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最終章第28話 小夜と辰弥

 歩花の目を覚まさせるために必要な説明を大体聞いたミリーとシュガーたちインキュバス二人。だがシュガーは首を捻り微妙な顔になるなり



「……で。そうまでして協力することでなんかメリットでもあんの?」



 まさか歩花救助のためのかなめとなるシュガーがそう言いだすとは予想しなかった小夜が戸惑う。「だってさ」とシュガーは続けた。



「まあ、歩花ちゃんは真優ちゃんの友達だし? 真優ちゃんのお願いならミリーもオッケーだろーけどね」

「はあ?? あの王子からお前のセフレ助けてやっただろうが」



 インキュバスのアミュレット王子護衛の任務のとき、シュガーが歩花に借りがあることを持ち出したガートルードに「そうだよ?」とあっさり認めるシュガー。



「だからベッドインしようとしたんじゃん? でも拒否したのは歩花ちゃんの意思だし。目を覚ましたくないって歩花ちゃんが言ってるのに目を覚まさせることに協力するってさあ。『借りを返す』って言えるワケ? 歩花ちゃんにとったら『余計なお節介』っていうんじゃないの?」

「……そりゃあ」

「僕にも歩花ちゃんにもなーんもメリットなんてないじゃん。『偽善者の自己満足』っていうんだよ、そういうの」

「お前――」

「……どっちが正しいかなんて、今の状況でわかるのか?」



 今にも溜め息を吐き出しそうな声で、横から陽人がガートルードを遮る。



「相棒だった俺にもわからねえよ。……相棒だったからこそ、あいつの望む最期くらいは尊重してやりたいと思ってるし。俺も」

「……そうだね。協力したくない人は、協力しなくていいと僕は思う。だから、ガートルード君に頼むよ」

「長く持つかわかんねぇぞ。俺は半人前だし、成熟した奴らより魔力が持たない」

「なにもできないよりはいいよ。だから、力を貸してほしい――」








 難しい顔をしているガートルードに強い瞳で言ったリーフェルトを見て、シュガーは人知れず気に食わないような顔をしていた。



 ハロウィーンに促され、歩花の救出に行けない者たちは皆和室から出ていった後、シュガーは真優たちが気づかない一瞬、閉じられた和室の襖を肩越しに見やる。無表情だが、それはなんともたとえようのない感情を抱いているかのような表情だった。



「ありがとうな」



 そんな声が聞こえて前を向き直ったシュガーは、自分を見ている陽人と目が合う。

 シュガーは彼の礼が自分に向けられているものだと一拍遅れてから気づき、「はあ?」と怪訝に声を上げた。



「何の礼?」

「俺は、あいつを助けたい気持ちも、このまま死なせてやりたい気持ちも、間違っていないと思う。……あいつのこと考えてくれて、ありがとうな」

「――……」



 シュガーは一度驚きに青い目を丸くしたが、彼の端正な面はすぐに不機嫌なものへと一変してしまう。シュガーと出会ったばかりの頃の陽人ならばその様子にすぐ気付けただろうが、今はそんな心の余裕もないのか、陽人は踵を返して行ってしまった。



「……ムカつく」


 

 わかっている。陽人は長い間歩花を見ていたから、彼女の望む最期をこうもあっさりと受け入れられる。それが男女という粋で無くとも、彼のその余裕が気に入らない。

 自分に関わりのない者が死のうが、それはどうだっていい。




(……惨めな女――)




 あんな安い玩具の指輪で、あんなに嬉しそうにして。恵まれない女だと、今にも哀れだと嘲笑だって零れそうになるのに。綺麗な顔で笑うから。馬鹿にしたくても、その度に頭によぎるあのときの笑顔が脳裏にちらついて笑えなくなってしまう。

 正体が掴めない苛立ちに舌打ちして、少しでも気分を晴らすためシュガーは二階堂家から飛び立った。







 二階堂家リビングの隅で、狐姿の茜がぐったりと伏せている。娘の命の終わりが近いことに、ひどく精神を消耗させていたのだ。

 なにもない方向へ半ば虚ろになった目を向けていた彼女は、ふと異様な臭いを鼻で嗅ぎ取り、ゆっくりその顔を上げた。



「……?」



 それは、知っている香りだった。普通の人間からは出せない特異体質のその甘い匂は、小夜とは異なる。雌の魔を酔わせ引き寄せるその媚薬を発生させているのは――



「って――」



 突如背後から伸びてきた拳が、左一の頭を思いきり殴り付けた。



「決断がおせーよバーカ」

「……どうせ俺一人じゃ行けねーんだろうが!」



 転移魔法で一階の和室から現れたハロウィーンに、殴られた後頭部を抑えながら左一が痛みのせいか声を荒げる。



「だから別種の夢魔を呼び寄せてだな――」

「お前。俺が夢魔じゃねーのに、夢魔の病になんで詳しいと思った?」



 「は……?」と目を丸くする左一。

 周りにいた者たちは、確かにそうだと疑問を抱く。ハロウィーンは魔法使いだ。そのわりに歩花の病気や、歩花の救出方法をスラスラ話していた。



「……お前がジジイだからだろうが」

「専門の医者に聞いたからに決まってる」

「……医者……?」



 怪訝にリビングにいる者たちが首を捻った。











 一方場所は、二階堂家一階和室へ戻る。

 ミリー、ガートルードら夢魔たちを『繋ぎ』に、歩花の意識の中へリーフェルトと共に侵入した小夜は、陽人から譲り受けた聖書を抱きしめ閉じていた瞳を開いて辺りを見渡す。



「……?」



 深い夜の暗闇で、周りがよく見えない。空に月の光も星もないことに気づくなり、冷たい強風に髪がさらされ、慌てて顔を背ける。

 うるさいくらいの音が鼓膜に触れて、それが沢山の葉が擦れ合う音だとすぐにわかる。森の中……だろうか。ハッとして、一緒に来たはずのリーフェルトを思い出し彼の姿を探すが、どこにも見つからない。



<おい。迂闊に動くな>



 臆病な小夜は暗闇の恐怖に駆られるまま歩きだしたが、意識の中に響いた男子の声に顔を上げて足を止める。自分の『繋ぎ』になってくれているミリー・バークスの声だ。



<知ってる奴のテリトリーとはいえ、無防備に探索すんな>

「……でも、歩花の意識の中だって」

<あいつの意識の中ってことは、その意識に入り込んでる俺達の意識も今あいつの支配下にあるってことだ。俺はまだ同種族だから大したダメージはないが、お前はただの人間だろ。油断してりゃ精神的にやられるぞ>

「攻撃してくる、ってこと? 歩花が?」

<本気で死ぬ気だからな。フツーにお前ら邪魔だろ>

「……まさか。たとえそうでも、攻撃なんて――」



 自分を幼い頃から守ってくれた歩花が自分に危害を与えるなどありえない。小夜が少し笑ったとき、硝子を爪で引っ掻いたような不快な甲高い叫び声が彼女の聴覚を突き刺した。

 驚きに身体が跳ね上がり、聖書を抱きしめる力が強くなる。



「っ……」



 腕に鋭い痛みが走った。一体何事かと両腕に目を落とせば、二本の深い傷跡から生暖かな血が滴っている。

 自分の身体を取り巻く深い闇に目を凝らして何が起こっているのか把握しようと自分を攻撃してきたものの正体を知ろうとするが、夜目の対策もしていない小夜の双眸では何も捉えられない。

 そうしているうちにも身体はあちこちから鋭いなにかで刻まれていく。



「いっ……! 痛い、痛い痛い!」



 悲鳴を上げても、誰もなにも応えてくれない。この状況をどこかで見ているであろうミリーの名前を呼んでも、彼の声は頭のなかに響かない。



(た、辰弥……)



 それならばと次に胸のうちで望むのは、いつも自分の傍にいて、放っておいてと言っても放っておいてくれないお節介な幼馴染の少年の顔。そして――




(陽人君――)



 

 誰でもいいから助けてほしい。このままでは死んでしまう――すぐにでも叫びだしたい小夜の気持ちは、もう一人の幼馴染の少年の顔を思い出した瞬間に、頭がクリアになる。

 小夜の命を助けるため悪魔に自分の心を犠牲にしてから、穏やかで優しかった彼は笑わなくなった。見た目は何一つ変わらないのに、話しをするときは疲れ果てた老人のようで、いつも胸を締め付けられた。




(……『助けて』、なんて……)




 叫んで、どうする。助けが来ないのは覚悟の上でここに来たのに。もしかしたら、リーフェルトが声を聞き付けてどうにか来てくれるかもしれないが、また自分を守るために他人が苦しむなど耐えられない。

 自分は知ってしまったのだ。自分が守られる立場に甘えて幸せになるほどに、苦しむ人間がいることを。無知でいることの罪の深さを――



(自分でなんとかしなきゃ……! お願い!!)



 聖書に願った、その時。自分の目前に迫った脅威の影が真っ二つに割れて、消え去った。

 小夜は自分の身体を刻んでいた正体が消えたことにひとまずは安堵したものの、『それ』がいきなり消失したことに戸惑う。今のは、聖書の力なのだろうか。




「大丈夫かい?」




 突如、優しい男の声。顔を上げてその声の主を確認すれば、やや日本人離れした端正な美少年が自分に優しい目を向けて見下ろしている。

 ウェーブがかったプラチナブロンド。派手な外見と柔らかそうな物腰に、かつて自分も他の女子と同じように彼に憧れたことがある。



「星野尾先輩? 何故、ここに……?」

「話は聞いているよ。だから、僕もここに来た」

「……先輩もですか?」



 予想外のことが起こったせいか、頭がよく働かない。ここに星野尾里央がいることに謎を感じても、なんだか細かく考えることがとても面倒に思える。



「君が危険な目に遭ってるんじゃないか、と」

「……私が、ですか? 歩花のために来たわけじゃないんですか?」

「間に合ってよかった。無事で、よかった」



 疑問を投げ掛けても答えてもらえないまま、代わりに抱きしめられた。男子の長くてがっしりした腕に包まれ、小夜の鼓動が跳ね上がる。

 心地の良い温もりにそのまま溺れてしまいそうだったが、それより何故突然こんな真似をするのだろう。慌てて里央を引きはなそうと遠慮がちに彼の二の腕に聖書を持っていない手を添え「あ、の……!」と言葉を発した。



「どうして……!?」

「君が好きだからだよ」

「……あっ……えっ……??」

「怖かっただろう? ……これからは僕がずっと君の傍にいて、君を守るから」



 強く抱きしめられ、里央の肩の上に必然的に顎を乗せるプラチナブロンドの柔らかな毛先が鼻先をくすぐる。

 微かに香る、甘い匂い。里央の腕も身体も、温かい。不安な自分の胸を溶かしてくれる……なんて安心するのだろう。



 だけど、何故だろう……。


(星野尾先輩に抱きしめられるなんて、初めてなのに……)




 なんの匂いだろう。どこかで嗅いだことのある匂いだ。甘さがあってどこか爽やかさのある変わった香り。この匂いを纏った人物が他にいたような気がする。




(だれ、だったかな……どこで……)





『私いつも友達と一緒に登校してるんだけど、今朝全然寝癖が直らなくって。

 待たせるの悪いから先に行っててもらったんだ』

『ああ。だからちょっとハネてるんだ? 後ろ』

『えっ、やだ。直ってない??』

『着いたらワックス貸そうか』

『え、マジで?』

『男用でよければ』

『ワックスありがとー!! でも少し、変わった匂いだね。いい匂い』

『ああ……ひょっとしてあれかな。僕の国にしかない植物。あれの匂いかも――』





 身体を包む温もりのせいで放棄しかけた小夜の思考に、再び血が通った。急激に身体中に情報が行き渡り、小夜は察すると同時に反射的に里央を突き飛ばしていた。




木塚こづかさん……?」

「貴方は、星野尾先輩じゃありません」




 はっきりと、小夜は言い切った。そして、確信していた。

 これは、自分に対する『攻撃』だ。




「木塚さん――」

「ふざけないで」




 しかも、このやり方――あの幼馴染らしい。いくつになっても自分を見下し子供扱いしている態度に腹が立つ。




「とっとと出てきて、歩花!!」




 小夜の腕の中の聖書が輝き、彼女を囲んでいた森も、里央の姿もすべて光に照らされかき消えていく。

 身を取り巻く暗闇が晴れ、目を凝らしたその先には、眼鏡をかけた長身の少年が制服姿でまっすぐ自分を見つめ返していた。








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