第二節 生と死の神
強い光に近付くと、その姿がはっきりと見えた。
腰ほどまで届いている髪に、絶世とも言えるほど整った顔、清廉な仕草。
ブルーとどこか似た雰囲気の女だった。
「よう」
「……?」
「よ!」
「……」
あれ、女に話しかけてみたが反応がないぞ。
瞳を覗いてみると、俺の方を見つめているのが分かった。
その瞳は……同情と悲しみと憐れみ。或いはその両方が詰まったような瞳だった。
「言葉、通じてるか?」
「……通じてます。ただ、驚いたんです。ビフレストで話しかけてくる人なんて、ここに来てから数千年ぶりだったものですから」
言葉が返ってきた。反応も悪くない。会話が出来る。
ただ、それだけで嬉しかった。
「ああ、よかった。言葉が通じて。たまたまお前が見えたから、話しかけてみたんだ。俺はオールド。隣にいるのが……」
「ブルーよ。あなた達神霊の上位格にあたる星霊なのだわ。以後、敬うように」
「星霊……あなたがここにいらっしゃるということは、星が寿命を迎えられたのですか?」
「違うわ。ただ、目的があってここにいるだけよ」
「そうですか。星霊様のお考えになることは、私の思考の足元にも及ばないのでしょうね」
なんかブルーの奴敬われてるな。本人ドヤ顔だし。
「おいおい、こいつにそこまでかしこまる必要ないと思うぞ」
「人間様は、星霊様のお知り合いで?」
「俺は……」
「私の下僕よ」
「違う。俺が神だ」
「それは違いますね。まだ下僕の方が信じられます」
「そんなバカな……」
以外にも辛辣な言葉を吐かれる神様であった。
いや、とっさに嘘を吐いた俺も俺なのだが。
「だって、神の証である力が感じられませんもの」
「……ああ、そういうことね。だから下僕の方がまだ信じられるってことか」
「ふふ、誤解しましたか?」
「わざとかよ」
そこでニコッと笑ってウィンクを繰り出してくる神様。
女のお茶目は、許すのが男である……by黒足のサ〇ジパイセン。
「ええと、申し遅れました。私、イザナミという名前で地球では通っていました。よろしくお願いしますね」
「イザナミ……日本神話の神様か」
「はい。日本人ならみなさん知っていると思いますよ」
そりゃあそうだろう。なにせ日本を創った神の一柱だからだ。
イザナミは、イザナギという男神の妹であり、日本を文字通り一から創り、そして兄妹で結婚したという神様だ。つまり、国産みの神様であり、神様の中でももっともお偉いさんの一人なのである。
「イザナミさんを知らない人なんて日本人の中にいないんじゃないのか?」
「最近はナ〇トの瞳術で有名だったかしら」
「コミックでの知名度貢献は計り知れんよな」
コミックの偉大さときたらよぉ……
「あ、でもイザナミさんはコミックとか知ってるのか?」
「もちろん知っていますよ。イザナミと言ったら、ナ〇トで無限ループを作るアレでしょう? 私、ビフレストから地球を覗ける力を持っているので、詳しいんです。一応ナ〇トのファンなんですよ」
「マジか……」
「割とマジです」
「ま、地球の神々が姿を消してビフレストに渡ったのは人類が滅んでからだし、元々現代知識に疎いわけではないのよ」
「すごいな……まさか国産みの神様とナ〇トの話が出来るとは……」
本当にコミック様様である。
「てか地球の神様達ってみんなビフレストに行っちゃったんだな」
「ええ、私の仲間達もみんな他の世界へと転生してしまいました」
「なんでこっちの世界に来たんだ? 人類が滅んだら、神様も滅ぶのか?」
「そうよ。神霊は人の想念と信仰で成り立つ存在。ということは、人がいなければいずれ消滅してしまうということでもある」
「そうですね。だから、本当に消えてしまう前に、ビフレストへと渡って他の世界に転生するんです」
「他の生物にか?」
「いえ、私達は神なので星に転生します。神霊は一回転生すると星霊の仲間入りを果たすんですよ」
「なんか、通信交換で進化するポ〇モンみたいだな」
「不憫な例えね」
「うるせ」
そこまで話すと、イザナミさんはふふっと少しだけ笑った。
しかし、その瞳の色はまだ悲しみを帯びているようで。
「どうした、イザナミさん」
「いえ、仲がよろしいんだなぁと思いまして。うらやましかっただけです」
「……そういえば、イザナミさんの旦那さんってどこにいるんだ?」
「……いないんです」
「いない?」
「私がビフレストに来てから、一回も会っていませんから」
「え……なんでだよ」
「だって、イザナギとはだいぶ昔にお別れをしてますもの」
そこで俺は思い出した。イザナミの日本神話を。
イザナミは国を生んだ後様々な神を生んだが、その最後に火の神カグツチを生んだ。それは火の神であったため、イザナミは体に火傷を負って死んでしまった。
夫であるイザナギは死んだイザナミを追って黄泉の国へと来たのだが、そこで見たイザナミの姿は腐った姿で、恐れを抱いたイザナギは逃げ出してしまったのだ。その態度に怒りを覚えたイザナミは、夫との離婚を宣言したという。
「……悪かったな、変なこと聞いて」
「いいんですよ。私の名前は知っていても神話自体を知らない人って結構多いですから」
「神話じゃあ、イザナミさんが死んだ後、そのまま黄泉の国の神になったって話だけど?」
「んー黄泉の国というのはこのビフレストのことですが、黄泉の国の神になったわけではないですね。厳密には、黄泉の国にいる神というべきでしょう」
「へぇ……」
本当は、まだ聞きたいことがあった。
イザナミさんの神話が本当ならば、彼女は……
「で、以来ずっとこの世界にいるのか?」
「もう長いこといますね。もう何千年もここにいるんです。詳しい年数は忘れてしまいましたが」
俺だったら気が狂いかねない年月だな。
犬と人間の感じられる一生の時間が違うように、神の認識する時間と人間の認識する時間は違うってことなんだろうか? うーむ、よく分からん。
「暇じゃないのか?」
「十数年前まではやることがあったんですけどね。無事にそれも終わって今は暇ですよ」
「転生、しないのか?」
そういうと、ピシッと空気が張り詰めたような気がした。多分今、地雷を踏んだな。それでもあえて、地雷を踏み抜くことにした。
「転生は……まだやめておきます」
「もうこの世界にいてもやるべきことがないんだろ?」
「やるべきことがないと確かに苦痛ですが、やるべきことをしていた頃の方が苦痛だったんです」
「……人殺しのことか?」
「やっぱり知っていましたか」
「地球の歴史について、全て知っていると思った方がいいわよ、こいつは」
ブルーが注釈を入れてくる。
知ってるというかなんというか……正しくは、膨大な情報が詰まってるインターネットに検索をかけて、情報を引っ張ってくる感覚か。
ただ、相手側からしてみれば俺自身が知っているも同然なのだから、指摘はしないけどな。
「では、私の過去は全て知っていると思っていいんですね」
恐ろしいほどの威圧感を込めた声を俺に向けるイザナミさん。下手をしたら死ぬと思った。
人類史の記憶に検索をかけてみても、こんなに死の雰囲気が漂ってきた経験はない。
「……ビフレストではお互いに手出し出来ないのに、そんな敵意むき出しにしなくてもいいじゃないか」
「いえ、私は特別なんですよ? この世界にいても、人を殺すことが出来るのですから」
……イザナミが離婚を宣言した後の話がある。
イザナミはイザナギに怒り、イザナギの作った日本にいる国民を一日千人殺すと言ったのだ。
イザナミはそれに対抗するように、一日千五百人の人間を産もうと言った。それ以降、人が一日に千人死に、同時に千五百人生まれることになったのだ。
人を千人殺す神。これは死神と言える。
イザナミは国産みの神であるが、死神でもあるのだ。
神がその神話の経緯から性質を大きく変えてしまう話はそんなに珍しくはない。
人間はイザナギによって育まれた。つまり、イザナミにとって醜悪の対象である。
俺を殺したいと思っているはずだ。しかし……
「と、いうのは冗談です。本気にしないでください」
一転、威圧感が嘘のように霧散した。
「……は?」
「ジョークですよ、ジョーク」
「……これで心臓がバクバクしたの二度目か」
「二度あることは三度あるものよ」
「一度目の元凶がそういうとなんか妙に説得力があるんですが」
「三度あるものを一億にさせるのが私なのよ」
「怖すぎるぜ……」
にしても、イザナミさんも冗談を言うタイプの神様だったとは。女神様、恐るべし。
「私は星霊様に脅してやれってこっそりジェスチャーされただけですけどね」
「それに乗ったイザナミさんだって同罪だぜ」
「星霊様には逆らえませんよ。上司みたいなものですから」
「パワハラか?」
「そういう人間様はモラハラなのでは?」
「イザナミさんを傷つけそうなことを言ったのはあやまるよ」
「別に謝罪してほしいとも思ってないんですけどね」
「どういうことやねん」
「別に私は人を殺したりなんてもうしませんよ。もうしたくても出来ませんし」
今度は本当のことを言っていると思った。
これがまた冗談だったら、俺はもう神様を信じねぇ……
「そもそも、あなたは人間様であって人間ではないでしょう? あなたは人間の王たる存在。もし殺しでもしたら、星霊様が黙っていないのでは?」
「慧眼であり、賢明ね」
「でも、昔人を殺してたんだな」
「否定はしません。私が人殺しをやめたのは、人類が滅んでしまったその瞬間からです。したくてももう無理なんですよ」
悪の本質を否定しない。そんな自分も否定しない。死をひたすらに肯定する者。それが死神なのだろう。
「もし、人類が再興したらまた人を殺すのか?」
「……いえ。殺しませんよ。殺しても無意味ですし」
「地球に嫌がらせする相手がいないからだろ」
「ええ、イザナギはもはや地球にはおらず、人を殺す意味がないですし。もうとっくのとうに殺しなんてやめてるんですよ」
「それでも転生しないんだな」
「転生して、また生と死に満ちた世界に生まれるのですか? 私はもう少しここで休憩していたいんです」
それは嘘だと分かった。
聞かれたくないことからうまくかわしているような気がした。
ただの直感だ。でも、直感は大切だ。何故なら直感とは、自分の意思の根源的選択だからだ。
余計な思考のない、自分の選択なのだ。ならば、従うほかあるまい。
しかし、彼女を追及する理由がない。所詮は赤の他人だ。
でも、手助けしてやりたくなった。理屈ではない。これは……
「じゃあさ、イザナミさんはイザナギに会いたくないのか?」
「……」
黙った。なんて答えようか迷っているのだ。
「イザナギのこと、今も憎んでるのか?」
「……初対面の人達に、それを話すのは酷な話というものです」
「でも、このまま俺達と別れたらまた数千年間口をきける人が現れないかもしれないぞ。転生だってまだしたくないんだろ?」
「それは……そうですね。まだ、転生は遠慮しておきたいですね」
「ならさ、一緒にイザナギを探しに行かないか?」
「……は?」
今度は俺のリアクションをイザナミさんがなぞる形で繰り出していた。
ちょっとしてやったりかもしれない。
「話を聞いてて思ったんだ。このまま夫婦が喧嘩別れはよくないじゃないか。俺、仲良くなってほしいって思ったんだよな」
「……失礼ですが、余計なお世話なのでは?」
「ここで俺達が余計なお世話をしなかったら、イザナミさんは一生このままだと思ったんだ」
「私は、少し休憩したら転生すると……」
「嘘だろ」
言葉を遮って、俺の得た確信を一言にして放った。
それが図星だったのか、彼女が黙る。
「転生する気なんか、ないんだろ」
「どうしてそう思ったのですか?」
「未練のある顔をしてるからだ。数千年もの間、人を殺してきたってことはな、それだけイザナギのことを想ってたってことだ。自分の言葉に嘘は吐けてもな、自分の行動に嘘は吐けないものなんだよ」
「……確かに、それだけ夫のことを執着していたのかもしれません。気が付きませんでした」
「じゃあ、探そうぜ。夫をさ」
「……怖い、ですね」
それは本音であると思われた。彼女の心に触れた気がしたからだ。触った感触と触れられた感触を相互的に共有することで、俺達は知るのだ。本当のコミュニケーションというものを。
「でも、やらない後悔よりやる後悔っていうじゃないか」
「それは私も一理あるわ。この世でもっとも価値のある言葉の一つが行動だもの」
「ほら、星霊様もこう言ってるぜ」
「……本当に、怖いんです。私があの方にしたことは、とても許されるようなことではありませんから」
「でも、イザナギがどう思ってるかは分からない。だってもしかしたら、イザナミさんと同じことを思ってるかもしれないんだぞ。俺のことを許してくれるかなってさ」
「そんなこと、数千年の間考えたこともなかったです」
「ほら、長い間ここにいて思考が凝り固まってるんだ。今、行動を起こすべき時が来たんだと思うぜ」
「でも……」
「さあ、行こう!」
俺は彼女の手を掴み引っ張っていく。
何故?
……分からない。
自分にとってメリットはあるのか?
……分からない。
でも、彼女の力になってやりたいと思ったのだ。なるべきだと思ったのだ。
自分のやりたいことをやりぬいた先にこそ、価値あるものがあるのだと信じて。
俺達は先の見えない道を旅していくのだから。
だから俺は、彼女を助けようと思ったのだ。