第四節 死出Ⅰ
……死とはなんだろう?
私は死神だ。一日千人もの人間を殺してきた。なのに、死についてこれっぽっちも知らない。
肉体が死を迎えても、ビフレストに還ってきては転生を繰り返す。
この一連の流れのせいでこの世界では死の自覚が薄い……と言うよりも、死そのものがないように私は思える。
生きて死に、生きて死にを繰り返すこの輪廻転生のサイクルこそが、生きるということなのだろうと思えたからだ。
そういう意味では、私のような死神でも人を殺していないということになる。
でも、人類がやっと死滅していざやるべきことが終わったと思ったら。
次は私が本当に死ぬ番だった。
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「命っていつ死ぬと思いますか?」
イザナミさんの唐突な質問。
それは……考えてみたら答えを簡単に導き出すことのできない質問だった。
ブルーはブルーで俺の答えが気になるのか黙ったままである。しょうがないな……
「肉体的には……身体の機能が停止して魂が抜け出てビフレストに来た時か」
「では、精神的には?」
「……命がずっと転生して続くのだとしたら……死の瞬間は訪れない?」
「そうだと私も考えていました。精神的な死がないのなら、死神としての私がやってきた殺人は大したことのないものだったのだと救いを見出してもいました」
「それは……都合のいい解釈なんじゃないか? だって殺された人達の気持ちはずっと心に残ったままだ。恨みだってあるだろ」
「本当にそうでしょうか? この世界にある他世界への入り口……バースカナルへの通行料として支払うべきものがあるのをご存知ですか?」
「……記憶か」
記憶を失ってしまえば、殺された感情も全て消えていく。人が死んだことで発生した怨嗟はチャラになるってことだろう。
「記憶がなくなれば、今までのその人の中身は完全に消えてしまう。だから容赦なく殺せる。そう思っていたんですが……まあ、結局間違いだったんですけどね」
「人を殺す罪悪感に駆られたのか?」
「それもありますが……重要なのは私だって記憶を失うのは例外ではないということ。そしてそれに気が付かなかったということです」
神も通行料を払うのか。
「命自体はずっと続いていく。でも、記憶は保てない。今までの記憶がなくなるって、それって……死ぬってことじゃないですか。私がなくなるってことじゃないですか」
「じゃあ、今まで転生しなかった理由って……」
「私、死神のくせに死ぬのが怖くなったんですよ……今まで、散々人を殺してきたくせに。いざ私の番になったら、このザマです」
……死の定義は人それぞれだ。
肉体の死をもって死んだとする奴がいる。
例え肉体が死んでも、人々の記憶に残っていれば自分は死んでいないとする奴もいる。
自分らしく生きることができなければそれは例え肉体が生きていても死んでいると思う奴だっている。
医学的にだって死に関して曖昧な部分がある。
例えば脳死。肉体的には生きているが、脳はほとんどが死んでいる。
生きているということが自分の意思表示の有無を意味しているのならば、脳死は死んでいるということになる。
が、これは簡単には死と定義することが難しい。
植物人間の状態ですら、人の意思の形が歪曲化された結果という可能性があり、つまり脳死の人間にだってちゃんと人の意思が残っているというのだ。
とても難しい話だ。でも、大切な話だ。
イザナミさんは、自分の記憶がなくなることが死であると思っている。だったら、それはそれでいいんだろう。
ただ、問題なのがそれをイザナミさん自身が問題視しているように聞こえたことである。
俺にはそれが……死を怖がって生を放棄しているように見えたのだ。
「なあ、ブルー」
「なによオールド」
「周りにいる普通の魂達はさ、転生したら記憶がなくなるって知ってんのかな」
「知ってるわ。ここはアカシックレコード。魂達にとって本当に必要な情報は必ず与えてくれる場所。転生に関することは周知の事実なのよ」
「だったらさ、記憶がなくなることを承知の上で望んで転生する奴がほとんどを占めてるよな。周りをよく見るとさ」
死を恐れて周りを浮遊してる魂は確かにいる。
でも、それは全体のごく一部に過ぎない。
大多数の魂達は次の生を望んで、バースカナルに入っているように見えるのだ。
「記憶を失ってまで次の世界に転生する理由、俺はなんとなく分かるよ。イザナミさんは分かるかい?」
「……何度考えても分かりません。狂気に取り込まれているとしか……」
「別にあいつら、狂ってるわけじゃないと思うぞ」
「じゃあ……じゃあなんなんですか? なんだっていうんですか? 私の方が狂っているとでも言うんで すか。そんな……そんなわけない!」
初めてその声を荒げた。意外であり、妥当であり。
だって、誰もが苦悩する道をイザナミさんは通っている真っ最中なのだから。
でも、彼女は気付いていない。人間という生物が持つ最大の人間らしさを。
「イザナミさんは別に普通さ。周りも普通。おかしい奴なんて誰もいないよ」
「だったらなんで……!」
「じゃあ教えてやる。人間は……開拓したがる生き物なんだ。かつて、イザナミさんとイザナギが日本という国を作ったように。俺達は、まだ見ぬ場所を求め、そこで広がっていくことに充足する生き物なんだ」
「私とイザナギの……国産み」
そうだ。
どうか、気付いてくれ。
あなたの殺してきた人間がどう思ってきたのかを。
人間とはどういう生き物なのかを。
「イザナミさんはさ、どうして国を作ったんだ?」
「それは……ここには何もなくて、退屈で……哀しかったから……」
「だから開拓したんだろ? 俺達だって同じなんだ」
「同じ……?」
「別に生きるために開拓をするわけじゃない。生きるだけだったらその場に留まって基盤を固めればいい。でも、俺達はそれをしなかった。俺達はあえて、過酷な世界へと歩んでいったんだ」
「それは……どうしてでしょうか?」
「何かに挑戦していくこと……それは人間だけが持つ特徴だからだ」
「それが例え、死んだ後に転生するのだと知っていてもですか」
「イザナミさんは思わなかったのか? 生きて死に、生きて死にを繰り返すこの輪廻転生ってやつ自体が生きるってことなんだって」
生きることと死ぬことはセットだ。どうしたって切り離せない。
だから逃げずに受け入れないと、俺達は真の意味で生きていくことが出来ないのだと思う。
死の恐怖を乗り越え、あの母なる大地の上で発展してきた我々なのだから。
「だから、死ぬのは怖くない。命ってやつは死ぬ恐怖さえも止められないんだから」
迷いなくそう宣言した。
死ぬことを恐れているイザナミさんは、劇薬を飲まされたような顔になる。
当然だ。生きることも死ぬことも恐がっている彼女からすれば、苦しみの言葉に違いまい。
それでも俺は言うべきだと思ったのだ。
「きっとここの魂達も、そう思ってるから次の世界に行こうとしてるんじゃないのか?」
「まあ、さっき語った人間はここらの魂の中では少数派なのだけれども。人外の魂の方が多数派なのだわ」
「俺がせっかくいい話してるんだから水を差すなよ」
「人生経験ほとんどなしのベイビーに言われてもね」
「俺には人類全ての経験値があるって言ってたじゃないか」
「あなた固有の経験値はゼロよ。分かったらそんな高尚なこと語ってないでバブバブ言ってればいいのよ」
「こういう時くらいかっこつけさせてくれよ……」
どうも締まらないのであった。
でも、それを見ていたイザナミさんは少しだけ笑っていて。
「あなた達を見ていたら、少し落ち着きました。ありがとう」
「夫婦漫才面白かったか?」
「主従漫才の間違いじゃないかしら?」
「俺とお前の間に雇用契約はないんだぜ?」
「契約書なしで強制的に働かせるのだから当然よ」
「なんてブラック企業やそれ」
俺達がわちゃわちゃやっていると、イザナミさんが先へ歩き出す。
それを俺達がぽかーんと見ていると、彼女が言った。
「さあ、イザナギの所へ行きましょう」
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ブルーの案内で、イザナギがいると思われる場所へ到着した。
そこはバースカナルがある場所で、魂達が入っていく姿を確認できる。けど、神らしき魂はどこにもいなかった。
「……いないな」
「でも、残り香はここから感じられるわ」
「バースカナルの中から感じられるんじゃなくてか?」
「この世界のこの場所でよ」
「言ってることがよく分からないことが分かった」
「あなたの理解力が低いことがよく分かったわ」
「それはよく分からなかったことにしておこう」
「……つまり、神の残り香というのは本当にそのままの意味で残り香という意味なんだと思います」
「そう、ここにはもうイザナギはいないわ」
「じゃあなんで残り香があるんだ?」
「原因はこれね」
バースカナルの入り口近く。そこに、一枚の紙が落ちていた。
互いの存在に干渉できないこの世界で、紙は誰かに拾われることなくずっとここに落ちていたのだろう。所々破れが生じていた。
「イザナギがここにメッセージを残したんだわ」
「へぇ、この世界に紙なんてあるのか」
「ないわよ。これは神の力で作られたエーテル製の手紙よ」
「何故に手紙でメッセージ?」
「色々な理由があるからだろうけど……一番は直接会いたいけど会えない相手のためにってことじゃないかしら」
言いながらブルーはイザナミさんの方を見る。そのイザナミさんは手紙に視線を向けていた。
「……読ませてはもらえませんか」
そう言ったのはイザナミだ。彼女が気になるのも当然だろう。何千年も会うことのなかった者の手紙だ。
複雑な顔でブルーから手紙を受け取るイザナミさん。
「読むの、怖いですね」
「じゃあやめるか?」
「ここまできて意地悪な言い方ですね」
「クズね」
「最低です」
「女って簡単に最低とか言葉使うけど、言われた男は傷付いてんだぜ」
「言われないようにするべきじゃないのかしら」
「じゃあ指南してくれ」
「今のやり取りが指南よ。実体験で学びなさい」
「ブルーは厳しい奴だっちゃ」
なんとなくラ〇ちゃんになってみたが、女性陣は冷たい目で俺を見るばかりなのであった。
「おろ? 拙者をそんな目で見ないでくれでござる」
「優しさで救えるほど、人は甘くないのよ」
「拙者、ただただ悲しいでござる」
「優しさで救えるほど、人は甘くないんですよ」
「拙者、二人が同じことを二度言わなくてもいいと思うナリよ」
「拙者つながりでコ〇ちゃん気取りになるなんて、ブ〇ゴリラにリンチされてしまうといいわ」
「今思ったんだが、ブ〇ゴリラってすげぇ虐められてそうなあだ名なのに、逆にガキ大将キャラですごいよな」
「あれは自分からブ〇ゴリラって呼ばせてるらしいわよ。本名が熊〇薫って女の子みたいな名前で恥ずかしいかららしいわ」
「あいつも色々苦労してんだな」
「藤〇f不〇雄のキャラは深みが違うのよ。あなたとは違ってね」
「結局は悪口に戻るのな」
「無限ループなのよ」
「イザナミみたいで怖いからやめてくれ」
「私を怖がるんですね」
「いや、そっちのイザナミじゃないし」
「だって伏字してないじゃないですか」
そこまでメタに踏み込んでいいものなのだろうかと思ったが、それは口に出すまい……
「話が逸れたけど、手紙は読むのか?」
「読みますよ。人間様と星霊様のおかげで、緊張もほぐれましたから」
「そりゃあよかった」
「偶然にも都合のいい解釈をしてもらってよかったわね」
「これは必然なのだよ」
「エージェントス〇スが四肢爆散した結末を迎えたのも必然ということね」
「言ってることは正解なんだが急に怖いこと言い出すなよ」
「こうして話がまた逸れだすのも必然と」
「お前が意図的に話を逸らすからだろーが」
「ほらほら、あなたのせいで物語が一向に進行しないわよ」
そこまでメタに踏み込んでいいものなのだろうかと思ったが(ry
「ふふ、あなた達が本当に羨ましいです。ここで出会えて、本当によかったと思えるぐらい」
「そう思ってくれるのなら光栄だね」
「光栄なのはこちらの方です。ありがとう」
彼女はそのボロボロになった手紙を、先ほどとは違う穏やかな表情で読み始めた。