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狩りの始まり②

「涼醒…どのくらい離れてても、リシールを感知出来るの?」


「何も間になくて、5、60メートルがせいぜいだな」


 キノは(おび)えた()で、辺りを見まわす。

 月明かりの恩恵(おんけい)(よく)さない木々の群れは、童話に出て来る魔の樹海を思わせる。目口に見立てた木肌の枝跡が笑い、(うろ)の奥からはいもしない生き物の視線を感じる、恐怖心の見せる錯覚。ただし、今のキノの恐れは、闇に対してのものではない。


 涼醒が足を止めた。隙間(すきま)の開いた鉄の門まで、およそ5メートル。


「誰もいない。タクシーでここを通れれば、館の扉まで行けるな」


「閉まってたら、歩くしかなかったんでしょう? 考えたら無謀(むぼう)だったかも…。私たちを(つか)まえるのに、一日中追いかける必要なんかない。館に戻らなきゃならないってことはわかってるんだから…ここで待てばいいだけだもん」


 二人は、ゆっくりと足を進める。


 連なる鉄柱の中央にある取手の上部に、施錠(せじょう)されないままの錠前(じょうまえ)がひとつぶら下がっている。

 涼醒が、地面から浮いている鉄柵をそっと押した。


「きっと…森のどこかにいるよね。だけど、じゃあどうして、ちゃんと閉めておかないのかな…?」


「さあな。忘れたんじゃないってのは、確かだろう。もし…いや、間違いなく、ジャルドが立てた計画なら抜かりはないはずさ。ただ、その計画が急ごしらえなものなら、(すき)はある」


「浩司が現れた時から、護りを手に入れようと思い始めたんじゃないの?」


「最初の計画とは違うさ。護りを見つけに希音と降りたのは、浩司じゃなくて俺だったんだからな」


 館へと続く私道の門は左右に開かれ、車両を歓迎する道幅になる。 


「どっちがよかったのかは、まだわからないが…最後に奴らが、あいつが降りられなくて残念だったって悔しがるといいな」


「大丈夫、そうなるよ」


 繋いだ指先に力を込めて、キノが微笑む。


「…引き返すか。車でなら、途中に奴らがいてもどうってことはない」


 冷えた鉄柱から手を離し、涼醒が(きびす)を返した。


「ラシャとの(ちか)いを破ってまで、一族に貢献(こうけん)する奴はいないだろ」


「タクシーを襲ったりしたら、警察沙汰だもんね。もし、(ちか)いを破ったらどう…」


 来た道を戻り始めてものの数秒、ほんの10数歩のところで、急に涼醒が振り返った。

 キノは後ろを見る間もなく、強く握られた手を引かれ()け出した。


「走れ!」


 一瞬遅れて、涼醒が叫ぶ。


 後方に足音が聞こえ始めた頃、二人はすでに黄色いタクシーの車体に手の届く距離に来ていた。


「開けてくれ!」


 涼醒の(こぶし)がタクシーの窓を叩くと、後部のドアが開いた。キノを先に乗り込ませ、涼醒がその身を滑り込ませる。


「急いで出してくれ」


「鬼に見つかっちまったんですかい?」


 のんびりとした口調で答える運転手はそれでも準備していたらしく、すぐにタクシーを発進させた。キノたちが大通りに戻るのか先へ進むのかわからず頭を森に向けたまま待っていたタクシーは、元来た道とは逆方向へと進んでいく。


 キノと涼醒が、バックウィンドウに張りつくようにして外を見る。門へと続く道から現れた人影は、二人とも女だった。彼女たちは特に(あわ)てるふうもなく、道の両側に立ったまま、走り去るタクシーに手を振っている。

 その姿が段々と小さくなっていく。


「あいつらいったい…」


 涼醒が口を開くのと同時に、彼女たちとタクシーとの間を何かがさえぎった。


「涼醒…!」


 キノは目を見開いた。涼醒は運転手へと視線を向ける。


「この道はどこに続いてる? 大通りに抜けられるか?」


「このまま行くと森を迂回(うかい)して国道に出られるが、まだ先だ。とりあえず広い通りに出たいんなら、ほんの2、3キロ行ったところから下の道に出られるよ」


「そこでいい。とにかくこの一本道から抜けてくれ」


 再び後ろの窓に鼻先を近づけた涼醒が、キノにつぶやく。


「大丈夫だ」


 窓の外を見つめたまま、キノがしっかりとうなずく。その()は、二つの光る目を映し続けている。

 闇の中から突然出現した黒い車。そのヘッドライトがつかず離れず、タクシーの(わだち)を照らし続けていた。




 街灯のない細い道を数分走った後、中央ラインのある道路に抜けた。

 涼醒が鋭い眼差(まなざ)しで見据え続けるバッグウィンドウの向こうに、車内を射抜く黄色い目はもういない。


「追って来る車、いなくなっちまったようですね。これなら裏道に逃げ込む必要はなさそうだが…どうします?」


 バッグミラーを確認しながら、運転手が言った。


 タクシーを追跡し続けるかに見えた黒い車は、大通りに出て間もなく、忽然(こつぜん)とその姿を消していた。

 見晴らしのいい直線の道路上で、彼らがタクシーを見失うはずがない。けれども、現に追っ手は去っている。すなわち、今キノたちを追い詰める気はないのだろう。そして、彼らが護りを追っているのなら、理由もなくそれを(あきら)めることはあり得ない。


「お遊びはまだ続くんですかい?」


「ああ。でも、しばらくは休憩みたいだな」


 シートに背を預け、涼醒は深い溜息(ためいき)をついた。


「駅前の方に戻ってくれ」


「それなら、このまま真直ぐ行くだけだ」


「もう急がなくていいさ」


 (おび)えの消えないキノに、涼醒が微笑む。


「どこかで少し休むか? どうするかは、それから決めよう」


「あの車…リシールなんでしょう?」


「乗ってたのは一人だけだったけどな」


「一人でどうするつもりだったの? ただ追いかけてたって…」


「もし、俺たちがタクシーを降りるまで追っかけ回したとしても、奴には何も出来ないだろうな」


「じゃあ…」


 困惑(こんわく)するキノの横顔を()ぐ街灯りが増していく。


「お客さん、どこに行きます?」


「人通りが一番多いところにある、ファミレスか何か…混んでる店がいい。ちょっとゆっくりしてから、ゲーム再開だ」


「健闘を祈りますよ」


 バッグミラーの中の運転手は、呆れるというよりも、子供の遊びを見守るような温かい笑みを浮かべている。


「しかし、鬼に有利なゲームだ。家に辿(たど)り着くのがゴールなら、何も血眼(ちまなこ)になって追わなくても、近づけなくすりゃいいだけですからね。時間制限がなけりゃ、決着がつかないんじゃないかい?」


「そうだな…。俺たちが勝つのは、なかなか大変そうだ」


 自分に向けられたキノの()を見つめ、涼醒がうなずいた。


「あの車の役目がわかったろ? 俺たちを(つか)まえるためじゃなく、館のまわりから追っ払うためだけにいたのさ。とりあえず…今のところはな」


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