす。……確かに、ヴァンパイアたちと戦ったときも自分は陽人と二人だった。



「自分を庇って怪我させたくなかったんだろ」

「……ああ――」

「お前に悟られないように、歩花はお前と近い距離での共闘をなるべく避けてた。まあ、結局お前怪我したけど。

 死ぬとあいつが決めたなら、俺は歩花になにも言えない」



 「だけど」と、陽人はリーフェルトから目を逸らして横顔を見せた。



「お前になら、今の俺だから言えることがある」



 陽人が何を言おうとしているのか、じっとこちらから見つめても彼はこちらを見なかった。

 少し言葉を止めて沈黙を挟んでから、やや掠れた声で陽人の口は開いた。



「あのちあみって子の黒魔術で、俺はもう、取られちまった」

「……え?」

「だから、好きだって気持ちがお前の中で強く残ってるなら、全部ぶちまけてこいよ。

 俺みたいに後悔する前にな。


 ――俺はもう、なにも思い出せねえから」



 理解がなかなか追い付かず、リーフェルトは何を……?と聞きかけた直前で気付く。


 そして、聞く前に自分で察することができたことを、心から良かったと思った。



 戸惑い、「あ……」と小さな声が喉から漏れたが、そこから出てくる言葉など見つかるはずもない。

 今、自分と目を合わせない陽人。さっき、長年自分の矛として付き合ってきた聖書をあっさりと手放し小夜に託したのは、そういうことだったのかと初めて知る。


 なぜ今まで自分は気付いてやれなかったのだろう。

 陽人が黒魔術に侵された後も、小夜を好きなままである友人のままだと思っていた自分の鈍感さを深く後悔した。



「ごめん――」



 謝るが、「なにがだよ」と、陽人に笑って返された。




 その時目線の端でなにかが動き、リーフェルトと陽人は互いから関心を外してそちらを見た。

 目の先では、左一が身体を起こしていた。



「左一さん……!」



 左一は鍛え上げられた大きな身体を起こして、立ち上がる。

 こちらに視線を集め様子を窺うリーフェルトと陽人二人と一度は目を合わすが、すぐに目を逸らして横を通りすぎる。



「後は頼んだ」



 それだけを、言い残して。


 左一の『繋ぎ』をしていたガートルードの父、マルタも普通の顔をしていて、何を考えているかわからない様子で二人を通りすぎていく。

 二人の大人が後にした和室では、歩花に寄り添い眠っている小夜が身を捩った。






 時は数分前に遡る。

 小夜が歩花の心の内を引き出すため、何度押されても都度立ち上がり、攻撃を続けていたときだった。

 自分の攻撃を容易にすり抜けてきた歩花の攻撃に備えて、小さな唇から血を流しながらも防御魔法を張ろうとした途端、歩花が足を止めた。



「……だから――」

「……?」



 いきなり痛みに堪えるように頭を抱えだした歩花に、小夜が怪訝に思った瞬間だった。




<どうして? なんで褒めてくれないの?>




 歩花の声だ。

 目の前にいる歩花は口を閉ざしているのに、頭に直接響いてくる。




<生きていても褒めてくれない。あんたの願い通りに男として生きても褒めてくれない。人間らしく誰かのために死んでも褒めてくれない。じゃあなんのために私は退魔師になったの。

 消えてほしかったくせに。誰かのために戦って死んだら私を見直して愛してくれると思ったのに。私は、じゃあ、どうしたら愛されるの!?>




 普段の歩花らしくない、金切り声の混ざったヒステリックな少女の叫びだった。




<私は崇高なの! 私はえらいの! あんたとの修行中どれだけしごかれても一度も泣いたりしなかった! 弱音も吐かなかった! あんたが嫌うこと、うざたがること、全部しないように頑張ったのにこれ以上なにが気に入らないの!? なにをすれば正しいの!? 死ぬことさえあんたの気に食わないって、どういうことなの……!!>



「わかったでしょ?」



 自身の叫びを後ろに、頭を抱えながら上目で目の前の歩花は唸るように小夜を睨み上げた。




「……今のは」

<戦ってる場所は別空間でも、同じ精神世界で繋がってる。感情がたかぶりゃあ、現実世界と違ってこういうこともあるだろ>




 呟いた小夜に、ミリーが意識のなかで応えた。修行中……ということは、自分ではなく左一に向けた科白だろうか。

 もしかしたら家族と上手くいっていない時期があったのではとリーフェルトたちと予想したことはあったが、歩花と家族との間に、ああまで溝があったとは思っていなかった。

 いつも涼しげにしていた、幼馴染の裏の顔に小夜の胸が痛くなった。




「……私は、あんたなんて大嫌い。あんたは、私にとって利用するだけの存在だったの」

「……嘘」

「ずっと目障りだったのよ。とっとと出ていきなさいよ!」

「嘘! じゃあ、なんで陽人君は歩花を殴ったの!?」




 聖書の中にある陽人の想いがわざわざ目の前に現れたのは、おそらく小夜を守るためだけではないだろう。




「陽人君は、不必要に人を傷つける子じゃなかった! それは、歩花だって知ってるでしょう!? 今は、少し変わっちゃったけど……だけど、今でも変わってないところもあって、本当に、根元から優しい子だって知ってるでしょう!?

 そんなあの子が歩花を本気で殴った理由は、歩花が一番わかってるんじゃないの……!?」

「うるさい!!」

「私を憎んでいるなら。どうして最初から攻撃してこなかったの!

 どうしてさっき、『殺してやる』って言葉を躊躇ったの!」



 歩花は大きな舌打ちをし、大槌を白い地に叩きつける。地面に大きなヒビが入り、小夜の足の間にまで入ったヒビの間から大蟻の呪いが黒く立ち揺らいだ。



「なんであいつも、あんたも! 余計な世話ばっかり! どうして死なせてくれないんだ!!」



 喚く彼女に、小夜の頭にカッと怒りがこみ上げる。小夜は自分の身体を覆っている聖属を自覚せぬまま、呪いをはね除けつつ衝動のままに走り出す。




『守ってやってくれと頼まれてるから。君のご両親から直々に』

『ぇえっ……嘘! そういうことならイッチと同じ学校に行けばよかったよ! 女子高だし!!』




「なんでなんて、それを一番わかってるのは歩花でしょ――!?」




 小夜を拒絶し、横殴りにしようと振られる歩花の大槌が小夜に触れる前に蒸発した。小夜は聖書を投げ捨てて歩花の男子制服の胸元のシャツを両手で掴み、「本気でわからないの!?」と怒鳴り。




「わからないわけがないでしょう!? わからないなんて言わせない!! 何も話さないなら、死ぬまでここを絶対に離れない!!

 歩花を連れ出すまでは、絶対に出ていってやらないんだから!!」




 小夜の足元に落ちた聖書がまばゆく光る。

 小夜の手元を温かな熱が包み込んだような気がして、目を閉じ声の限り叫んだ彼女がふと顔を上げた先には、長い綺麗な指先が自分の両手に添えられていた。




<歩花>




 美しい指先の主の腕は、歩花の胸から生えていた。まるで歩花と小夜を繋いでいるように。

 歩花を背後から抱き締めるように立っている、髪の長い美しい女性の声は、女性のときの歩花に声がそっくりだ。





 そして、小夜の意識に流れ込んできたのは――





 月夜。傷だらけの、ツインテールの女の子。

 『大丈夫?』と自分を心配して、怪我をした小さな手を伸ばしてくる。その手を……勝手に手が動き、叩き飛ばした。




『歩花ちゃんのせいで、おそってきたんじゃないの!?』


『変なのがおそってきたのは、歩花ちゃんのせいだよ!』


『歩花ちゃんは人間じゃない! ばけものだもん! 背中から変なはねが生えてたの見たよ!!

 だから私に嘘ついて、おそわせたんでしょ!! ばけものの仲間なんでしょ!!』



『こないで! うそつきオバケ!!』





「……あ――」





 小夜の瞳から、涙がみるみるうちに溢れる。


 歩花を見つめる小夜の瞳を受けて、歩花の表情もひどく切なく、歪んだ。




「ああ……――」




 シャツを掴んでいた感覚が薄れ、消えていく。目の前の歩花も消えてしまった。

 すがるものを失って、小夜は膝から崩れ落ちる。両の瞳から涙を溢し、頭を両手で抱えた。



 そんな小夜を、少し離れた場所から少女が見つめる。


 小学生低学年程度の、紫がかった黒髪を赤いヘアゴムでツインテールにした赤いワンピースの少女が、大きな瞳から大粒の涙を溢していた。








『小夜ちゃん。ごめんね。

 いつか、ちゃんと友達になれたらいいなって思ってた。思ってたけど……怖い思いをさせちゃうんだね。歩花は、人間じゃないから』



『だから。今度はちゃんと、小夜ちゃんを守るよ。小夜ちゃんの命も、小夜ちゃんの気持ちも。

 男の子になって。

 歩花は、もうなにものぞまない。




 男の子が女の子を守るのは、当たり前だから』












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