最終章第12話 護衛任務4
『リーフェルトか? 少し、簡単な仕事を手伝ってほしい。
勿論、それなりの見返りは用意する』
「……えっ、と――」
『見返りは魔女の女王から賜った、願い事を叶える僕の権利。今から仕事を手伝って貰えるなら、明日の任務が終わり次第君にやろう。
つまり、君が叶えられる願い事の数が二つに増える。手伝うか、手伝わないか。今、選んでくれ』
やることもなく部屋で学業の予習復習をしていたリーフェルトのスマホが突如鳴り出し、今の自分に電話をかけてくるような人物が思い浮かばず発信者を確認してみれば、意表を突かれた。
あの別れの出来事から学校にも来ず、風の噂どころか、音沙汰もなかった元恋人からの電話に戸惑い、躊躇いつつも電話に出ると、自分の耳に入ったのはどこまでも事務的な、早口の声だった。
いきなりのことでどう答えていいか困って、つい「いや……」という声が口から漏れた。
するとそれを拒否と捉えたらしい、歩花は『そうか。わかった』とだけ言って、自分との電話を切った。
「あっ、違っ」
拒否の返事ではないということを知らせようと、慌てて電話をかけるリーフェルト。
多少イラついたような声色で、電話に出るなり『なんだ』と言う歩花の第一声がズキリと胸に堪えた。
『時間がない。人の命がかかってる』
「あ、ああ。ごめん」
もう恋人同士ではないのだと嫌でも思い知らされるトゲトゲしさに落ち込みそうになったが、どうやらそういうことではないらしい。
なるほど。状況はわからないが、格好もなにも構っていられる状況下ではないということだろうか。
『やってくれるんだな?』
「う、うん……やるよ。どこにいけばいいのかな」
『そうか。住所はLINEで送る。
言っておくが、如何なる理由があろうとすっぽかすなよ。これは僕とのデートのように下らないイベントではない。真優の命もかかってる。来なかったら君を殺しに行くからな』
「……ハイ……」
電話越しの威圧感。返答は無論、その一言のみ。
恋人時代いつも女神のように優しかった彼女が、怖い。しかもいまだにデートをすっぽかしたことを根に持っている。
スマホの通話アプリを切り、彼女からのLINEを暫し待ちながらふと思う。
二度、彼女との予定を忘れたことがあったが、一度目は優しく許してくれた。だが今思えば、優しい言葉をくれたLINEの向こう側、彼女はどういった顔をしていたのだろう。と。
あまり助けてくれと言わない人だった。高いものをねだりもしない。
何かをしてほしいと、自分に普段頼むこともなかった歩花。
(ひょっとして、僕が思ってたよりすごく我慢させてたのかな……)
そう改めて考えれば、流れで断る理由もないのでOKしたが、更に手伝わざるをえない気分になる。
LINEのメールを受け取ったスマホを握り直して、リーフェルトは暗くなり始めた空を見上げた。
<……と。デートを二度すっぽかした失敗をちらつかせれば彼は必ず来るだろう。罪滅しのつもりでな。彼は気が弱い>
<お前、悪魔だな……>
<ミリー・バークスにも協力するように頼んでおいた。
最初は渋られたが、あいつも真優を見殺しにできないからな>
<バークスはなんつってOK出したんだ?>
<『てめえ覚えてろよ』と言われが、人の命には替えられない。どんな手でも使うさ>
盗聴器付きの部屋に戻ってから、ガートルードと意識で会話しながら、住所をリーフェルトにLINEで送り終えてスマホをポケットに仕舞う歩花。
<笹永がお前と組んでた理由が今わかった気ィするわ>
<陽人は嘘が下手でまっすぐだからな。ひねくれた僕には見えないことが見えてる>
<成る程な。足りないもんを補い合うってやつだ>
今の黒魔術に汚染されている陽人は、どうかわからないが――という心の内は、歩花は自身の胸だけに留めておいた。
元相棒に、もう仕事で頼るつもりはない。汚染されて以降彼が休職することはもう退魔師の協会に知らせてはいるが、このまま辞職となるだろう。
力は一応使えるが、魔女の女王に浄化してもらうまではかなり危うい状態だった。陽人の母親から少し聞いたが、時になにかの拍子で狂暴性にスイッチが入り、二度ほど父親を病院送りにしたらしい。
元々幼い頃から恵まれた家庭環境ではなかったためか、今までの鬱憤が黒魔術の汚染も手伝って爆発したのだろうか。学校では普段通りを演じているが、汚染が完全に回復したとして、もう戦えまい。
小夜が自分の運命と向き合ったことで戦う理由も既になく、ようやく休むべき時が来たのだ。陽人は今までよく戦った。
<歩花ちゃん>
頭の中に入ってきた他の声に、歩花は顔を上げる。
声の主に、まずいきなり呼び出してしまったことを詫びる。
<私は大丈夫。いつでも動けるから、指示をお願い>
<よし――>
あとはリーフェルトを待つのみ。相槌を打ち、歩花はガートルードとも目を合わせて頷いた。
『私、父さんのことキライなんだよね。
家のこと省みないくせにエラソーで。私が学校いかなくなった途端に、説教しようとしてさ。その説教も、全部ズレてんの。
話なんて全然聞いてくれたことなんてなかったから、当然そうなんのにね』
一方。今までアミュレットたちと騒いでいた部屋とは違う客室にて、割りきった関係の恋人未満の友人が眠る上質なベッドに腰を沈め、シュガーは友人の寝顔を見つめている。
シュガーは夏、自分とミリーがシェアしているマンションで、何度目かの彼女との行為の後、生まれたままの姿で彼女から聞かされた愚痴を思い出していた。
『どうでもいいと仰っているわりに、気になって仕方がないように見えますが……』
回想は、次に数ヵ月前の過去へ飛ぶ。父と使用人たちと行った遊園地。流れで同行した人間の少女の台詞に、『は?』と自分は応えた。
『そんなわけないじゃん。あんなクソ親父。君みたいな可愛い子いなかったら来てないって』
『でもシュガーさんは、私と二人で行こうとは仰いませんでしたよね』
『……えっ……?』
『何故ですか? お金持ちなのに。平凡な女一人を釣るのは、そんなにシュガーさんにとって難しいことだった?』
長椅子に少女と二人で腰掛けている間の他愛ない会話の中。思いがけない指摘に、シュガーは返す言葉を見失う。
少女はシュガーから目を離して前を見、立って何やら話している父親のロシューと、家仕えるジョエル、サリエの三人に目を向ける。
『家族でも、恋人でも、どんな人間関係も、時にチャンスやタイミングを逃せば相手が遠のえていくもの。……シュガーさんのお父さんは、そのタイミングを貴方に見せてくれる。お父さんは、貴方の手を求めてくれているのに』
『……なにそれ。なんか、表現キモくない?』
『逆ですね。――私も、シュガーさんの立場になりたかった』
そして言葉の最後に『妬ましい』と低く言い捨てて、彼女は椅子から立ち上がった。
少女は明るい声でロシューに話しかけて歩み寄り、会話の輪に入っていった。
(この子と僕の共通点は、父親を嫌いきれてない、ってところか……)
意識を現実に戻して、目の前で無防備な寝顔を晒すセックスフレンドの頬に触れる。
人を誘惑し生きる夢魔。寿命が短く、簡単に手玉にとれる人間。生まれもった種族で天地の差があると信じていたのに、結局は似た者同士が傷を嘗めあって慰め合っていただけなのかもしれない、などと考えてしまったのは、ほんの数日前。
「イタイなあ……」
無意識にぼやいてしまった自分に、シュガーは自嘲した。
時刻は十八時――冬の空にもう、陽は見えない。
<アミュレット王子。バークス様、コフィ様、ウェイン様、四人分の御食事ができました>
<軽く運動を済ませてからな>
一人、上質なソファに座りアミュレットは、執事からの意識干渉を流しながら二人いる妾の内の一人の腰を抱き寄せ、濃厚に口づけ合い舌を絡ませ合う。
無防備に両足を床に投げ出しているアミュレットの両脚の間に、もう一人の妾の豊満な肢体が割り込んだ。
明かりのついていない部屋に響く、キスの合間に漏れる淫靡な水音と、女の艶めいた吐息。床に近い場所からは、衣擦れの音から間もなく、ジジジ、というファスナーの音が少しの静寂すら許さない。
命を狙われている状況だろうに。しかも同室に他人がいる状態で何故そんな真似ができるのかと、少し離れた場所で椅子に座っている真優がちらりと軽蔑の眼差しでアミュレットを一瞥する。
真優の傍らには、壁に背中を預けたミリー。別のソファに身体を沈めているエイベル。そしてエイベルが座すソファには、人間の女子二人が誘惑で操られた状態で並んでぼんやりとなにもない場所を見ている。
<――アミュレット王子>
<うるさい。萎える>
<申し訳ございません。しかし、客人が――>
困惑しきった執事に、「はあ……?」という声が不機嫌を隠そうともしないアミュレットの面から漏れ出る。
<お前たちだけで対処しろ。俺様は忙しい>
<いえ、それが……同じ王子同士、挨拶をしたいと、その……しかし、本物かどうかも――>
アミュレットは妾の身体を各々片手で押し離す。
<王子……? どこの……??>
彼は服を直し、怪訝な顔で顔を見合わせる二人の妾に事情も説明せず、部屋を早足で後にした。




