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不安の中を②

 浩司を取り巻く闇の深さ。心にしまい込むことに慣れ切ってしまった悲しみ。彼を愛する希由香の記憶と祈り。それに重なる自らの願い。そして、心の(ひだ)から染み出して来るような、浩司の祈りへの不安。


 力の護りを持ち帰る以外にも、自分の(にな)うべき役割があると、キノのどこかが(ささや)いている。


 必然が連なる数奇(すうき)な運命の先にある未来の中から、幸福を選べるかどうかもまた、偶然ではあり得ない。(しか)るべき者たちの(しか)るべき行動、その思いが複雑に絡み合い、輪郭(りんかく)のない未来を過去へと押し流すのだから。


「今は、館に戻ることだけ考えなきゃって思うのに…どうしても、その後の不安が消せないの」


 M駅へと向かう鈍行列車に揺られながら、キノがつぶやく。


「あの呪いを()く以外に、浩司が望むことなんて…全然思いつかない。それ以上の願いは、私にはないから。希由香も、具体的に何かは知らなくてもわかってた。だから、彼を救いたいと願ったの…」


 キノは、車内を映す窓に目をやった。


 一日のノルマを終え、帰宅するであろう人々。夜の下り電車の平凡な情景。


 慣れ親しんだ疲労感とともに家の扉を開ける時、昨日と同じ明日が来るという妄想を抱かぬよう。今日という現実は、常に予想の軌道(きどう)からわずかに()れる。それが(つね)だと見定められたなら、未来を(ゆだ)ねられた自らの手を(いつく)しむことが出来るだろう。


「浩司は何をするつもりなの…?」


 ガラスに映る涼醒の()が、隣に立つキノの視線を(とら)える。


「あいつが、一番望むことだろうな」


 浩司の背景を知らされてから、涼醒の不安も二つに増えていた。キノを無事に館へと連れ帰ること。そして、その心をも守ること。


「俺は…浩司の願いと、希音の願いが同じところにあることを願うよ」


 不安の正体が、キノの心を(かす)めていく。


「違かったら、自分がどうしたらいいのか、わからない。浩司のしたいようにするのが当然なのに…わかってあげられないかもしれない」


「わかるさ」


 思いつめるキノの頭を軽く撫で、涼醒が微笑んだ。


「その上で、おまえの気持ちを伝えれば、浩司もわかってくれる」


「もし…涼醒が今の浩司と同じ状況にいたら、何を願う?」


 涼醒は一瞬固まった表情を、ごく自然に緩ませる。


「何だろうな…。愛ってやつの、思いの深さも、その意味も…俺はまだわかっちゃいない。だけど…」


 二人の瞳が、切な気に互いを映す。


「知りたいと思うよ」




 午後8時40分。キノと涼醒は、再びM駅に降り立った。

 この12時間の間で二人の近くに存在したリシールは、エクスプレスが滑り込んだT駅のホームで、黙々と本を読んでいた少年一人のみ。


 辺りに気を配りながら、改札の手前で涼醒が立ち止まる。


「希音。不安にさせたくはないが…何事もなく終わると思うな」


「わかってる」


 それは確かな予感だった。


 キノは気づいていた。浩司の祈りに、(ひど)く不安を感じている。だが、そのことばかりに思いを(めぐ)らせていたのは、こっちの不安から逃れるためでもあったのだと。


「人混みは安全なはずだ。奴らが警察沙汰を起こすことはない。全てのリシールは…社会に存在を知られるようなことはしないと(ちか)ってるからな」


「…涼醒も?」


「そうだ」


 涼醒が深い息を吐く。


「おまえは必ず無事に帰す。そのためにも…もしもの時の心構えが要る」


「何…?」


「希音が今ここにいるのは、護りをラシャに持ち帰るためだな?」


「…うん」


「護りがなければ、世界が崩壊することは知ってるな?」


「…うん」


「浩司がシキと約束してることも」


「うん…だから…」


「おまえが無事なら、護りも無事だし、浩司も無事だな?」


「そうだけど、でも…」


「なら…選べるな?」


 涼醒の瞳がキノに伝える。


 もしもの時に、何を優先しなければならないか。そして、一番大事なものを守るためには、それ以外のものを(あきら)める必要があるかもしれない。


 キノは沈痛(ちんつう)面持(おもも)ちで黙り込む。


「そんな顔するな。もしもの時の話さ」


 涼醒はキノの背を押し、駅の出口へと歩き出す。


「本当は前向きに考えたいところだけど…ことがことだ。悪く転んだ時に、迷う暇がないともかぎらないからな。どうするか、頭の(すみ)に入れておくだけでいい。それと、何があっても大丈夫、自分は強いと思ってろよ」


「私、弱虫だもん…。涼醒の方がよっぽど強いし、落ち着いてるじゃない」


「俺のは虚勢(きょせい)さ。希音を守るなんて言ってるくせに、オドオドビクビクしてたら、情けないだろ」


 笑いかける涼醒につられるように、キノが微笑んだ。


「わかった。何があっても、大丈夫よ」


 緊張しつつも心の安定を取り戻したキノの()に、街の灯りが映る。頭上の星たちが気まぐれにまたたく。



 闇の深まりとともに、狩りが始まろうとしていた。


 今はまだ見えない下弦(かげん)の月が空に昇る頃、誰がどこで息を(ひそ)め、何を待ち、願うのか。そして、やがてその姿を現す力の護りは、(あか)い光を放つことが出来るのだろうか。今キノのみに見せている、闇色の輝きではなく。

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