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本当の望み①

「ラシャには、今朝のことは()せておいた。涼醒にはそう言ってある。おまえには事後承諾(じごしょうだく)になったが…」


 キノを先に通し、ドアを閉めた浩司が言った。


「うん。浩司がそれでいいなら…。希由香に何かされてたら別だけど、彼女も護りも無事だったから…」


 キノは部屋の奥へと進み、ベッドの前で立ち止まる。


「三つ、あなたに言いたいことがあるの。二つは私から、もうひとつは…希由香の代わりに」


「…おまえは希由香じゃない」


「だから言えることがあるの」


 そして…私だから聞けることも…。

 希由香の胸元に光る銀の(くさり)から視線を()がし、キノが振り返る。


「俺も、言い忘れたことがある」


 浩司は壁際に置かれた椅子に腰を下ろし、(わき)にある小さなテーブルの上から煙草を手に取った。浩司の向かいに座り、キノも煙草に火を点ける。


「先に聞いておいた方がいい?」


 立ち上る二つの煙の間に、キノは浩司を見つめる。


 客間に腰を落ち着けようとした浩司に、続き部屋で話したいとキノは言った。希由香のいるここでなければと感じたからだが、浩司の方はどうなのだろう。

 キノの肩越しに希由香を見る浩司の(ひとみ)は、その奥に抱える心がどうであれ、ただ静かだった。彼女の姿が目の(はし)に映ることに安心しているかのようにも、その反対に、世界にたったひとり残された最期のひとりが、(まぼろし)と知って見る恋人を眺めているかのようにも見えた。その()が、ゆっくりキノへと向けられる。


「そうだな」


 浩司は煙草を()み消した。キノがそれに(なら)う。


「おまえの見てきた希由香の記憶は、発動の日までのものだ。3年近く経った今のあいつの心が、あの頃と全て同じだと思うな」


 変わらないよ。少なくても、あなたへの思いは…。あなたも、それを知ってる。


 心の中で、キノがつぶやく。


「考えるのは…これからの幸せだ。あいつのな」


 あなたの幸せもそこにある…そうでしょ?


「わかった」


 キノは微笑んだ。その()を計るようにしばし見据え、浩司が表情を緩める。


「おまえの話を聞こう」


 うなずき、キノは深呼吸をする。

 重くはなく、張り()めてもいないこの空間に、()かされている何かがある。浩司の心から解放されるべき、希由香への思い。その存在を確かめるべく、キノは今ここにいる。


「継承者のことを知る前に言ったことと…ほとんど同じよ。ひとつは、あの祈りには納得出来ない。希由香の幸せを願うあなたが、彼女にとっての幸せが何かわからないはずないよね。後悔するのがわかってるなら、始めからしないで。何をどう考えても、私は反対よ。もし、本当に、自分の苦しさを消したいのが一番の理由なら…希由香じゃなくあなた自身から、彼女の記憶を消せばいい。そうでしょ? 涼醒と同じことを、私も思ったの。怖いなら、それが何だとしても何からでも、ひとりで逃げればいい。希由香が望んでないのに、一緒に連れていかないで。その先が幸せに向かってるならいい。でも、そうじゃないってわかってるのに、止めないではいられない。自分を幸せにするのは自分だけど、その思いは誰にでも生まれるわけじゃない。もし、あなたを忘れれば愛せる人に出会えて、その男が彼女を幸せにするって考えるなら、そんな男がいるなら…このままあなたを思ってる間にだって出会う可能性は同じで、その人を愛するはずよ。そういう相手じゃなきゃ、あなたみたいには彼女を救えない。二つ目は、護りの力じゃなきゃ叶わない望みがほかにないなら…シェラの呪いを()いて」


 一気にそこまで言うと、キノは一旦(いったん)の間を置いた。黙ったままの浩司の()が揺れる。


「祈りが何だったとしても発動する…私にここでそう約束させた時、反対されるってわかってたんでしょ? 反対されたら、自分が迷うってことも。迷うのは、あの祈りが本当の望みじゃないから…」


 その言葉は、浩司の目を()せさせた。


「決めるのは浩司だってわかってる。あなたの本当の心が望むことなら、私は反対しない。だから…知りたいの」


 キノは息を()め、浩司の視線が自分に戻るのを待つ。


「あの祈りを望む気持ちは、嘘じゃない。だが、おまえの言う通り、本心でもない」


 浩司が顔を上げる。


「本当の望みを願わないための…(かせ)だ」


「それは…」


 自分を見つめる浩司の(ひとみ)に、キノは小さく息を飲む。自分に見せる心の色の、その暗さにではなく、様々な思いの入り混じった複雑な深さに。


「あなたの本当の心はシェラの呪いを()きたいのに、そうしないように…希由香に自分を忘れさせるってこと…?」


「そうなるな」


「どうして? 彼女を悲しませたくないから?」


「…そうだ」


「じゃあ、もう、(かせ)なんか要らない」


 (かす)かに眉を寄せる浩司に、キノは微笑もうとした。けれども、そうするほどには、言おうとすることの痛みは軽くなかった。


「希由香の望まないことでも、私には理解出来る。あなたがそう言ったのは、私も彼女の悲しむことを選べないから…でも、私は選べるよ」


 浩司が口を開く前に、キノが続ける。


「あなたが思うように生きて幸せだと思えるなら…。希由香が悲しいのは、あなたがいなくなることそのものだけ、残された自分を悲しくは思わない。だから…悲しませてもいいよ。『俺がいなくなったら生きていけない女になるなら、もうここには来るな』そう言われても、彼女はあなたのそばにいたでしょ?」


 ずっとそばにいたかった。あなたを思う自分を、幸せだと思ってる。でも、それ以上の幸せも願った。叶えられるのは浩司だけ…だから…。


「ほかに理由がないなら…」


「あるんだ」


 キノの言葉をさえぎり、浩司が微笑んだ。


「言わずにおきたかったが、そういうわけにはいかないみたいだな」


「…これ以上、何を隠してるの? どうしてそんな…何もかも(あきら)めたみたいに笑うの…?」


 全くその手掛かりのつかめない不安ほど、心を不気味に震わせるものはない。伝わるその震えを止めるため、キノはテーブルに乗せた自分の手を無意識につかんだ。


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