第十二節 反逆型体内循環逆行Ⅰ
「姉さん……」
厄介な事態に陥った。
どこまで聞かれた? 話を聞いてどう思った?
トリブスを一見したところは……ヤバめな感じがした。
「トリブス……どうしてここに……」
「姉さん達の跡をついてきたんだ。僕は、オールドのスピードを知ってたから、油断せずについてこれたんだよ」
「話、聞いてたの?」
「全部聞いたさ。見損なったよ。そんな大事なことを隠していて、許されると思っているのか?」
拘束、という単語が頭に浮かんだ。
アルビナのスピードは舐めない方がいい。場合によっては俺が本気を出しても捕まえられない場合がある。
俺は反射的にトリブスへにじり寄る。
「オールド様、やめて……ください。まだ、トリブスが逃げると決まったわけでは……」
「いや……僕はそれをフェアとは思わないな」
トリブスはそう呟いて、瞬く間に姿を消した。
俊足……俺の動体視力でも捉えきれないほどの。逃げられた……!!
「ブルー!!」
「もう無理よ。幻をかけられる範囲から遠く離れてる」
くそ、追いかけても見失った今じゃもう無駄か……
数秒のロスでこのザマだ。
「最初から幻をかけておけばよかったわね」
「過ぎたことは仕方ない。だけど……」
俺はクリアを見る。
彼女を責めるわけじゃないが……
「……すいません」
「謝るな。とにかく対策を考えようぜ」
即座に思考を切り替える。これ以上の時間のロスは避けたいしな。
「トリブスがフェアじゃないって言ってたのは……ありゃあアルビナ達に俺達の会話の内容を伝えようと思ったから出たセリフだろうな」
「でしょうね。クリア、あなたはもう仲間から排斥されたも同然じゃないかしら」
「え……?」
「だってそうでしょう? 星食いが二度あると言わなかったことを、アルビナ達が許すとは思えない」
黙っていようが黙っていまいが、アルビナ達が死ぬことは変わりない。しかし、アルビナ達がそれで納得してクリアを許すということは考えにくい。多分、クリアを責め立てるか、そうでなきゃ処刑されるのではないだろうか?
俺が見たところ、アルビナは人間と大して変わりない思考を持っている。集団心理が働かないほどに個の意思が強いわけじゃないのだ。
「誰かに責任を押し付けないと、憎しみや悲しみのコントロールが出来ないだろうからな」
「実に愚かしいわね。まるで人間みたいだわ」
「その人間がいる前でディスるのはやめい」
「ま、次のアルビナ達の先導者はトリブスになるでしょうね。トリブスの発言から察するに、住民総出であなたのことを責めてくるわよ」
「一体どうしたらいいのでしょう……」
「私達に思考を依存するのなら、いっそこの場で死になさい。自分で思考を放棄する命に価値があるとは思えないもの」
「こんな状況で彼女を責めるなっつの」
「事実であり現実よ」
「それでもだ」
彼女が行動出来ない精神状態に陥ったらどうするんだよ……
「いえ……大丈夫です。そうですよね、思考を停止したらいけないですよね。考え続けないと……」
「考えると言っても、結局選択肢は限られているのだけれども」
「口内を目指すか、次の星食いをこのまま待つか、ですか」
「もちろん俺達は前者だな」
「でも……世界蛇の口内へ行くなら、アルビナ達の町があった場所からそう遠くない所を通らなくてはいけません」
「アルビナと接触する可能性は十分にあるということね」
「んーあいつらとは確実に会うことになりそうだな」
「向かってくる者は殺せばいいじゃない。それで抑止力にもなるのだわ」
「それはやめてください。犠牲者を出したくありません」
「俺もクリアと同意見だな」
「わがままね」
「分かってます……でも、それは見過ごせません」
ああ……色々不安要素が残るなこれ。せめて時間があれば良かったが……
「あまり話してても仕方ない。もう行動しないと時間的にやばいだろ」
「あなたがいいなら、私も別に構わないわ」
「……私も、大丈夫です」
「なら、行こう」
「そうね」
「はい」
そして俺達は駆け出した。循環に反逆するための戦いへと。
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脚力を強化して前へ、前へ。
時間が惜しい。だからスタミナの消費度合いを考えてペース配分することはない。
全力疾走。幸い、ブルーとクリアは俺の速度に追従出来ている。
「口内へはどのくらいで着くんだ?」
「このペースだと、二時間くらいで行けるかと思います」
「間に合うのか?」
「アルビナ達の妨害があれば、間に合わないかもしれません」
「ヨルムンガンドを殺すことでアルビナ達も道ずれになるかもってのは分かるが……そうまでして変化を怖がる奴は実際にいるのかな」
「さあ? どうせもうすぐ目のあたりにするのだから、考えても仕方ないわよ」
考えるより目で見た方が早いのは当然のことだ。
だがしかし、まだ考えなくちゃいけないことがあるような……
「……あ」
「ラビアンナイト」
「いや、千夜一夜物語じゃなくてさ」
「だったら何よ」
「大事なことを忘れてた」
「だから何よ」
「ヨルムンガンドを殺すってことは……」
「ことは?」
「……いや、問題なかった」
「中途半端な発言って余計に気になるものだわ」
「俺の意思を尊重してくれるのなら気にしないでくれ」
「私の意思を尊重してくれるのなら話してちょうだい」
「これじゃあ平行線になるだろ」
「妥協はするものよ」
「その言葉、そっくりそのままお返しするぜ」
「私は聖なるバリア・ミラー〇ォースを発動するわ」
「デュエルしてるわけじゃないから無効で」
「言わないとぶち殺すわよ」
「脅してもダメ」
「家族を一人ずつ葬るわよ」
「俺に家族いねぇよ」
「……チッ」
「今回ばかりは諦めろ」
「私は執念の女よ」
「お前のような怖い女は昼ドラに出演でもしてろ」
「……くだらない話をしている間に、厄介ごとの種が見えてきたようね」
そろそろ話を切り替えなければいけないようだ。
目の前には、トリブスが立っていた。たくさんのアルビナ達を引き連れて。
「強引に突破する?」
「……話せるだけ話してみよう」
彼らとは数メートルの距離をとる形で足を止める。
見たところ全員武器は持っていない。警戒心はあるが、すぐに攻撃を仕掛けてくる様子ではなさそうだ。
「こんなにアルビナが集まってきて、どうしたってんだ?」
「僕はお前と話したくはない。今すぐ姉さんと代われ」
俺も嫌われたもんだな。俺はお前らを助けようとしてるのに。
俺は目でクリアへ合図する。彼女は若干緊張しながらも頭を縦に振った。
「……トリブス」
「姉さん。僕は、あなたを捕まえなきゃいけない。そこの男とブルーさんと一緒に」
「それは……何故?」
「ヨルムンガンドを、アキレウス様を殺そうとしているからだよ。僕達の神様を殺すなんて、姉さんはどうかしてる。狂ってるよ」
「でも、私達が生き残れる可能性はもうこれしかないのよ?」
「神様を殺して僕達が生き残れるとは思わないよ。ヨルムンガンドが死んだら、この体内世界は間もなく腐り始めて、ロクに食料を調達することもままならなくなる。僕たちはいずれにせよ、死ぬ運命なんだ。姉さんはそれを否定出来るのか?」
「……」
クリアは黙ってしまった。沈黙の肯定も同然である。これで相手に会話の主導権を握られたな。
「僕はね、考えたんだ。神様を殺しても殺さなくても僕達は死ぬ。だけど、神様を殺さなかった場合、アキレウス様は生き残れるんだ。なにも僕達はアキレウス様を道ずれにすることはない。僕達アルビナは、いつだって大切な多数のために少数を切り捨ててきたじゃないか。アキレウス様には生き残ってもらおう。これが、今まで啓示で僕達を導いてくれたアキレウス様への敬意なんだと、後ろのみんなは思ってる」
……なるほど。今まで行なってきた合理主義は貫くつもりなんだな。
少数を犠牲にして多数を優先するということ。フィリッパ・フットが提唱したトロッコ問題。
冷たい考え方だが、物質的な痛手の少ない理知的な考え方でもある。
俺はその考え方を否定はしない。しかし、今回はそういう問題ばかりでもないからな……
そろそろ、俺が出るか。
「この世界で死んだ奴は、ヨルムンガンドに魂が取り込まれて永遠に死後の世界へ行けないって言われてもか?」
「……死後の世界?」
アルビナの殆どは死後の世界という言葉に対して困惑の表情を浮かべていた。
そうか、クリアと違って異世界についての知識はないも同然だったな。
だが、事実は述べておこう。
「確かに神様を殺さなかった場合、アキレウスは生き残ることになるけど、その代わりお前らの魂はこの体内に吸収されて永遠に第二の生を謳歌出来なくなるんだぞ。それでもいいのか?」
「……死後の世界があるという証拠は?」
「ない。死んで見てこいとしか言えない。でも、それは存在してるんだ」
「それは、ヨルムンガンドを殺したいがための嘘だろう?」
「俺達が嘘を吐くメリットなんかどこにあるってんだよ」
「自分が天災に巻き込まれるという形で死ぬことに理不尽さを感じているんだろう? だからお前達は、愚かにもヨルムンガンドごとアキレウス様を一緒に道ずれにしようとしている」
「はあ!?」
んなわけあるかと叫びたかったが、なんとか抑える。
トリブスの奴、俺達の思考を勝手に妄想してやがるな。
それに加えて彼らの知っている俺達の情報が少ないことも誤解を招く要因となっている。
俺達がいつでもこの世界から逃げられることを彼らは……知らないのだから。
誤解を解くために説明している時間もない。
これはもう……
「お前達は自己中心的な理由でアキレウス様を殺そうとしている。そんなことを僕達アルビナがさせるわけがない。正義は僕達にある。だから姉さん……あなたを拘束するよ」
「……もう聞いてられないわ。耳が腐るもの。あなた達下等種族にはお似合いの愚劣極まる発言ね」
ブルーが呆れを通り越してトリブス達アルビナを侮蔑していた。
魚人族のボスのアー〇ンみたいなこと言ってるし。
この差別発言がトリガーになったか、アルビナ達の怒気が高まっていくのが分かった。
「姉さん達の説得はやはり無理、ということがよく分かる言葉だったよ」
「その言葉をそっくりそのままお返しするわ。自身の意思の存続を放棄した者達に生きろと説得することはやはり無理、ということがよく分かるわね」
「いかにブルーさんといえど、やはり異分子。相容れないんだよ」
俺達は彼らアルビナのルールを乱す異端であると。彼がそう認識しているのは明らかだ。
話をしてみても平行線。絶縁体のように混じり合うことはない。
水と油。電気とゴム。この世界で絶縁体の仲介を担う第三者は存在しない。
「……戦うのか?」
「お前達がアキレウス様を殺そうとする限りは。僕達の神様を守るために」
神に……心を依存させていた。かつて存在したか弱いヒト達のように。
強いようで弱い。弱いようで強い。そんな、有様。
「俺は、そんなの認められない。お前達がここで死ぬのはいい。だけど、その先の旅立ちを遮ることは許容できない。許さない」
「……お互いに譲れないラインがある以上、することは一つだ」
命の宿命。それは闘争。それこそは生の証。
生と死の均衡。歴史の転換点。意思の衝突。思念の力場。力の代償。
俺達は避けられない。戦うという行為から。
命ある限り、戦わなければならない。自分以外の何かと。
出来れば戦いたくはない。穏便に済ませられるのであればそうしたい。
しかし、世界はそれを望まない。また、神は命をそのようには設計していない。
必然と言えば必然だ。だから、仕方ないと妥協することは出来る。妥協して戦うことは簡単なのだ。
でも……それは人が多様性を持つことの意義を否定しているような気がして。
避けられない宿命を前に、全ての者達が従う他ないとしたら。多様性を持つことなどなんの意味も持たない。
それは俺達人間を否定しているも同然なのだから。
なのに命は戦わなくてはいけない。そこにある種の理不尽を感じた。
……逆らいたくなってくるよな。
今こそ抗おうじゃないか。
どうせ戦うのならば……
命の淘汰と戦おう。
「殺せぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
トリブスの声と同時に、アルビナ達が俺達と戦うべく駆け出した。




