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本当の望み②

「希由香を忘れる…?」


「…あいつを忘れたいと思ったことは、一度もない」


「逃げるのは…幸せから…?」


 浩司は答えない。


「幸せになるのが怖いの? 手に入れて、なくすのが? それとも、願いを叶えるのが怖いの? 望みは叶わない方が幸せ? 求めてる時が幸せで、幸せの頂点が望みの叶うその瞬間なら、一番の幸せは、死ぬまで求め続けるものが心にあることじゃない? 愛することと愛されることのほかに何が心を満たせるの?」


「キノ…」


「愛が幻想(げんそう)かどうか、確かめるのが怖いの? 実現したら壊れるかもしれない? でも、これは消えない幻想(げんそう)だよ。なくなったりしない」


「わかってる」


 一度消えた微笑みが浩司の口元に戻り、再び消えて行く。


「だから、怖いんだ。幸せがじゃなく、それが俺の弱いところを突いて…狂わすかもしれないことがな」


 キノの指先は、震えを止めていた。代わりに、いつの間にか食い込んでいた爪が、白い手首に(あか)(あと)を残している。


「この3年間、希由香は俺を思い続けた。自分を愛さず、メールで一方的にふった男を、別れてから一度も会わずにだ。この館に来るまで、俺は知らなかった。自分の存在が、あいつにとってどれだけのものなのかをな。今はもう…知っちまってる。俺のために死ねると言ったのは、本気だ」


「あなたも、命を()けた。シキと約束した時は、本当の望みを祈るつもりだった…違う?」


「…そうだ」


「じゃあ…(かせ)はいつから?」


「意識の戻った希由香にもう一度会ったら、俺は二度とあいつを手放せない。おまえに夢を見せて希由香の記憶を辿(たど)るうちに、そう思った」


 そう思うのが、どうしてまずいの? 希由香が浩司を嫌になって離れていくことなんか、考えられない。じゃあ、何が…?


「私、思ったの。心を見ないように生きて来たせいで、それを見つめた時、自分にとって大切なものを選ぶことに臆病(おくびょう)になる…それが、あなたの弱さだって」


「…昼間に確かめたかったのは、大切なものは何かだ。さすがにおまえは(するど)いな」


 キノは軽く頭を振った。浩司は、変わらぬ静か過ぎる(ひとみ)をキノに向けている。


「はっきり言っていいよ。幸せに狂わされるとどうなるの?」


 浩司がゆっくりとまばたいた。その短い間に(しん)に光を(たた)えた()が、希由香を見る。キノは反射的に後ろを振り返った。けれども、もちろん、ベッドに身を横たえる希由香は、目を()ましたりはしていない。彼女を見つめるキノの耳に、浩司の声が届く。


「俺にとっての大切なものが、希由香の命じゃなくなるだろう。俺は死んでも…死ぬくらいであいつをひとりにはしない」


 どういう意味…? 死んでもひとりにはしないって…それは…。


「希由香は、命を祖末(そまつ)になんかしないよ。どんなに寂しくても」


「わかってる」


「そう。じゃあ…あなたが望むの? 一緒に死んでほしいって…?」


 キノは勢い良く上体を戻した。希由香から離した二人の視線が衝突(しょうとつ)する。その刹那(せつな)、浩司の(ひとみ)に宿る(にぶ)い光がどこから来るものか、そして、今にも消えそうに儚気(はかなげ)な理由を、キノは(さと)った。


 閉じ込められていた心が、冷たい(くさり)()()てつく(おり)残骸(ざんがい)を越え、不安に縁取(ふちど)られた自由意志の中を彷徨(さまよ)い出そうとしている。けれども、近くて(はる)かな幸福を見つめる浩司の心は、その光に寄り添う闇の存在をすでに知ってしまっているのだと。


 希由香…ごめんね。私、これから勝手なこと言うけど…。


 浩司から目を()らさず、キノは希由香に語りかける。


 もし、間違ってたら…後で訂正して…。


軽蔑(けいべつ)してくれ」


 吐き出すようにそう言った浩司の顔に、強い(さげす)みの笑みが浮かぶ。


「あいつの心に自分を残すのが苦しいと言っていた俺が、あいつを死なせても平気だと言うんだからな。望まないなら望ませてやるとまで考えて、だ」


「浩司…」


「俺は…幸せに酔うのが怖い。死んでもかまわない瞬間が、その中にあるって知るのがな」


 自虐的(じぎゃくてき)な笑みの(ぬぐ)われた浩司の表情が、感情の一切(いっさい)を抜き取られでもしたかのように平坦になり、そして、天の底に()ち込んだ後のような静けさを(まと)う。


「あいつの身体(からだ)はともかく…心をひとり残して行ける自信が、俺にはない」


「…いいよ」


 キノは微笑んだ。


「彼女の大切なものは、始めから…あなたの心だから。救うためなら、守るためなら、命なんて()しくない」


 困惑(こんわく)と痛みの(しわ)を眉間に寄せ、浩司は握り()めていた(こぶし)を開く。


「心も身体(からだ)も、ほしいものは全部あげる。残していくのが嫌なら、ひとりじゃ寂しいなら一緒に行くし、あなたがいなくてもしっかり生きていく。忘れること以外なら、何でも出来るよ。なくしたくないのは、あなたへの思いだけだから」


「キノ、おまえは…」


「希由香じゃない。今のは、私が彼女だったら思うことよ。だけど、そうかけ離れた気持ちじゃないって自信はあるの」


 そう、私が彼女だったら…。友理に聞かれたことがある。もし、希由香と関係ないところで浩司に出会ったら、彼を好きになったかって…。私…愛したよ。きっと、彼女と同じくらい。でも、私にとって、浩司はいつだって、『希由香の愛する浩司』だった…私は…二人を愛してる。


 互いの()を射抜いたまま、短い沈黙が時を刻む。


「あいつとおまえは、性格も考え方も似てるところはあるが…心は別だ」


 溜息混(ためいきま)じりに、浩司が言った。


「だから、あなたに嫌われるかもしれないことも、困らせることも言える」


 キノは、浩司を見つめる()に力を込める。


「もし、希由香があなたを愛するために生まれて来たなら…きっと、彼女の寿命も同じ頃終える…そう思ってて。幸せの大きさは、長さよりも深さで量るものだってわかって。4年前、あなたと出会ったのは、彼女の幸運だった。今、彼女ともう一度出会ったことは、あなたの幸運だって信じて。それでも、死ぬ時のことだけを考えて、二人じゃなきゃつくれない幸せを(あきら)める意気地(いくじ)なしなら…あなたを愛さずにはいられない希由香に同情するよ」


「おまえの…」


 すっくと腰を上げるキノを凝視(ぎょうし)したまま、浩司がつぶやく。


「その強さには、(あこが)れるな」


「…こっちに来て」


 キノは浩司に背を向けた。静かに深い息を吐き、ベッドのそばにしゃがみ込む。


「最後のひとつを聞いて。彼女の代わりに言うから…彼女を見てて」


 顔を上げずにキノが言った。隣に立つ浩司の指先が、(かす)かに震える。


 希由香…私の役目はここまでだね。呪いを()くのは護りの力でも、彼を本当に救うのは…あなただから。


「浩司…」


 キノは熱くなる目を閉じた。


「あなたに、会いたい」


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