最終章第11話 護衛任務3
半ヴァンパイアの桁外れな怪力で歩花は片腕のみでシュガーの首根っこを掴み、ガートルードの待つ部屋のドアに彼の背中を放る。
雑に背中を扉に打ち付けられ、手加減されていたとはいえ多少は痛かったのか顔をしかめたシュガーだったが、静かな怒りを表情に浮かんだ『辰弥』の歩花に、彼は息を呑んだ。
「……『彼』の考えを知っていて、君はあの女子をここに連れてきたのか?」
「そっ……そんなわけないだろ!! ただ僕たちは、お気に入りの女のコ連れて遊びにこいって……」
「……」
ひきつった顔で自分を見上げているシュガーの表情を、歩花は彼の胸倉を掴み上げたまま、彼の言葉に嘘があるかどうかを見透かそうと眺める。
廊下の騒々しさを聞き付け、シュガーの背中越しにドアが開いて、事情を知らぬガートルードが顔を出した。
「本当になんも聞かされちゃいねーよ」
追ってきたらしいミリーとエイベルが、真優を連れて現れる。
「俺たちは貴重な種持ちだから、早々に帰っても大丈夫だってよ」
「……はっ」
エイベルの科白の向こうにいるアミュレットに対し「外道が」と吐き捨てそうになるのを喉の中で留め、歩花は簡潔にガートルードに先程あった出来事を説明をする。
「そりゃ、今のうちにこっそり家に帰してやるしかねえんじゃねえか」
「そうしたいのは山々だが、僕達二人でそれができるか?
使用人とメイドの数が多すぎるし、僕達も夢魔だからな。同種に幻覚や誘惑は通じない。依頼側に危害を与えるのも厳禁だ」
「……家に近づけないように俺たちが戦う。か……?」
「それができるならな。しかしあの王子を狙う敵の種族や強さがわからない以上、過度な自信は持つべきじゃない。大切なのは、無関係の人間を巻き込まないこと。これも退魔師のルールだから」
「じゃあ、どうしろってんだよ」
渋い顔のガートルードに、歩花は溜め息を吐く。
「……下手に逆らわないほうがいーんじゃないの? あいつ思い通りにならなきゃ、なにするかわかんないし……」
いつも間延びした口調で気楽そうな顔をしているシュガーだが、今回はさすがにどこか緊張しているように見える。貴族であるシュガーでさえ、王子であるアミュレットの怒りに触れることを恐れているのだろう。
とはいえ。王子といえども所詮は異世界の王族だ。人間側のこちら側がハイハイとシュガーたちほどに顔色を窺う必要も義理もこちらにはない。
考え込み始めた親友に、それまで静観していた真優が前に出、歩花の方へ歩み寄る。
「……あんまり、かっこつけすぎないでよね」
女子らしい桃色のハンカチをロングスカートのポケットから出して、アルコールで濡れた歩花の頭と顔を拭う。
「笹永君も貴方もかっこつけだから。まあ、だから二人ともカッコイイんだけど。
でも、無茶しないで。私は、大丈夫だから――」
「……まあ。怪我をしない努力はする」
「お願い。あと、さっきはごめん」
「いい。気にしなくていい」
実は女同士とは知らないものたちから見たら、いい雰囲気としか思えないこの光景。
ちらりとシュガーは横目でミリーを見て、意識を悪友に寄せる。
<……早く手出さなきゃ、二人で童貞処女卒業しちゃうんじゃない?>
余計な節介が男のプライドに障ったのか、ミリーに睨まれたシュガーは素知らぬふりで顔をそらした。
「……で。どうする」
「とりあえず、無関係な者を巻き込まないというルールに沿って、バークス、砂糖、ウェイン、インキュバス三人はもう帰っていい。あとは僕とランフランク二人で話し合う」
話し合うといっても、無論意識でのやり取りだが。待機している部屋の中で盗聴されていることもあるし、そうでなくとも廊下で話し合って計画を聞かれるわけにもいかない。
あえて盗聴されている部屋で、意識干渉で案を練ったほうがいいだろう。
するとそこでエイベルが呆れたように肩を竦めた。
「随分と迂闊だな。――平民のやつら二人が人間を逃がそうとなんか企んでます。なんて俺たちがアミュに言ったらどうなるんだ?」
「君たちが言っても言わなくとも、無関係の人間が盾に取られようものなら助けようとするこちらの気持ちくらい、向こうは察するだろう。
なんなら、アミュレット王子の味方でもしてこちらの妨害でもしてみるか? 僕たちはそれでも構わないが……『あんなこと』があっても、君を大切な教え子だと今でも信じきっている星野尾日奈子先生が、どれだけ君に失望するか期待せざるをえないな」
「……――」
かつて自分のものにしようと誘拐未遂まで起こした、元担任の人間の名を思わぬ人物から聞き、一度黙りこむエイベル。
「……なんだ、お前?」
「まさか。夢魔との戦闘経験のないあのヴァンパイアの双子たちが、なんの前準備もなく君たちに勝てたとでも?」
「……なるほどねー。そういえば、笹永君のパートナーだったもんねー辰弥クン」
不満の色を宿した、ジトッとした眼差しのシュガーの相槌に付き合わず、歩花は更にエイベルに口を開く。
「エイベル・ウェイン。君がいなくなって、星野尾先生はとても落ち込んでいたそうだ。なんなら、星野尾里央から送られたメールをここで君に見せてやってもいい」
「……なんか、汚くね? 僕達も自覚あるけど、辰弥もソートーだよね」
「自覚がないだけ俺たちよりタチ悪いな」
「手段など選んでいられるか。お前たちは帰るなり王子に報告するなり好きにやれ。行くぞランフランク」
こそこそと顔を寄せ合うシュガーとミリーたちの聞こえよがしな非難などに堪える様子もなく、待機していた部屋へ歩花とガートルードは戻る。
二人がドアの向こうへ消えたのを見て、ミリーたち三人の男たちは顔を見合わせた。
<……で。どうすんだ>
<集まるかはわからない。だが他の退魔師に至急連絡して事情を話し、応援を呼ぶしかない。ただし、戦うのは僕とランフランクのみ。人間をこの家から逃す手伝いだけをしてもらう>
一方。盗聴器のしかけられた部屋で、互いに顔を合わさぬまま頭の中のみのコンタクトに入る歩花たち。
<彼の護衛という任務をこなせば問題はない。そうしろとしか聞いてないからな。無論、女性たちを助ける人物の顔も知られないようにすれば問題はない。
勿論、すべての責任は僕が持とう。ランフランクはこの案に無関係という体でいく>
<……あ? カッコつけてんじゃねーよ。つーかもう、ランフランクとか呼ぶのやめろ。ガーティでいい>
<君のご両親は夢魔だからな。実家もあるだろう>
<実家ってもな……とりあえずオウジサマ守りゃいーんだろ?
それでもブツクサ言う王族のいる世界とか、こっちから縁切ってやるよ! 俺たちアクマは大体誘惑と幻覚でどこでも生きていけるしな>
そう言うとガートルードは歩花の頭に手を置き、無造作に、自分の一方の肩に引き寄せる。
やや雑ではあるが、どこか暖かみのある――同性に対しても異性に対しても違和感を感じさせない動作で「あんま肩意地張んな」と歩花に囁いた。
歩花は一度邸宅から出て、人目のない場所を選びスマホを取り出す。
電話をかける先は、二件。少し考えた後に、彼女は一度大きく息を吸い、息を深く吐き出した。
(……私は、強くはない)
陽人のように特別な力を持っているわけではない。ヴァンパイアになる前まで、強靭な身体も持っていなかった。父のようにタフでもなく、才能に恵まれてもいない。
それでも、二階堂歩花がここまで生き残ってこれた理由――それは。
歩花は通話ボタンをタップし、スマホを耳に当てる。
そんな彼女の目には、尖った氷にも似た鋭さと冷たさが宿っている。感情らしい感情を投げ捨てながらも、その瞳には強い覚悟のみに燃えていた。
「リーフェルトか? 少し、簡単な仕事を手伝ってほしい。
勿論、それなりの見返りは用意する――」
目的のためならば、使えるものは使う。
たとえそれが最悪な別れかたをした過去の恋人であろうと。気まずいという感情も、女のプライドも、意地も投げ捨てられる。
どこまでも恥知らずで、どこまでも誇りがなく、どこまでも不様で、どこまでも泥臭く、どこまでも非情で、どこまでも強かな女。
(それが、私なのだから――)




