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本当の心は①

「あの時会ったのは…」


 自分が来ることを知り、待っていたかのようなリージェイクを見つめながら、キノは呼吸を整える。


「希由香よ」


「わかっています」


 リージェイクが目を()せる。


「護りの発動者が彼女だと、昨夜初めて知りました」


「私も…希由香が話した見知らぬ男が、リシールの継承者だったなんて…。館の庭なんだもん。考えたら、別におかしくはないんだけど、ただ…いろんなことが、いろんなところで繋がってる気がして、自分の心さえも…」


 今の気持ちを上手く表現する言葉が見つからず、キノは軽く頭を振った。


「自分だけがいる心は、どこよりも寒くて寂しいものです。自分しかいない世界なら、生きていても死んでいても変わりはないでしょう?」


 リージェイクの視線がキノへと戻る。その()は見る者を惹きつけ、心を見透(みす)かす強さを持ちながらも、心身の緊張を(きた)すものではない。決して(とら)(ばく)することなく、柔らかく包み込むような温かい眼差(まなざ)し。


「座りませんか? 私を、あなたの心の話し相手に。継承者のリージェイクではなく、希由香さんの出会った…名も知らぬ一時(ひととき)の友人として」


 この人の雰囲気は、浩司やジャルドの持つ鋭いものとは違う…リシール独特の静かな落ち着きは同じなのに、どっちかって言うとシキに似てる…あの紅い(ひとみ)に見える冷たい強さはないけど、全てを受け入れて認めて(ゆる)すような…。


 キノは、かつて希由香が感じたのと同じ不思議な衝動(しょうどう)()られた。彼と話したい、話さなければと。


「あなたは…館にいなくていいの?」


 リージェイクの横に腰を下ろし、キノが(たず)ねる。


「今、皆が集まってるんでしょ? 汐さんに呼ばれて浩司も…」


「私が集会に出ないのはいつものことです。特に今回は…ジャルドが皆に謝罪するために開かれている会です。それだけでは済まないかもしれませんが…」


 見えない地平線の彼方を見やるリージェイクの眉間に、苦痛の(しわ)(かす)かに刻まれる。


「思うように行動した彼に、後悔はないでしょう。むしろ、本来の自分に戻ることが出来てほっとしているはずです。私にはわかる。そして、願っています。その代償が…彼を苦しめなければいいと」


「今朝の話し合いにあなたがいなかったら、どうなってたんだろう…護りも、ジャルドも…」


「自分の思いや行動が、かかわる者たちの運命を複雑にする。どの道を行くか、選ぶのは彼ら自身だとわかっていても、後で考えてしまう。『これでよかったのか』…と。過去は変えられないのだから、別の今もあり得ない。行き着く先は同じでも、辿(たど)る道が違えば、そこにかかわる者たちもまた変わる。そんな運命の仕組みが、怖いですか?」


「うん…だけど…誰とのかかわりもなかったら、悲しいことがない代わりに嬉しいこともなくて、誰にも傷つけられないけど、誰かを思いもしない。『自分しかいない世界』って、そういうことでしょ?」


 ひとり言のようにそうつぶやくと、キノはリージェイクの横顔から、その目が見ている光の群れへと視線を移した。


「誰の何の影響も受けないで、自分ひとりで進んでいく未来の方が怖いな…」


「誰もいない一本道を行くほど、孤独で(むな)しいものはない。少なくても、心はそれを望まないでしょう」


「…誰かに会うことで、道がいくつもに別れても…選ぶのは自分だもんね」


 草の葉をなびかせる風が心地よく二人の頬を撫で、しばし訪れた沈黙はそれぞれの心の縁を穏やかに流れた。


「今朝、あなたたちが館に着いてすぐ、森から現れた涼醒君を見かけました。私は、真直ぐに館へ向かおうとする彼を引き止めた。今は行かない方がいいと」


 キノはリージェイクを見た。


「涼醒は…あなたが連れて来たんじゃないのね」


「彼は、私道や大通りを見張っていた者たちが忽然(こつぜん)と姿を消したので、あなたが(つか)まったと思ったそうです。私は状況を説明した。確かにあなたは館内にいるが、浩司も一緒だと。だから、護りはともかく、あなたの身は安全なはず…涼醒君があの場に行けば、かえって話し合いはややこしくなる」


「でも、涼醒は来た。あなたも…」


「私は、ジャルドと浩司の話し合いに加わる気はなかった。けれども、涼醒君を(つか)まえたという役を引き受け…結果は知っての通りです」


 リージェイクは、前方に向けた視線をわずかに上げた。彼方の明りより更に遠くを見つめる(あお)(ひとみ)は、あの夏の日にあった切なさの(かげ)は薄れ、より静けさを増したように見える。


「傷は、大丈夫?」


 (ひざ)の間で軽く組まれたリージェイクの(こぶし)。その左手に巻かれた白い包帯が、薄闇に目立つ。心配気なキノの声に、リージェイクの()はその焦点を現実へと戻し、キノを(とら)え微笑んだ。


身体(からだ)の傷なら、()えるのは早い」


「…ありがとう」


 キノは、真剣な眼差(まなざ)しでリージェイクを見つめる。


「もし、涼醒を連れて来たのがあなたじゃなかったら、浩司を止める人はいなかった。護りを守るために、誰かが傷つくのを()けられなかったと思う。それに…あなたがああ言わなかったら、きっとジャルドも、本心をしまい込んだままずっと…」


「心の葛藤(かっとう)は、どんな形にしろいずれ終わる時が来る。今朝まで、私はジャルドがどこまで続けるか見届けるだけのつもりでした。護りには護りの、ジャルドには彼の信じる使命があり、運命がある」


 リージェイクが、(かす)かに溜息(ためいき)をついた。


「誰かの思いや何かのタイミングが少しでもずれていたなら、違う今があったでしょう。涼醒君は、話し合いに自分がいては不利になると知っていた。それでも、どうしても行かなければと言う彼の話を聞いて、私は一緒にあの場へ…。『いろいろなことが重なる』それは、ほんの偶然の積み重ねだと思いますか?」


「『偶然はない。全てのことは必然』そう教えてくれた人がいるの。今は、その意味がよくわかる…」


「他人の未来を変えてしまうのではなく、変わるために自分が必要だった。後でそう思えるように、後悔するとわかってることはしない。私たちに出来るのはそのくらいだと思う時があります。そうでなければ、運命を呪い、破滅(はめつ)()せられるようになる」


「あなたも…?」


 キノの問いに答える前に、リージェイクは一旦(いったん)目を()せた。


「自分を傷つけたいと、積極的に望んだことがあります。けれども…」


 キノへと戻されたリージェイクの()に、かつて飲み込まれた闇の名残(なご)りが(よぎ)る。


「そんなことをしても得るものはなく、心の空洞(くうどう)が多くなる。そして、どこにも逃げ場はないのだとわかった時…望むでも願うでもなく、ただ思いました。今この瞬間に、世界が消えても構わない、と」


「…今のあなたは、そう思ってないでしょ?」


 言葉以上の問いかけを含むキノの()を見据え、リージェイクはゆっくりとうなずいた。


「私を救ったのは、愛する者の存在です。けれども、彼女にとって自分の存在は無価値だと、自分の思いは無駄なものだという苛立(いらだ)ちと痛みからは逃れられずにいた。空虚(くうきょ)な心を()めるのは、誰かへの思い。愛する者のいる世界なら、生きる価値がある。そして、その意味を見出すのは自分です。私にはそれがわからなかった。教えてくれたのは…3年前にここで会った、見知らぬ女性です」


 開いた唇から一呼吸遅れて、キノの声が丘を吹き抜ける風に乗る。


「希由香…?」




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