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最後の記憶③

「希音! しっかりしろ!」

 

涼醒の声が聞こえた。キノはうっすらと目を開ける。


「大丈夫か!? 無理するなよ」


「涼醒…浩司は? 記憶に戻してもらわなくちゃ…」


 黄と紫の閃光(せんこう)(はし)るキノの視界の中で、涼醒が眉を寄せる。


「何言ってるんだ。休んでからでなけりゃ…」


「浩司、聞いてるんでしょ? 前みたいに止めないで…大丈夫だから。今は少し、希由香の心に近づき過ぎちゃって…。今度は気をつけるから…お願い、もう一度戻して…」


「…どうしてもか?」


 優しい声で、浩司が言った。


「今じゃなきゃ、思い出せないような気がするの。時間はまだあるのに…どうしてかわからないけど、今じゃないと…そう感じるの。すればよかったっていう後悔だけはしたくない。だから…」


 (うつ)ろなキノの(ひとみ)に浩司が映る。その()の奥にいつもの闇を(たた)え、キノをじっと見つめている。


「わかった」


「…ありがとう」


 キノは微笑んで目を閉じた。目を見開いた涼醒の視線が、浩司とキノの間を行き交う。


「二人とも…どうかしちまったのか!? 何のためにそこまでやるんだよ」


「涼醒、静かにしろ」


「世界のためなんかじゃないよな。希音、そんなにこいつのためになりたいのかよ。記憶だけじゃなくて、おまえ自身もこの男に惚れてるのか? 浩司、あんたもあんただ。自分の女のために希音を…」


「おまえは黙ってろ!」


 浩司の怒声に、部屋の空気が一瞬にして麻痺(まひ)したかのような静寂に包まれる。


 目を開けたキノは、浩司と涼醒が(にら)み合ったまま動かずにいるのを見つめた。


「いいか、涼醒。俺もキノも、何かのため誰かのために無理をするんじゃない。自分自身のためにだ」

 

浩司の静かな声が、(あお)い室内に響く。


「守りたいなら、身体(からだ)を張るだけじゃなく、心を大事にしてやれ。本気でやろうとしてることを()めたりするな」


「涼醒…」


 弾かれたように、涼醒がキノを見る。


「私…護りを見つけるのが自分の使命だって言われた時、誰が決めたの?って思ったの。だけど…今ならわかる。ほかの誰でもなく、私よ。必然も、どうにもならないこともあるけど…道がひとつしかなかったとしても、その先に行くって決めたのは私だって…わかって」


 涼醒を見つめるキノの(ひとみ)は、時折揺れながらもその強さを失うことはない。


「俺もキノも、運命にただ従っているんじゃない。自分の意思で選んでる。それに、おまえはどうなんだ。頭が割れそうに痛むのを知っててここに来たのは、キノのためだけか? キノに来るなと言われてたら、大人しくイエルで待ってたのか?」


「俺は…希音を無事に連れて帰りたいんだ。ラシャから、このいろんな状況から、希音を守ってやりたい…何をしてでも。それは…俺自身のためだ」


 涼醒の視線が浩司へと向けられる。


「俺が希音にしてやれることがひとつでもあるなら…誰がどう言おうと、自分の意思でそばにいるよ」


「…なら、わかるな。黙って見てろ。命を()けてるわけじゃない。ぶっ倒れるくらいで血相変えるな」


 一旦(いったん)伏せた目を上げ、涼醒は真直ぐに浩司の()を見て小さくうなずいた。


「あんたの言ったこと…(きも)(めい)じとくよ。ちゃんと心も守ってやれるように…。イエルに戻る時、俺は希音に笑ってて欲しいからさ」


 浩司の顔から険しさが消える。


「頼りにしよう」


「…守るって、どうして? まだ何か隠してることでもあるの?」


 二人のやり取りを聞いていたキノが、ためらいがちに口を開く。


 浩司と涼醒は一瞬当惑し、(かす)かな目配せを交わす。


「護りを見つければ、ラシャは私に何もしないんでしょ? 浩司…もう希由香を悲しませることはないって言ったじゃない。これ以上…私が心を痛めることなんか起きないよね? そうでしょ?」


「…そうだ。だから、安心しろ」


 浩司が微笑みを浮かべる。


「涼醒…? 私を心配してくれるのは、何か知ってるからなの?」


 キノの(ひとみ)は真実を切望している。けれども、今はまだ自分にさえつかみ切れていないそれと、自分自身のことではない事実を、涼醒が伝えるべき時ではない。


「希音…」


 深呼吸をした涼醒が、真剣な()でキノを見つめる。


「俺がおまえを守りたいのは…おまえが大事だと思うからだ。俺は、おまえに、自分で納得のいくことをして欲しい。それが出来るように助けたいんだ…。今、希音が俺をどう思ってようとかまわない。ただ…そばにいて、守らせてくれ」


「それは…」


 私が選ばなきゃならない運命が、この先にもまだあるってこと…?


 涼醒の言葉は、キノの疑問を打ち消すものではなかった。けれども、キノは自分に向けられるその(ひとみ)に彼の真実を見る。今は、それで充分だった。


 口にしかけた言葉を胸にしまい、キノが微笑む。


「ありがとう、涼醒」


 涼醒は何も言わずキノに笑みを返し、浩司を見る。


「邪魔して悪かった。続けてくれ」


 目を閉じるキノの額に近づけた指を止め、浩司が振り返った。少し離れたところで二人を見守る涼醒に向かい、声をひそめる。


「涼醒、おまえが持ってろ」


「これ…」


 自分へと差し出された浩司の手にある指輪を見つめ、涼醒がつぶやく。


「ラシャの指輪だろ? 持ってたって、俺には使えない」


「この部屋の扉くらい開けられるはずだ。何かあったら…シキを呼べ」


「何かって何だよ?」


 とまどいながら指輪を受け取る手の平に浩司の手が触れた途端(とたん)、涼醒の表情が強張った。


「浩司…あんた、そんな状態で…」


「わかったな」


 涼醒の言葉をさえぎり、浩司は再びキノの前に手を(かざ)す。


「浩司? どうしたの?」


「何でもない…。始めよう」


 心配するキノの目が開かれる前に、その意識を過去の希由香の元へと運ぶべく、浩司の指が動いた。


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