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最終章第10話 護衛任務2

 戦いに備えて武器の不具合の有無の確認をするガートルードの動きは、いつもよりぎこちないものだった。

 ヴァンパイア戦の時でさえ命のやり取りをする恐怖や緊張よりも心を躍らせた彼が、らしくもなく、なんともたとえようのない微妙な顔をしているのは、隣の部屋から聞こえてくる声のせいに他ならない。



(馬鹿にしてやがるな……)



 今ガートルードと歩花がいるのは、護衛対象のアミュレットたちから二つ離れた小さな部屋だ。なのにわざわざ空き室である隣の部屋で女の一人と誰かがおっ始めやがったのだ。

 男の低い声と女の甘え声が嫌でも耳に入るといったこの状況、どれだけ気まずい上腹立たしいことか。

 ちらりとガートルードが隣を見ると、今日の相棒である彼女は見るからに普段通りのようで少しだけ拍子抜けである。


 ガートルードも無性別とはいえ夢魔である。つまり欲は強い方だと自覚はしている。故に武道に身を置き、精神を鍛え自分を律する。彼自身、そんな自分に誇りさえ感じている。とはいえ完全に欲をすべてどんな状況であれ制御できるかとは話は別であって。



(……つっても――)



 誘っても歩花はなびかないだろう。襲おうものなら、単純な力関係なら半ヴァンパイアの彼女のほうが強いので余計なダメージを任務前に負うことになる。それは避けたい。

 それに、今の歩花は男の姿だ。どちらかというと、男型(男寄りの好み)のガートルードに男を襲う趣味はあまりない。


 基本的に夢魔は男の姿であろうと女の姿であろうと、どちらも本物で、どちらかが仮の姿だということはない。仮の姿というものが確かにあるのは性別を持った、アミュレットやシュガー、ミリー、歩花のような自身で子を成せる夢魔たちだが、彼らたちもたとえ気を失ったとして元の姿に強制的に戻されることはない。

 彼らが元の姿に戻るときは、彼ら自身が自分の意思で戻るか、魔力がすべて尽きたときのみ。つまり女の歩花と致したいならば、彼女が自分の意思で戻るか、魔力をすべて奪い尽くすという二つの手段のみ。

 土下座をしてやらせてくれなどと男のプライドを投げ捨てることはしたくないし、魔力を奪うことも面倒だ。無理矢理などまず趣味じゃない。



(貞操も堅いしな。しかし惚れりゃあ一途だし一生懸命だし家事もできるし。更には守るもののために戦う度胸と気丈さ――イイ女だとは思うんだがな……)



 本来の女の方の顔も可愛いほうだと思うし、プロポーションも抜群なのに、一体リーフェルトはなにが不満だったのだろうと、暗器をチェックしている歩花の『辰弥』のほうの横顔を見ていると、頭のなかに彼女の、『彼の』声が入ってきた。



<真優の意識を通してわかったことだが>

<……?>

<ここには盗聴器がしかけられているらしい。

 隣でメイドと使用人に命令し情交を演じさせ、童貞二人がどんな反応をするか、あの部屋で反応を楽しんでいるようだ>

<……――>



 隣でやってたのは使用人だったのか。しかし、王族貴族平民の隔たりさえなければ、今すぐアミュレット、エイベルらをぶん殴りにいくのに。

 ひきつった頬の下で奥歯を噛み締めながら、口から出かけた舌打ちをなんとかガートルードは飲み込んだ。












 16時過ぎ――近いコンビニのトイレから邸宅に戻ってきた歩花はため息を吐く。


 いやはや。躾の洗脳効果とは、恐ろしい――と。

 


『いいですか、歩花。この人と決めた男性以外に、必要のないときは女の肌を見せるものではありません。また、自分が男の肌を見ることも然り。上半身は仕方ないとはいえ、下半身などもってのほかです』



 などという義母の教養のもと。歩花は男の姿を借りることがあっても、その言葉を守ってきた。つまり、一度も自分の男の姿のときのアレもまったく目にしたこともなければ、触れたことすらない。

 用をたすとき、風呂に入るとき、着替えるときすべて、女に戻ってから済ませてきた。


 両親の家から出た現在。もう子供ではないのだし、いちいち戻るのも面倒なので一人暮らしを始めてから男の身体にもなれておいたほうが色々楽だろうとは思っているのだが、なかなか、自分の身体なのに見る勇気が出ない。

 邸宅にもひょっとした監視カメラや盗聴器などあるかもしれない。ならば、そのまま男子の姿で用を済ませればいい話。頭ではわかっているのに、だ。



(くそ……っ、男の身体がなんだというんだ……男の性器くらい、なんだっていうんだ!!

 たたが身体の一部、一体、なにをビビってるっていうんだサキュバスのくせに――……)



 この仕事が終わって帰ったら絶対、見てやる。

 絶対慣れてやる。いつまでたっても親の縛りから抜け出せないなんてガキ臭いことは言ってられない。


 邸宅の廊下を歩き、ガートルードが待機している部屋へ向かいつつ過去の親の教育に対抗心を燃やしていた歩花だったが、ふと、この場の空気の不自然なほどの静かさに気づき足を止める。

 コンビニに行くときはドアの外まで聞こえるほど賑やかだったのに。



 一体なにをしているのだろう。みんなで外にでも行っているのか。

 友人の真優もいることを考えれば他人事で通りすぎることもできず、中の様子を見てみようかと考えた時、声が聞こえた。

 女子の声だ。凛とした、浮わつきのない声は間違いなく真優のもの。しかもなにか怒っているように聞こえて、歩花はドアノブに手をかけそれを回した。



「真優――」

「一体どういうつもりでそんなことをしたの!?」



 らしくもなく、クールな彼女が声を荒げている。事態はよくわからないが、このままではヤバイとすぐさま歩花は歩き出す。

 真優の怒りの矛先は、ミリーやシュガーたちではなかった。明らかに、インキュバス王子のほうに向いていたからだ。

 静まり返った部屋で、歩花が歩き出すと共に、両隣に座る豊満な身体をした二人のめかけらのしなやかな四本の腕から抜け出し、質のいいソファから立ち上がる王子、アミュレット。


 そして彼が握りしめた拳を真優に振り上げようとしたのを見て塵化し、即座に真優を庇おうとその間に入ろうとようとしたが、ミリーが歩花よりも早く、歩花がやろうとした行為をする。



「悪ぃなアミュ。連れてきた俺の責任だ」

「……随分と女の趣味が悪くなったもんだな。ミリー」

「ああ。そうだな――」



 ミリーの言葉が完全に終わる前に、彼はアミュレットに頬を殴りつけられ、派手によろめいて尻餅をつく。



「ちょっと……」

「真優!!」



 殴られたミリーを見て、アミュレットに対し再び声を上げようとした真優に、ついに大声で怒鳴ったのは歩花。

 初めて聞く『辰弥』の怒鳴り声に、その場をハラハラと静観していたシュガーがびくりと身体を強張らせた。


 他人のために怒ることができるのは、真優の美徳だということは知っている。だが、これ以上は状況を悪化させるのみだ。

 真優は裕福で、それなりに金で多少は解決できる身分ではある。それ故に大胆なことをたまにすることもあるが、今回ばかりは相手を考えなければならない。



<ミリー・バークスが、なんのために自分から殴られたのか考えてやれ>



 意識干渉で友人に軽く諭せば、真優は少しの間をおいて身を折り、床にへたりこんだミリーの身体を助け起こす。

 そんな彼女の前から数歩出て、



「半インキュバスながら、人間側として。本当に申し訳ございませんでした」



 歩花はアミュレットに対し、頭を深く下げた。


 アミュレットは彼女の謝罪を鼻で笑い、テーブルに置いてある飲みかけのグラスの中身を歩花の頭にぶちまける。



 鼻腔をつくアルコールらしい匂いに、これで気が済むのならばと口から安堵の息を、垂れた前髪と横髪の内側で吐こうとした歩花の横を、まさか、通りすぎたアミュレット。



「おい」

「ちょっと。そこらへんにしといたら?」



 馬鹿にしきった笑みを浮かべて身構える真優に声をかけたアミュレットに、シュガーの横でソファの上で両膝を立て、いつからかスマホ画面から顔を上げた姿勢の少女が、その場の空気に耐えきれなくなったのか口を挟んだ。

 シュガーがぎょっとした顔で、自分が連れてきた少女を見た。



「さっきまで楽しかったのにさー、男の暴力とかマジシラケる――」



 シュガーの隣の女子はそれきり言葉を止め、くたりと重くなる瞼に意識を委ねて眠りに落ちる。すかさず麻酔針を飛ばし見知らぬ女子を黙らせた直後、速やかに歩花はアミュレットの前に立った。



「苛立ちが収まらないなら、この身体を殴るなり蹴るなり、好きなだけ発散すればいい。

 幸い、自分は半ヴァンパイアです。自分ならこの場にいる誰より、王子の気を晴らす最高のサンドバッグとしての務めを果たすことができましょう」



 幼少期から鍛え上げられた、打たれ強さへの自信。ヴァンパイアの身体の耐久性ならば、大して軽傷にもなるまい。そう歩花は確信していた。更に相手は、戦闘経験も鍛練もしたことのない、ぬるま湯に浸かりきった貧弱な男子だ。

 なにより、この状態を退魔師として決して看過はできない。してはならない。退魔師の誇りで突き動かされた歩花の双眸は、どこまでも力強く、アミュレットの目をまっすぐ見据えていた。



「……はっ」



 アミュレットは歩花を嘲り、ここでようやくソファに自身の腰を沈める。



「お前は今夜の俺様の大事な盾だからな。これくらいにしておいてやるよ」

「ありがとうございます、王子

 その広いお心に感謝し、ここにいる目障りな人間の女たちを即、帰らせることとしましょう」



 歩花は飲料で汚れた白シャツをそのままに笑顔を浮かべ、自然を装った強引な流れで真優たちを帰宅させる好機へ繋げる。

 冬は日が落ちるのが早い。仕事に無関係の人間を巻き添えにしたくない。この時に帰らせるのがベストと踏んだのだ。


 しかし。アミュレットは口元を歪めて笑い、「それは困る」と言うと



「ここにいる人間たちは俺様の肉の盾だ」

「……は――?」

「万が一、お前らが死んだとき用の、な。……精々、しくじるなよ童貞ども。

 短い生涯で俺様の盾になって命を張れること、誇りに思うがいい」



 彼の身体に肢体を寄せ蛇のように腰をくねらせながら、王子の側室たちは、呆然とアミュレットを見下ろす歩花を見てクスクスと真っ赤なルージュを歪め、妖艶に笑んだ。








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