祈りの発動
ヴァイの地を離れる前に涼醒からキノの手へと戻された力の護りは、131年ぶりとなるラシャの空気に触れた瞬間に、闇色の小石からエネルギーの塊へと変化した。
ラシャへ降り、紅い光の中に立つ自分を認めるとすぐ、キノは握り締めていた左手を開いた。紅く照らされた手の平の中には何もない。愕然とするキノの右手を、ひんやりとする手がつかみ引いた。
無の空間内で護りが石の形を取っていたかどうか、自らの身体の感覚すらないキノにわかる術はない。けれども、ラシャに還った護りはあるべき姿に戻り、紅い光から抜け出したキノの手の平の上で、淡く繊細な輝きを放っていた。
「希音、力の護りを見つけ、無事ラシャへと持ち帰ったことに感謝します」
顔を上げたキノに、シキが微笑んだ。
「浩司は約束を果たした。彼の祈りを発動することが、私の務めです。祈りの変更を聞いていますか?」
その質量も熱感もおよそ感じられず、持っている実感のない護りを差し出し、シキの紅い瞳を見つめ、キノはうなずいた。
祈りの間は、無の空間への口のある回廊と同じ、剥き出しの岩肌のような壁と床をしていた。リシールの館にある中空の間よりわずかばかり小さいであろう、楕円形の洞窟。けれども、その上部を覆うものがあるかなきかを認識することは出来ない。研磨されていない壁は上に行くほど中心へと傾斜しており、徐々に狭められる空間は、ラシャを形成する瑠璃色の物質から漏れる蒼い光の反射の中に融けている。
広間の中央に設けられた、1、5メートルほどの高さの祭壇。そこに配された円錐状の台座の天辺に、力の護りが置かれている。
シキを除く8人、ジーグを含むラシャの者4人と、海路希音、橘涼醒、梓汐、そして、ジャルディーン・セイクが、祭壇の後方で発動を見守っている。
シキが祈りを終えると同時に、まるで浮かぶように静止する淡い紅光の塊は、静かにその姿を消した。
発動の後、ラシャの者たちとキノ、涼醒、ジャルド、汐によって、数時間に及ぶ話し合いが行われた。
ジャルドには、護りの発動を見届けた後ラシャに報告し尋ねるべきことがあった。涼醒には、護りの発見後にシキから聞くべき話があった。そして、キノには、護りと崩壊の真実について確かめ問うべきことがあった。
キノが自分の見たラシャの者の夢の真偽を確かめその意味を問うことは、涼醒の聞くべきことと重なり、ジャルドの伝えるべきことを裏づけるものだった。それは、彼ら全ての知らねばならぬ真実であり、そして、負わねばならぬ使命へと繋がっていく。
二つの世界を崩壊から救うべくラシャへと戻った力の護りがその本来の力を携えてはいないのであれば、残る力を手に入れねばならず、そのためには、世界の崩壊を引き起こすものは何か、それを阻止する方法とは何かとも向き合わねばならない。
全てが明らかとなる時、キノは己の乗った運命が更なるうねりとともに見えぬ未来へと続いていることを自覚するだろう。
決して変えられぬ運命は確かにある。けれども、その大きな流れにも、幾度となく分岐点が訪れる。
決意を胸に選び取った運命。
何気なく選んだ運命。
知らぬ間に選んでいた運命。
そして、苦渋の選択の末に選ぶ運命。
それぞれに共通するのは、時に突き進み奔り抜くこと、しばし漂い滞ることは可能であっても、降りることは決して許されないということ。
いつか辿り着く場所が安らぎに満ちたところであるよう、切に願う。
それはキノにかぎりはしない。
ヴァイ時 2004年10月11日5時59分
イエル時 2004年10月10日20時59分
紫野希由香の発動から999日後、力の護りはラシャにおいて無事発動され、予言される世界の崩壊を止めるべく、今は静かに時を待つ。
次に護りがその姿を現すのは、3年後の7月になる。
『クラ シャウラ シウユ』
幸運はいつもあなたとともにある




