最終章第31話 Catfight
幼馴染でありながら、二人きりでまっすぐこうして見つめ合うのは初めてだと、小夜は歩花と対峙して改めて思う。
それは単純に視覚的な意味もあるが、無論互いの心の内の意味も含まれている。
いつもポーカーフェイスでなにを考えているのかわからない歩花の、ここまで負に彩られた双眸は初めて見た。
「歩花……」
「聖書を受け継いだと同時に、カウンセラーにでも目覚めたの?」
幼い子供がぬいぐるみを引きずっているように、大槌の柄を片手に、歩花は気だるげに言った。
「迷惑なの」
「……わかってる。私の勝手なお節介だって」
「帰って」
「帰らないよ。……私が好きになる人を間違ったたとき。道を見失いそうになったとき間違いそうになったとき。いつも歩花が傍にいてくれたみたいに」
「いらない」
冷たくはねのけられる。
「それでも……」と続けようとして口を開きかけて、しかし小夜はミリーに言われたことを思い出し何も言わず留まる。
人間らしく飾った言葉は無意味。
明確な欲を表に出す。それが夢魔の心を動かすのだと、確かミリーは言っていたか。
自分の欲とは、なんだろう――小夜は改めて考える。
歩花を助けたい。歩花に生きていてほしい。それも小夜の欲だ、偽りはない。
だが、生きる気力を捨てた今の幼馴染にそれを伝えたところで、通じるだろうか。彼女の気持ちを動かすことができるのだろうか。
<不満はねえのか?>
「……?」
<昔から。お前はあいつとの関係に、不満はなかったのかって聞いてんだよ>
意識に割って入るノイズ混じりのミリーの言葉に、考え込む小夜。その時たまたま目に入ったのは、歩花の大槌だ。
『 もう、子供扱いして! 辰弥だって私と同い歳のくせに!』
『よしよし』
『頭撫でるのやめてってば! 彼女も作ったことないくせに、辰弥のほうがよっぽど子供じゃない!』
『……小夜の考える大人の基準は色恋か……小夜のお父さんはさぞ悲しむことだろうな』
『ちょ……そんなんじゃないってば! 誤解を招くような言い方しないでよ!!』
『やっぱりまだまだ子供だな』
小夜は形の良い唇を引き締めた。
不満なら、ある。だが引き金を引けば関係が修復できなくなる可能性もあるだろう。
(だけど……昔のこと、聞いてみなきゃ)
<時間に余裕はねーぞ>
急かすミリーに、小夜は顎を少し引く。
人間の夢の中が夢魔にとっては快適でも、夢魔の夢の中は人間にとって決してそうではない。第三者の夢魔を介さなければ容赦なく生気を奪い取られる。今この状況下でのミリーの魔力は小夜にとっての命綱であり、ミリーの魔力が切れればタイムアップとなり歩花の意識に留まれなくなる。
迷っている暇はない。
「……どうして隠したがるの?」
意を決し、切り出した。
「歩花は、いつもそう。私の気持ちを詳しく知りたがるくせに、自分の気持ちは言わないままはぐらかして。何かに怯えてるみたいに」
「……それは、どっちのハナシ?」
「お互い様でしょ? 『小夜のお父さんが悲しむ』とか大人ぶって立派なこと言っといて、歩花だっていつまでもお父さんに心配かけてばっかりの子供じゃない」
「……あんたに私のなにがわかるの」
チリ、と小夜の頭に一瞬焼けつく言葉と光景。
『私のなにがわかるの!?』
再び甦る記憶の一部。熱を帯びて痛む頭を片手で抑え、奥歯を噛みしめ堪えた。
そして、思う。自分は今までその言葉を何度繰り返し、他人を心配させ傷つけてきたのだろうかと、小夜の胸も痛む。
歩花の視点で金切り声で叫ぶ自分を、彼女はいつもどんな気持ちで見つめていたのだろう。
(わかるよ。歩花がそう言いたい気持ちも……今なら)
「遠慮なんて、しなくていいよ」
聖書を開き、歩花の暗い瞳を透き通った覚悟を秘めた眼で共に受け入れる。
「私、言ったよね。『追い出したかったら自分の手で追い出せばいいじゃない』って。
そうでもしなきゃ、私、死んでもここを動く気ないから……!」
「……はあ……?」
構えた小夜を歩花は鬱陶しげに睨む。
「やる……? 私と? 頭大丈夫?」
無論小夜は、自分が無謀なことをしようとしていることはわかっていた。歩花に勝てるなどと微塵も思ってはいない。
勝てないだろうが、負けられもしない。だってこれは、幼馴染との初めての『喧嘩』なのだから。
歩花が片手をかざし、小夜の視界がぐにゃりと歪む。
小夜は臆することなく、すぐに幻覚を打ち破った。
「ビビってないで、直接来たら?」
挑発する小夜に歩花は忌々しげな顔をして舌打ちするなり駆け出し、自分がかつて守ってきた少女目掛けて大槌を大きく振り上げた。
(お願い――)
力を貸してほしいと小夜が願えば、手の中の聖書が温もりで応える。
きっと、自分の力になってくれるという絶対の信頼と自信が、小夜の気持ちを高揚させていた。
聖書に宿る一つの魂が、歩花を助けるという共通の目的のもと、小夜の魂と完全に同調したが故に。
歩花の大槌が、小夜に当たる前に見えない壁に阻まれて止まる。
「歩花。目を覚まして」
<目を覚ましなさい>
小夜の声に、途中から男の声が重なった。
小夜はそれに気づいてはいなかったが、歩花の耳にはハッキリと届いた。
歩花は信じがたい気持ちで、幼馴染の背後に刹那見えた人影に「なんで」と口のなかで呟いた。
「『私の』お父さんなのに……なんで私の味方じゃないの……なんで……なんで……――」
歩花の胸の中の不満は包み隠されることなく、ぶつぶつと彼女の唇から洩れ出た。
一方、歩花の姿を探していた左一は、ふと前から人の気配を感じて足を止める。
楽しげな少女と、男の笑い声――どこまでも白い空間の果てから、子供に肩車をしている人間のシルエットが現れ、彼らと左一との距離がどんどん近くなる。
「……」
幼い頃の歩花と、彼女を肩車しているのは自分のライバルだった男――今は亡き、歩花の実父である定紀だった。
否、定紀の姿を借りた、その理想を固められた夢の一部は歩花を地上に下ろしてやると、優しい笑顔を顔に浮かべ左一と目を合わせた。




