データⅩ(メモリーⅡ)
『カーター』
……世界は、情報で満ちている。
赤子の頃……最初に取得する情報というのは、愛だ。
父と母の遺伝子。
二つの異なる情報を掛け合わせて創られる私達。
私達は情報そのものであり、愛によって形作られていることを無意識に感じ取るのだ。
母の胎内に宿るという、まさに最初の瞬間。
五感すら発達していない未熟な存在が感じるのは、命のゆりかごに守られているということに対する安心と信頼。
母の愛の享受。
簡単に言うと、温かさと言い換えていいかもしれない。
羊水に満たされた小さな世界が、そこにはある。
最初の頃の赤子はとても軽い。
その大きさはわずか一ミリ。
重さは一グラム。
軽い命だと、思われるかもしれない。
だが、大きな可能性を宿した命だ。
細胞が分かたれ、形が出来始める。
まず最初に作られるものは脳だ。
人が知を司るための証。
そして生きていくための各器官の誕生と発達。
遺伝子に刻まれた情報を辿って、その命は歩み始める。
母の胎内から出た瞬間、世界が広がって見えたあの驚きと恐怖。
だが、それ以上の生きたいという気持ち。
生きたい。
だから必死で情報を掴もうとする。
新しい情報を。
価値を。
まず、触れる。
母に。
父に。
世界のあらゆるものに。
そして、感じる。
どのようなものなのか。
そして、比較する。
自分と。
そうして自分が何者なのかを知ろうとする。
自分は自分だけでは理解出来ない。
他の何かがなければ理解出来ない。
生きることも出来ない。
各器官が発達し、目が見えるようになる。
母の顔を見つけ、微笑む。
安心したからだ。
やがて他者を見つけ、不安を覚える。
そして人見知りをするようになる。
心が形成されていく。
愛着を覚えていく。
色々な物を食べるようになる。
物の使い方を覚えるようになる。
存在の意味を考え始めるようになる。
なんで? と。
疑問に誰もが答えてくれるわけではない。
だから自分なりに考えてみる。
そして個性が生まれ始める。
自分というものを掴み始めていくのだ。
外界の新しい情報に触れていきながら。
そう……人は生まれた瞬間から、死ぬその直前まで、外へ外へと向かっていこうとする。
いやいや、死ぬことだって新しい世界への旅立ちに過ぎない。
人は嫌でも先に進んでいく生き物である。
環境の変化を嫌い、自分の部屋に閉じこもってみても、自分の変化までは止められない。
何故なら、人は老いていくからだ。
成長していくからだ。
何故……どうして、人は、生命は先へと進んでいかなければならないのだろうか?
なればこそだろう。
あらゆる情報を獲得しようとしたのは。
旅に情景を抱くようになったのは。
銀の鍵があれば、それも叶う。
さあ、私も外へ向かう時が来たようだ。
新しい情報の獲得の時である。
外なる世界に住まう邪神共よ……
どうか、私の内に渦巻く無限の混沌にも等しい知的欲求を満たしてくれたまえ。
『ラヴクラフト』
寒いのは嫌いだ。
黒いのは嫌いだ。
チーズやアイスクリームが好きだ。
手紙のやり取りは好きだ。
編集者は嫌いだ。
特にライトは大嫌いだ。
母は大好きだ。
猫も好きだ。
死は嫌いだ。
人が……嫌いだ。
人の遺伝子など険悪している。
男女の交わりなど吐き気を催す。
神を信じないし、誰かのために祈りもしない。
生涯で人を差別し続けてきた。
私は、仕事が出来ない。
文を書くしか能がない。
社会のアウトサイダーなのだ。
私は、ダメな奴だ。
ダメな奴なんだ。
私は、私の友人や作品の読者がいなければ、とっくのとうに自殺していたかもしれない。
いや、確実にそうしただろう。
だが、私は私の意思であの時代を生き抜いた。
私なりに。
だが、今になって思うことは、人とはなんと愚かしい生き物であるということだ。
宇宙の、ほんの一握りの砂程の価値しかない人間共が。
私を生涯苦しめた人間共が。
そして、私が人間であるという事実が。
今まで、辛かった。
どうしようもなく、苦しかった。
本当は、人から理解されたかった。
でも、理解してもらうことは出来なかった。
温かい輪の中に入りたかった。
冷たい孤独の中で生涯を過ごすのはこの上なく嫌だった。
静かに生きたかった。
本当は人を差別したくなかった。
尊重されて、生きたかった。
人を、尊重して生きたかった。
でも、出来なかった。
そんな自分と他者を、酷く罵った。
自分が生きている理由が分からなかった。
何故、こんな苦しい思いをしてまで生きなくてはいけないのか。
考えれば考えるほどに分からない。
現実は、かくも厳しい。
幸せそうに生きている者を呪いたくなってくる。
私は一生日陰者だ。
植物は自ら動くことが出来ない。
そこに根を下ろした瞬間、生涯の運命が決まってしまう。
そこが日のささない日陰であれば、一生日陰の中で暮らしていくのだ。
私の心は植物のように根が張り、動くこともままならない。
陽の当たる場所へと動けない。
そして今、私は死にかけだ。
もうどうでもいいと思った。
死ねばいいと思った。
全てを憎んだ。
種を増悪した。
死ね。
みんな死んでしまえ。
死ね死ね死ね。
死の瞬間、そうした感情がどっと押し寄せてきて。
私の心を真っ黒に染め上げて。
私の創作したどんなおぞましい恐怖よりも恐怖して。
人生の……この世界の無常さに、怨嗟の怒りが燃え盛り。
私は、かの邪神の如く、他の命など取るに足らぬ存在と吐き捨ててやろうと。
いずれは世界そのものを混沌で満たしてやろうと。
そう思ったのだ。




