第二節 二人の旅人Ⅱ
話が一通り終わった。
彼女が女神であり、地球に人類の繁栄を取り戻したいこと。
そのために俺が異世界へこいつと向かい、人類がまた滅ばないための情報を収集してくること。
まあまあ理解した。
もし理解できていないことがあったとしても、異世界に向かえば自ずと分かってくるだろう。
この世を生きるための処世術はまず行動。
その一点に尽きる。
俺と彼女の意見が一致したらしい。すぐさま異世界へ行こうと言い出した。
「俺が準備しておくことはないのか?」
「ないわ。裸一貫で来て大丈夫よ。ス〇ークのように現地調達が基本になってくるしね」
「ス〇ークですらタバコやらナイフは持ってた気がするぜ。俺は普通の服以外なにもないな」
「裸よりもましでしょ? それともネイキッドになりたかった?」
「裸の場合お前が困るんじゃないのか?」
「それはお互い様でしょう?」
「ごもっとも」
彼女は目の前の何もない空間に手を向ける。すると、何かしたわけでもないのに空間がねじれて、緑色のオーロラみたいな帯が漏れ出す裂け目が現れた。
「SFで言う時空の裂け目ってやつか?」
「SFを突き抜けてファンタジーにジャンル替えできるほどもっとすごいものよ」
「そりゃすごい」
「この世界の宇宙にはどこにもない、別次元の世界への入り口よ。物理的に到達することは不可能。ビフレストに入るためには死んで霊体化するか、特別な方法でエーテル化しないといけないわ」
「俺は確かエーテル化するんだったっけか」
「ええ。神は自由にビフレストに出入り出来るけど、あなたはそうはいかない。生者だもの。ビフレストを通じて別世界に入ったら、エーテル化を解いてあげる」
「オーケー」
……ここで、俺の中に一つの疑問がわいてくる。
「ところでド〇ミちゃん。お前ビフレストを自由に出入りできるくせに、異世界に行けないのはなんでだ?」
「あら、今更その疑問? 思考速度がの◯太君並みなんじゃないかしら?」
「いいから教えてくれド〇ミちゃん」
「はいはい、の〇太君は仕方のない子なのね」
「自分で言い出したことなのになんかムカつくな」
「自業自得よ」
まさにおっしゃる通りなのだった。
否定もできんね。
「私が異世界に行けないのは私の体がここにあるからよ」
「体? まあ目の前にちっこいのがあるもんな」
「この体は即席で作った偽物。私本体の体があるのよ」
そう言って彼女は自分の足元を指差す。
「足元に落ちてるジ〇ジョの単行本がお前の本体か」
「あなたは今まで食ったパンの枚数を覚えているのかしら?」
「さっき生まれたばっかだからゼロ枚だな」
「聞く価値ゼロの答えが返ってきたわね」
「お前が聞いてきたんだろうが」
「あなたがくだらない冗談言うから付き合ってあげたのよ」
やれやれだぜと呆れつつ、彼女が首を振る。
でも嫌がっているようには見えないのが好印象である。
「私が指さしたのは、この単行本じゃない。この大地そのものよ」
「……地球?」
「そう、星よ。星が私の本体なのよ」
「……星って生きてたんだな」
ガイア理論。
地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げていることを、ある種の「巨大な生命体」と見なす仮説。
しかし、この場合は地球単体で一つの命なのだろう。
「あなたは私が創った命を入れ物である肉体に入れてできた生命体。私は自分の命を星に宿した神という名の生命体」
「神は、星か。ある意味納得だけどもな」
「異世界へは魂だけでは渡れない。転生して体を手に入れなきゃいけないのよ。私は生きているから、異世界に入るなら星をエーテル化させなきゃだけど、まさか異世界に星を持っていくわけにもいかないでしょう?」
「神はみんな星に宿るのか」
「そうよ。だから神は自分の世界と繋がっているビフレストには行けるけど、他の世界に行くことは出来ない」
そういう理屈ね。
「神様って自由なようで自由じゃないんだな」
「人間って自由じゃないようで自由なのよ」
「人は未知に挑戦できる生き物だからな」
「たとえ新しい人類の姿形が今とは違っていても、探求心だけは忘れないでほしいものだわ」
「同感だね」
俺と彼女はお互い裂け目に向き合う。
ここから先は人類にとって知覚しようもなかった、断絶されている世界だ。
俺が死ぬ可能性は否めない。
「俺が死んだ場合、ビフレストに渡るのか?」
「そうね。今までの記憶を代価にビフレストから異世界に渡るはずよ。ビフレストにいる間は記憶を保持できるけども」
「じゃあ、死んだらだめだな」
「だめよ。私が死なせないわ。これから長い付き合いになるでしょうしね」
「よしなに」
俺は裂け目に向かって歩み始める。彼女も同じように歩いていく。
地球から出ていくことにためらいはない。地球に関する知識はあるが、それだけだ。思い出がない以上、俺を引き留めるものは何もない。
俺は、旅人だ。これから星巡りの旅に出かけるのだ。
彼女と、一緒に。
オーロラが俺達に纏わりつき、あちら側へと引き寄せる。
視界が緑一色に染まっていく。優しい光だ。地球の光は強すぎることを自覚する。
そして、数歩。
俺達の体が光と化していく。輝く物体。いや、物体ではない。
エーテルは物質に干渉しない霊的な物質だ。物質であり、霊的存在でもある。
俺は後ろを振り返った。すでに裂け目はなく、そこは宇宙だった。
視界の中心には、どんどんと遠くなっていく地球の姿があった。
一歩を踏みしめるごとに、地球が急速に遠ざかっていく。
青かった。丸かった。
国境はなく、ただ大地と海のみが見えた。
小さな青いビー玉……ブルーマーブルのようだ。ただただ美しかった。
「女神様、お前、名前は?」
「ないわ。地球上にあったどの神話にも登場しないし、名乗ったこともない」
「じゃあ、俺が名前を決めていいか?」
「どうぞご勝手に?」
「うん……お前のことを、これからはブルーマーブル。ブルーって呼ぶことにするよ」
「ブルー……」
「ブルーもさ、俺のことお前じゃなくて、名前をつけてくれよ」
「……考えてみれば、私が造物主だものね」
意外だったが、至極当然であったような顔をしたのち。
「グレートオールドワン。旧支配者という意味ね。かつて、地球を支配した人類を統合した存在が名乗るにはちょうどいいんじゃないかしら」
「そうか……」
「あなたの名前は、オールド。これからは自分のことをオールドと呼ぶがいいわ」
「なんかかっこいい名前だな。気に入ったよ。ありがとう」
「……こちらこそ」
出会って間もないにしては、すごくいいスタートを切ったと思う。
そう思えるだけの嬉しさが、今この瞬間に内包されている気がしたからだ。
「なあ、ブルー」
「なによ、オールド」
「……名前で呼び合えるって、嬉しいな」
「……」
ブルーは何も答えなかった。
けど、頬がうっすら赤くなっているのを俺は見逃さなかった。
それを見て気分が高揚する俺のなんという単純さよ。
「ビフレストについたら、どの世界に行く気なんだ?」
「それはオールドが決めてちょうだい。私はあなたの行動を支援するだけよ」
「データ集めは俺の意思で進めていいのか?」
「ええ。相手のことを知りたいなら、神が接触しては意味がない。生の人間が何を思い、どう行動するのかが重要だもの。私はそれを手助けする。それだけよ」
「お、いいね。自由に行動はできるわけだ。俄然、やる気が出てきたよ」
「と、あなたのモチベーションを保つのも私の役目ってところね」
「あらためて、お世話になるよ」
「未来の投資のためよ」
「ドライだなぁ……でも知ってるぜ。それはさっきの照れ隠しなんだろ?」
「そういう私の気に入らない発言をしていいのかしら? いつ宇宙空間にあなたを放り出してもいいのよ?」
「すいませんでしたごめんなさい調子に乗りすぎました」
「よろしい。私とあなたのポジションは未来永劫この位置で固定よ」
「またまた御冗談を」
しかし、本気の目である。よほどさきほどの俺の冗談が気に食わないらしい。
でも……ああ、楽しいな。
ずっと、こんな風に旅が続けばいい。そう祈らずにはいられない。
俺達の歩む先が、良き旅路でありますようにと。