もうひとりの継承者①
扉をわずかに開き、奏湖が外にいる者と話し始める。涼醒の声が、静かな室内に響いて来る。
「希音が無事かどうかだけ、この目で確かめさせてくれ。その後俺をどうしようがかまわない。浩司がいるなら、あいつにまかす」
ジャルドが部屋を見まわした。
「話し合いをする間、この部屋には誰も入れない。私と奏湖と、あなたたち二人だけ。そう希望したのはあなただけど…どう? 涼醒君も同席させたいのなら、私に異存はないよ。ただし、彼が妙な真似をしないように、こっちの者もひとりつけるけどね」
「あいつを質に取っても無駄だ」
浩司が答える。
「言っただろう。これは取引じゃない。おまえは諦めるしかないとな」
「話はまだ途中だよ。それに、質は無駄だと言いきれるなら、涼醒君が扉のどちら側にいても同じじゃないかな」
浩司がキノを見る。涼醒の声を聞いてからずっと、キノは浩司を見つめていた。その瞳が訴えるものを、浩司はすぐに了承する。
「部屋に入れてくれ。だが、向こうにな」
浩司がソファーを示す。
少し前までジーグのいたこの客室。ほぼ中央にダイニングテーブルがあり、キノは再びそこに座している。そして、廊下側から見て左側にソファーとローテーブルが置かれ、右側に連なるキャビネットの向こうの壁に続き部屋へのドアがある。
キノと浩司は窓を背に、広めのテーブル板を挟みジャルドと対峙している。身を乗り出せば手の届く位置にいるのを避けたい双方にとっては、丁度いい距離だった。
「じゃあ、話し合いはあくまで私たちだけでということでいいね」
ジャルドが奏湖へと目を向ける。
「奏湖、涼醒君を連れて来たのは誰だ?」
「…リージェイクよ。庭で会って話したみたいなの。希音さんと浩司が館にいるからって…」
振り返った奏湖の顔には、微かに困惑の色が浮かんでいる。ジャルドの視線が一瞬宙に静止する。その瞳を掠めた陰りに、気づいた者はいない。
「継承者の方が都合はいいけど…ほかの者にする?」
「いや…リージェイクが、涼醒君に逃げろと言わずここに来させたのなら、彼でいいだろう。二人を中に」
奏湖が支える扉から、涼醒が姿を現した。
「涼醒…!」
キノは思わず声を上げる。
涼醒の口元には、まだ新しい痣があった。こめかみの辺りから流れたと思われる血の痕が、片方の頬半分を赤黒く染めている。けれども、自分の足で歩けるところから見て、大きな怪我はしていないようだった。
「希音…無事でよかった」
キノに向けた涼醒の顔が、安堵の笑みを浮かべる。
「涼醒…怪我を…」
「ただのかすり傷だ。それより、俺が戻って来たのはおまえの負担になるためじゃない。自分の面倒は自分で見れる。だから、俺のことは考えるなよ」
キノを見つめる涼醒の瞳は、浩司と同じ強い意志を持っている。
その後ろにぴたりとついて部屋に入って来た男が、涼醒の耳に何か囁いた。うなずいた涼醒が、浩司へと視線を移す。
「俺は、希音が無事ならそれだけでいい。浩司…あんたを信じるよ」
「わかってる。心配しなくていい」
浩司の言葉にほっとした様子で、涼醒がジャルドに目を向ける。
「話し合いとやらを続けてくれ。俺は口出ししない。この男に俺を傷つけさせたけりゃ、好きにするさ」
「それは成り行き次第かな」
ジャルドがテーブルへと向き直る。
「二人に紹介しておくよ。リージェイク・ソプカー…継承者の一人だ」
リージェイクを見ても特に反応を示さない浩司とは違い、キノは目を見開いた。
銀に近い金髪に灰蒼の瞳をしたこの男に、キノは見覚えがあった。誰かはわからない。リシールであることさえ知らなかった。けれども、キノは彼と一度だけ会っている。2年前の夏の希由香の記憶の中で。
護りを拾ったあの丘で希由香と彼が話したことを、キノは鮮明に憶えている。見知らぬ者同士が共有し合った、穏やかな空間を憶えている。
この人が…ジャルドと同じリシールの継承者だったなんて…でも…。
口にこそ出さずにはいられたが、キノの頭の中には、リージェイクに聞きたいことが次々と浮かんで来る。
物言いた気なキノの眼差しを捉え、リージェイクが微笑んだ。
この瞳…あの時と同じ…そして、汐さんのものと同じ、悲し気で優しい…鏡に向かって微笑んだ時に見た、希由香の瞳にもあった温かい…光の影…。
「話が済むまで、黙って座ってて」
奏湖がソファーへと促す。
「汐はどこに?」
リージェイクが尋ねる。
「向こうの部屋で、ジャルドの連絡を待ってるわ。必要な時のために、ナイフを手にした男たちを従えてね」
リージェイクは眉をひそめ、右手にあるドアを見やった。
「その必要はないでしょう。一族に無関係な者を巻き込むのは、間違っている」
「あなたの意見は聞いてないわ。とにかく、涼醒君から目を離さないで。話はもうすぐ終わるはずよ」
扉を閉めた奏湖が、テーブルに戻る。涼醒とリージェイクがソファーに腰を下ろすのを待って、浩司が口を開く。
「ジャルド。護りの力で継承者を見つけたとしても、俺がおまえたちに協力することはない。絶対にな」
ジャルドが頬杖をつく。
「だから、護りは諦めろって? 説得力のない話だね。実際に9人の継承者が揃い、一族の繁栄が願える状況になった時、あなたが反対しないと、何故、今わかる?」
「俺がそう決めてるからだ」
「なるほどね。だけど、気が変わるかもしれないよ」
「ここから出た後で、おまえが俺の気を変えるために出来ることがあるなら、逆も同様だ。そう覚悟しておけ」
「…大切なものの重さを比べるのにいい方法を知ってるよ。まあ、繁栄を願うのは後のことだ。3年もあれば世界も変わる。とりあえず…今は護りだよ。私が諦めざるを得ない理由がほかにもあるなら、出し惜しみしないで言った方がいい」
浩司が目を閉じ、すぐに開く。
「俺がリシールのことを詳しく知ったのは最近だが、存在してるからには、それなりの必要性があるんだろう。ラシャもな。だが、おまえが一族を増やしたいのは何のためだ?」
「自分の種族を増やすことを願う…生き物の純粋な欲求じゃないか? 少なくても、絶滅を望むよりは自然な発想だ。反対するあなたの方がおかしいと思うよ」
「いいか悪いかは別として…人間は繁栄してる。リシールは、ラシャの力を持つというだけだろう」
ゆっくりと頬から手を離したジャルドの瞳が暗くなる。
「私たちは人間だが、決して同じじゃない。浩司…あなたもそれが身に染みる時が来るよ。その時、私が何を思い何を決意したか、きっとわかるだろう」
「そんなのは、とっくに身に染みてる。おまえが何を決意しても、一族の繁栄を願うことに同意はしない」
「…あなた自身の意見以外にも、これだという理由があるんだろう? それを聞きたいね。自分の運命を嘆いて、リシールの繁栄から目を背けてるわけじゃないはずだ」
重苦しい沈黙が部屋全体を覆い包む。浩司が静かに深い息を吐いた。
「ヴァイのリシールが繁栄を願う時、世界の崩壊が起こる。その予言は聞いてるな?」
「それが? 崩壊はいずれ起こる。それを止めるための護りの力だ。私たちが手にしても、世界が守られることに変わりはないよ」
「…この崩壊は、護りの力では避けられない」
ジャルドが眉を寄せる。
「どういうことだ?」




