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静止する心

 未来は不確かなものだからこそ、幸福の最中(さなか)にさえ不安は生まれ、そして、いかなる時も希望はゼロになり得ない。


 心の()(よう)(のぞ)けば、最も不確定であるはずの生死。自ら選べぬべきその時は、何によって定められているのだろう。事前に知らされた来たる運命への抗議は、どこへ向ければいいのだろう。


 リシールの継承者の寿命は、34年に満たない。


 その事実を知ったキノの心は慟哭(どうこく)した。

 目の前にいる男が、同じ魂を持つ希由香の愛する男、キノ自身も彼の幸せを願ってやまない浩司が、3年後の冬には存在しなくなる未来に。どうにもならないことの多くは(こく)な意味を持ち、受け入れ(がた)くとも我が身を取り込んでいく貪欲(どんよく)な真実であることに。


 暗くなり始めた窓の外。夜の気配を含んだ風のみが、()り固まる部屋の空気を揺らす。重い沈黙がどのくらいの時間続いていたのかを知る太陽の尻尾が、名残惜(なごりお)し気にこの空を去ろうとしていた。




「キノ…ほかに聞きたいことはあるか?」


 静けさを少しも乱さぬ、(なだ)めるような優しい声で浩司が言った。キノはまばたいて、浩司を見つめる(ひとみ)から涙を落とす。けれども、その唇は言葉を(つむ)げない。


「俺の祈りは、自分勝手なものだとわかってる。記憶を消しても、俺と会わなかった場合の未来に繋がるわけじゃない。忘れさせても、過去がなかったことにはならない」


 まるで自分自身に言い聞かせるかのような口調で、浩司が続ける。


「それでも、俺を思い続ける可能性はなくなる。希由香にとってもその方がいいと…決めたのは俺だ。あいつの運命を他人の俺が選ぶからには、後の後悔も全て俺が負う。死ぬ時にする一番の後悔は、もう決まってるがな」


 浩司の視線はキノを正面に(とら)えている。けれども、その()が見ているのは、キノではない何か。心の奥に(ひそ)深淵(しんえん)、その底に秘める切ない思いの向かうべきところ。語ることを禁じられた切望(せつぼう)と、憧憬(どうけい)し続けるもの。


「希音…大丈夫か?」


 心配と不安の色をありありと含んだ声で、涼醒が言った。何も言わず身動きすらせずに浩司に目を止めたまま、キノは全く反応を見せない。その横顔を悲痛な()で見つめ、涼醒が続ける。


「浩司の祈り…納得出来たのか?」


 涼醒がそう(たず)ねたのは、キノの肯定を予想してではない。むしろ、否定して感情を(あらわ)にさせたいがための問いだった。


 これまで、動揺する事柄を受け止めようとする時、キノは心に()く感情を表に吐き出してきた。疑問を問いただし、自らを納得させてきた。どうにもならないとわかっていることに(なげ)いても仕方ない。それを自覚しながらも、心に()まる(おり)をいくらかでも()き放ち浄化することを、(いきどお)りや悲しみと対峙(たいじ)する助けにしてきた。


 そして、今、キノはただ静かだった。それがかえって、キノを思う涼醒の心を緊張させている。

 身体(からだ)に受けた傷は、外よりも中への出血の方が危険な場合が多い。時に心も同様と言えるだろう。落ち着きと対極にある、(さい)たる動揺の表れ。キノの平静さはそれだと、涼醒は危惧(きぐ)していた。


「希音…? 浩司に聞きたいことも、言いたいこともないのか? ずっと不安で、知りたかったことだろ? 聞いて満足したんなら、どう思うかくらい言ってみろよ」


 涼醒は、故意(こい)に強い口調で言った。キノの心を外へと向けるために。無言で涙の原因に飲み込まれるのを待つより、非情な運命を(ののし)り泣き(わめ)いてほしかった。内に抱え込む感情の爆発に、精神を危うくされてしまう前に。


「浩司の望みを叶えてやりたくて頑張ったんじゃないのか? おまえも、自分が納得した上で発動させたいだろ?」


 キノはピクリとも動かない。その耳に聞こえているはずの言葉は、心を揺すりはしても、そこから思いを連れ出すに至らないのだろうか。


「涼醒」


 浩司が溜息(ためいき)をついた。キノと合わせていた目をゆっくり涼醒へと移す。


「しばらく放っといてやれ」


「だけど…」


「後から、キノの言い分を聞く時間はまだある」


 キノに()めていた視線を引き()がし、涼醒が浩司を見る。


「あんたの祈りは…」


 (かす)かに眉を寄せながら言いかけ、涼醒は言葉を途切らせた。頭を振って(うつむ)く涼醒に、浩司がつぶやく。


「おまえにも謝らなけりゃな」


 涼醒が顔を上げるのを待って、浩司が続ける。


「すまなかった。おまえにどれほどのプレッシャーを与えることになるか充分承知の上で、精神が()たないかもしれない危険を冒した。どうしても護りを見つけたいというのももちろんあったが…その在処(ありか)がわかった時は、キノに話さなけりゃならない。それを先に()ばしたかったのも、理由のひとつだ。出来れば、知らせずにおきたかった…護りを手に入れるまではな」


 浩司は手元に落とした視線をキノへと向けた。口を開こうとした涼醒が、ふいにドアを見やる。


「誰か来る」


「…汐だ。俺を呼びに来たんだろう」


 浩司の言葉が終わらぬうちに、ドアが控えめにノックされた。


「今夜、館にいる者達に、ジャルドが話すことになってる。何がどうなったのか聞かなけりゃ、皆帰るに帰れないらしい」


「あんたもその集会ってやつに?」


「実際にラシャに降りても、この力を使っても…自分がリシールの継承者だという実感はない。だが、それ以外の俺は…もういないも同然だからな」


 そう言って立ち上がった浩司を目で追うキノの頭が動いた。小刻みに首を左右に振るその頬を、新たな一しずくの涙が伝い落ちる。それが何を(うれ)うものなのか、何に対しての否定なのか語ることもなく、キノは再び時を止めたかのように静止した。


「キノ、これをラシャに持って行ってくれないか」


 無言のまま痛いほどの眼差(まなざ)しを向けているキノの手に、浩司が何かを握らせる。


「シキに、預かっててくれと伝えて欲しい。それともうひとつ…祈りに変更はないとな」


 浩司は力の抜けたようなキノの手の平を固く閉じさせ、その(こぶし)を両手で包んだ。


「おまえに…あいつの記憶を残したままですまない」


 キノの(ひとみ)が揺れる。何を伝えたいのか、何を見透(みす)かしたいのか。その意思を表さぬ心の(のぞ)き窓は、ぼかされた(うつ)ろな輪郭(りんかく)すら外からは見えない。


 キノの視界から、浩司が消える。


「集会が終わったら、戻って来てくれ。話はまだ終わっちゃいないよな。あんただって、希音が納得してるとは思ってないだろ?」


「…それまでに、キノを落ち着かせてやれ」


 涼醒にそう言い残し、浩司は部屋を出て行った。



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