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最終章第26話 過ちと空白の過去

「奥様。心苦しいでしょうが、一度、外の空気を吸ってきた方がいいと思われますわ。数日何も口にしていないようですし、せめて水分だけでも――」



 二階堂家一階和室――俯いて何も言わなかったが、茜は少し思案してから狐姿の四つ足で気だるそうに立ち上がる。まるで老いた飼い犬のようにヨタヨタとした足取りで、夫とリーフェルトを残して襖の向こうに姿を消した。

 暫くしてから、眠っている歩花と二階堂左一、リーフェルトのみを残したその場所でハロウィーンは「さて」と素の男の声に切り替え口を開いた。



「リーフェルト王子。ここで、貴方にお話ししたいことがあります」

「……なんでしょう」

「貴方には選択肢があります。二階堂歩花をこのまま眠らせ人間界で天寿を全うさせるか。彼女を起こし、彼女と添い遂げるかの二択です」



 突如、突き付けられたもの。それは間違いなく光ではあったが、まさかそんなものが今この状態で垣間見えると思わなかったリーフェルトの頭の中から思考が吹き飛んだ。



「歩花を……起こす……?」

「……待て。助けられるのか?」



 重い口を開いたのは左一。そんな情報を一言も聞いていなかったらしい彼は、「何故黙っていた?」とハロウィーンに問う。



「お前と二階堂茜、両親二人、人間と半分妖怪の未熟な狐。明らかに娘よりも短命だからな。精神的にも寿命の長さといった面でも、彼女と本当の意味で添い遂げられる存在は限られる。……が――リーフェルト王子。

 貴方はまだ若い。彼女の命がかかっているという責任を一人背負い、この先の人生を決めてしまうことはない」



 左一から再びリーフェルトに転じられたハロウィーンの、彼の髪色と同じオレンジの瞳には真剣さはあったが、何かを強制するような厳しさなど微塵もない。



「貴方が動いたところで、彼女が目覚める可能性は低い。それでも目覚めさせるなら、生半可な気持ちではいけない。ここで彼女を人として死なせてやる選択肢を選んでも、貴方を誰も責めない。

 忘れないでほしいのは、彼女の死は、彼女自身や彼女の環境、色々な要因が複雑に絡み縺れた結果であって、貴方一人のせいではない。……そしてなにより、歩花ちゃん自身がここで死ぬことを望んでいる」



 リーフェルトはハロウィーンと暫し見つめ合った。そして次に、左一を見る。

 左一はリーフェルトの視線を受けて静かに彼から目を逸らした。その逸らした先にあるのは、自分の養女、棺の中に眠る歩花――。



「……俺のせいだな。確かに、俺はお前を責められねえ。

 好きに選んで、好きに生きろ。それでお前を責めるやつがもし現れたら、俺が言ってやる」



 そう言って強い人間の退魔師は静かすぎる目をする。昔の左一も、幼少の頃の歩花もリーフェルトは知らない。彼女が養父母を悪く言ったことなど、恋人だった時も自分は一度も聞いたことがない。歩花は家族との不和など、何も匂わせなかった。おそらくは幼馴染であり元相棒の陽人にさえ。


 誰にも言わなかったのか。誰にも言えなかったのか。自分はどうしてやればよかったのか。今ではすべて過ぎ去ってしまったこと。

 それでも。可能性は低くとも、まだ過ぎてしまった時間を少しでも取り返せるのならば。



「僕は、身勝手な愛し方しかしてあげられませんでした」



 彼女が欲しかったのは、高価な宝石でもアクセサリーでも、高い外食でもなかったのに。しかもその宝石は、リーフェルト自身が自分の手で築き上げた財産で購入したわけではない。『王子』の肩書きに振り回されるのが嫌だったのに、その肩書きに依存し、独り善がりな愛し方しかしてやれなかった。そんなリーフェルトを、それでも彼女は愛してくれた。

 目の前でリーフェルトが他の女と口付けを交わす光景を見ても、歩花は自分が王子としてリリアーヌたちを止めてやりたい気持ちを汲んでくれた。恋人としての自分を抑えて、自分を信じて背中を押してくれた。

 王子という肩書きしか価値のない情けない自分を、リーフェルトが望む方向に沿って変えるために。


 デートをすっぽかして兄弟との関係を優先してしまった自分を許してくれた。その分、自分は歩花になにをしてやっただろう。

 彼女がねだっても、フレンチキスをしてやれなかった。歩花が望むフォローを、今までしてやれていたと思えない。結局なにもしてやれなかった。



「……彼女のことだから。僕たちの背中を押して、自分は立ち止まりながら、僕たちの背中を見守りながら笑顔で死んでいくんだろうなって。このまま死んでも、満足そうに笑うんです。きっと」



 夢魔の精神病を患いながらも魂の限界まで戦い抜き、誇り高く最期を飾りきった歩花にはもう、この世に悔いなどないかもしれない。

 だから、これは自分の我が儘だ。余計なことをしている自覚は十分にある。


 

「それでも。現実よりも夢のほうが幸せだったなんて思いながら死んでほしくない。

 背中を押すとか、押されるとか、そういうのじゃなくって。彼女が進めなくなってしまったなら、僕はその手をとって、一緒に歩いて生きたい。

 そのために今僕は、ここに立っている――その気持ちは変わりません」



 このままこの先に待っている歩花の死が、『このまま生きていても何も手に入らない諦め』から生まれたものなら、そんなものに彼女を渡したくはない。










「小夜?」



 二階、歩花の部屋。なかなか戻ってこない小夜を心配した真優が、歩花の机に何かを広げ見つめているのを見つけ、小夜の後ろからその『何か』を覗きこんだ。

 それはアルバムのようだった。小学生の頃らしき小夜と、陽人、『辰弥』が、緑の多い背景で当時のクラスメートらしき女子男子たちと写っている。これはおそらく、小学校の野外活動かなにかのものだろう。


 しかしふと疑問を感じたのは、その写真と共に目に飛び込んだ見開きのページ。その野外活動以前の写真は、空白だった。



「……?」



 小夜の横から手を伸ばし、前のページを捲る。しかしどれだけ捲っても、最初のページから小学校の野外活動の載ったページまで、写真一枚もない。小学生以前までの写真はまとめて写真は抜き取られ、そのままにされているようだ。



「……今。思い出した」



 ぽつりと呟いた小夜に、真優は彼女の横顔を見る。



「私……一度も名前で呼ばれたことない」

「……え?」

「私が何度も名前を教えても、あの人は私の名前だけ――」



 友人が言っている意味がわからず、真優はただ聞き手に回るのみしかできない。

 続けて小夜は、真優には理解できない言葉を口にした。



「……『今までのツケに、ケリをつけなければならない』」

「……ケリ……って」

「多分、陽人君とのことだけじゃない。……歩花のところに、戻らなきゃ」









 リーフェルトとハロウィーンの話の最中だと気付き、一階に戻ってきた小夜は襖にかけようとした手を止める。

 流石に会話を遮るわけにはいかないと一度立ち去ろうとしたが、耳に入ってきた会話に足を止めて息をひそめる。



「どうやったら、彼女を起こすことができるんですか――……」



 小夜ははっとして留まり、襖の向こうに集中し盗み聞きを続けた。



「先程も申しましたが、このやり方でも可能性は低く……ただの力のない人間では無理ですが、貴方なら――……」



 彼女は暫しなにか考え込んだ後、やがて思い立ったように顔を上げ、早足で二階堂家リビングへ急ぐ。

 庭へ続く厚いガラス越しに、立って暗い夜の外を見つめている陽人に声をかける。



「陽人君」



 こちらを振り返り、少し濁った瞳でぼんやりしている彼と目を合わせ、小夜ははっきりとした口調で「頼みがあるの」と言った。



「陽人君の聖書、私に譲って」









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