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知らないほうが幸せか ②

 館内は、今朝までとは打って変わってひっそりとしていた。階下の客間に来るまで、キノは誰の姿も見かけていない。そっと引いた扉の向こうにも人影はなく、正面の窓からの弱い明りだけが、静かにキノを出迎える。

 無人のテーブルをしばし見つめ、キノは続き部屋のドアへと向かう。


 希由香の眠るこの部屋に、浩司がいる。それは(かん)でも何でもなく、当然のことのようにキノには思えた。

 二人のいるこの空間を、無粋(ぶすい)な侵入で乱したくはない。ノックしてから入るべきかどうか一瞬ためらった後、キノは緊張した指先でノブを回した。自分が来たことを浩司はとうに気づいているはずだと思いながらドアを押す。


 室内は薄暗かった。暮れる陽の最後の明りの中、ベッドを背に床に腰を下ろしていた浩司が、キノを見て立ち上がる。


「少しは休めたか?」


 そう言って微笑む浩司に、思いつめた様子はない。その()は、様々な葛藤(かっとう)を経てなだらかにならされた心の表面のように静かだった。


「うん…」


 キノはベッドのそばで足を止め、浩司の()から希由香へと視線を移す。


「ここで話すつもりで待ってたの?」


 昨日と変わらぬ穏やかな寝顔を見つめたまま、キノが(たず)ねる。


「いや、上の客室で話した方がいいだろう。その前に…おまえに忘れずにいて欲しいことを、もう一度言っておきたかった」


 キノが振り向く前に、浩司が続ける。


「希由香だ。もう昨日会ったか?」


「うん…もうすぐ浩司が来るからって伝えたの。ほかのことも…」


 キノの真直ぐな眼差(まなざ)しを一瞬受け止め、浩司が希由香を見る。


「時間を止められて、まばたきも息もしない。だが…人形じゃない。おまえが夢で見た記憶の持ち主だ」


「ちゃんとわかってるよ…私は希由香じゃない。だから、こんなに不安なの。自分のことなら、何を選んでもその後悔も自分のものだけど、私のことじゃない。人の運命を変える強さはないのに…浩司の祈りを聞けば、それが彼女の望まないものかどうかわかるから…怖いの」


 キノは、浩司の視線が希由香から自分へと移るのを待つ。


「私は希由香じゃないけど…彼女の望まないことは、きっと私も望まない」


「…キノ。今ここで約束してくれ」


 浩司がキノを見る。


「俺の祈りが何だったとしても、護りをラシャに持ち帰り、シキに発動させると」


「私が…どうしても嫌だと思っても?」


「そうだ。おまえにはわかってもらえると思ってるがな」


「希由香には納得出来ないことだから…彼女の前で話したくないんでしょ?」


 見つめ合う二人を、沈黙が包む。浩司の(ひとみ)(かす)かに揺れ(まど)うのを見て、キノは答えを待たずに続ける。


「浩司…私に理解出来るって思うのは、どうして?」


「…希由香が悲しむとわかってることを、俺もおまえも選べない。あいつ自身が望むと知っててもな…違うか?」


 浩司の静かな(ひとみ)。そこにある闇は、(ほの)かな光に宿る彼の本心を押し包んでいる。浩司の心が(しん)に切望するもの。それを確認するべきは自分なのだと、キノは感じる。

 たとえ、浩司をもう一度、葛藤(かっとう)の苦しみの中に引き戻すことになろうとも。

 キノがうなずいた。


「わかった…約束する」




 二階に上がった浩司とキノが客室の前まで来ると、隣の部屋のドアが開いた。


「涼…」


 自分と浩司よりも憔悴(しょうすい)し不安気な涼醒の顔を見て、キノはかける言葉を飲み込んだ。


「希音。浩司の話…俺も一緒に聞いていいか?」


 不自然にさり気なさを(よそお)う声で、涼醒が(たず)ねる。


「うん、私はかまわないけど…」


 キノは浩司を見る。開けたドアを支え、浩司がうなずいた。涼醒に向けるその()に、(かす)かな安堵(あんど)の色が通り過ぎる。


「入れ」




 部屋に入ったキノがベッドに腰掛けると、涼醒も少し離れたところに腰を下ろした。灯りを点けてドアを閉めた浩司が、机の前の椅子を二人の方に向けて座る。


「おまえたちには本当に感謝してる。あらためて礼を言う…ありがとう。キノだからこそ、護りを見つけられた。そして、涼醒でなけりゃ、キノを守りきれなかっただろう」


 涼醒が力なく首を振る。


「俺は、希音のそばを離れた…あの後、あんたが間に合ってくれたから無事だったんだろ? もし…」


「おまえがそう決断してなけりゃ、二人とも(つか)まって、キノは辛い選択を迫られてたはずだ。俺がおまえの立場でもそうした」


 キノは涼醒を見つめる。


「ひとりで逃げてる時も、涼醒はずっと守ってくれてたよ。だから、私は(あきら)めないでいられた…」


 涼醒から浩司へと視線を戻すキノの()からは、その真摯(しんし)さは変わらずに、微笑みだけが消えていた。


「浩司の望みを叶えたかったから」


 私は…それが何かを知っても叶えたいと思う? 何を聞いても後悔しない? 自分がもっと意気地なしで、涼醒も頼りなくて、(あきら)めちゃってた方がよかったって…そう思わずにいられる?


 キノの心が自問自答する。


 真実を知りたいと思ってる。なのに、知らない方が幸せなこともあって、今聞こうとしてるのはそれだと…何故(なぜ)かわかってる。どうしても知りたいと言ったのは私だけど、自分のしたこととしなかったことの結果を知るのが怖い。真実を受け止めるだけの強さが…私にはあるの…?


「俺がラシャの使いとしてイエルに降りたのは、前にも言ったように、ラシャの者におまえをまかせたくなかったからだが…それだけじゃない」


 浩司が静かに話し始める。



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