敵の手②
「森にいる者たちのことはわからないわ。一族以外の者だって入り込めるんだし。でも、門はいつも8時には閉め…」
奏湖が言葉を止める。
「何だ?」
携帯の向こうの気配を窺いながら、涼醒が語気を強める。
「門の鍵…かかってないはずだわ。だってそうでしょう? 館にいる者は誰も外に出られないんだもの。鍵は私も持ってるけど、今夜はまだ館に帰ってないの。お昼過ぎに一度戻ったけどね」
「一族が集まってる時に、夜遊びしてていいのかよ?」
「私が館にいたって、何の役にも立たないもの。ジャルドやほかの継承者たちが来てる時は特に…息が詰まるわ。それに、ラシャの者も苦手よ」
「昼間帰った時の様子は? あれだけの大人数が外に出るなと言われて、何して時間潰してる?」
「大人しいものよ。いろと言われた場所で、読書でもしてるんじゃない?」
「ジャルドや姉貴は?」
「会ってないわ。あなたたちが出掛けた後、客間に籠ったきりよ。継承者たち全員…ラシャの者と一緒にいるの。トイレに行く以外は部屋から出ないことにしたらしいわ。お姉ちゃんは、0時に中空の間にいる義務があるけどね」
「ジーグと、あの部屋に?」
「そう。ジャルドが、自分は怪しい動きをしてないって見せるためじゃない?」
奏湖の忍び笑いが聞こえる。
「それでも、誰かが森にいて、あなたたちが戻るのを妨害してるって聞いたら、ラシャの者はジャルドがやってると思うのかしら?」
「もちろんさ」
「どうして? ジャルドの信者が勝手にやってることだとは考えないの?」
涼醒はしばしの間を置いた。
「ジャルドの信者なら勝手にはやらないだろ? それに…俺が奴だとしても、絶対の信頼の置ける者や、手足のように使える者くらい抱えてるさ」
「彼の兵隊は、みんな館の中よ」
「…何でそう言える? おまえの知らない奴らだっているだろ? それとも、ジャルドについて知らないことはないのか?」
「そんなに詳しいわけじゃないけど…」
奏湖が口籠る。
「とにかく…館に戻るなら、一緒に行かない? 私もそろそろ帰ろうと思ってたところだし」
涼醒が、隣で耳を傾けているキノに目配せをする。
「俺たちは4時半頃まで戻らない」
「え?」
「奏湖。館のまわりにいる奴らに会ったら、よく言っといてくれ。もし今度、俺たちの行く手を塞いだら…迷わず警察を呼ぶ。ラシャの制裁を受けたくなかったら、邪魔するなってさ」
奏湖が息を飲む気配が伝わる。
「涼醒君…本気なの?」
「何が?」
「警察なんて、リシールが頼るものじゃないわ。そんなことしたら…」
「困るなら、俺たちを無事に館に帰らせるように、ジャルドに言うんだな。あと、館の電話が通じない」
「電話? ああ…配線が切れたって言ってたっけ。買いに行けないから、そのままなのよ」
「なるほどな」
「…私を疑ってるの?」
「いや。だから頼んでる。護りは必ずラシャに戻ると、ジーグにも伝えてほしい」
奏湖が黙り込む。短い沈黙を破ったのは、焦りの混じる奏湖の声だった。
「あ…ちょっと待ってて。ほかから電話が入ったの。切らないでいて」
小さな電子音が、単調なリズムで続く。
キノが口を開きかけた時、奏湖の声が戻った。不自然に朗らかなその口調から、明らかな動揺が窺える。
「お待たせ…えっと、護りは戻るって伝えるわ」
「何かあったのか?」
「ううん。友たちから、明日の授業のことでちょっと…何でもないわ。じゃあ、私は館に戻るけど、あなたたちも…」
「気持ちだけ貰っとくよ」
「だけど、早く戻った方がみんな安心するわよ。あなたたちだって、疲れてるでしょう? そんなところにずっといたってしょうがないじゃない。私一人の何を警戒するのよ?」
「そういうわけじゃないさ。だけど、自分たちで行く…戻る時はな」
奏湖の溜息が耳に届く。
「無理強いは出来ないわね」
「奏湖…もうひとつだけ聞きたいことがある。今夜来る予定の継承者は、もう館に着いてるのか?」
「リージェイク? そう言えば、まだ見かけてないわ。もうとっくに来ててもおかしくない時間だけど…館の中にはいないみたい。あの男のことだから、庭で空でも眺めてるのかもね」
「そうか…」
「彼がどうかしたの? ジャルドとは正反対の男よ。ここにいてもいなくても大して変わりないわ」
「奏湖。気をつけて帰れよ。ジャルドによろしくな」
「え? 待ってまだ…」
言葉の終わりまで待たず、涼醒は通話を切った。キノに向けた瞳が笑う。
「決まりだな」
「よそからの電話…何だと思う?」
「本当に電話だったのか、誰かと直に話したかは知らないけど、何かあったのは確かさ。あの後の奏湖は、自分のついた嘘も忘れちまったみたいだからな」
「館にいるのに、まだ帰ってないって言ったのは、ジーグに替われとか言われた場合を考えてだとしても…」
キノが眉を寄せる。
「何かおかしくない?」
見つめ合う二人の脳裏に、同じ疑問がはっきりと浮かぶ。
「そんなところって言ったよな。まるで、俺たちの居所を知ってるみたいに」
「それに…奏湖さん、一度も聞かなかったよ。今どこにいるのかって…」
二人が電話をかけていたのは、ファミレスの裏側の路地だった。辺りを素早く見まわした涼醒の目が、100メートルほど先に見えるビジネスホテルを見上げた。
「希音…」
「わかった。急がなきゃ」
キノの視線が、ホテルの灯りから涼醒へと戻る。
「服の裏まで、全部調べるしかない」




