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祈りの行方

 どのくらいの時間こうしているのだろう。二人の姿は夜に同化し、その輪郭は部屋の一部となり動かない。

 灯りの消えた寝室の窓の下、浩司は壁を背に座っている。 床に投げ出された足。膝に乗せられた腕。きつく組まれた指。固く閉じられた(まぶた)

 (うつむ)いた浩司の頭を自分の肩にもたれさせ、キノの手がその髪を(すべ)る。

 

 これ以上はないほど優しくゆっくりと、キノは浩司の頭を撫でる。

 慈愛に満ちた指先から流れるのは、キノの切ない祈りなのかもしれない。救いたいと願う大切な者の負った傷が、自分の力では(いや)せないと知った時、唯一(ゆいいつ)(おのれ)に出来るのは、ただ祈ること。


 希由香は、浩司の幸せを祈った。自分の手によってじゃなくてもいい。たとえ二度と会えなくても、浩司がどこかで幸せに生きているなら…。母親が我が子を愛するように、それほどまでに無償で人を愛せる人間はいる。希由香の思いは痛いくらいわかる。私も、浩司の幸せを願ってる。でも、希由香の幸せも、私は願う。だから…諦めたくない。


 浩司の髪からキノの指へと、熱い体温が伝う。そのぬくもりが血を(はや)らせ胸を突き、キノは目を閉じた。  


 頭の奥で、何かが(ざわ)めいてる。何かが、見え隠れしてる…何だろう? もう少しで、手が届くのに…。


 キノの肩にかかる重みが消えた。


「落ち着いた?」


 憔悴(しょうすい)した様子で、浩司が顔を上げる。


「今までは、どうにか折合いつけていられたのにな」


 浩司は両手で前髪を()き上げ、後ろの壁に頭を打ちつける。


「希由香の祈りは、そんなに予想外なものだったの?」


「あいつは俺に…面と向かってもメールでも、ただの一度も、愛してくれとは言わなかった。言えなくさせたのは俺だが…」


「でも、本当は、愛されたいと願ってた。だから、そう祈ると思ってたの?」


「…俺に見せない本心をな」


 開いたままのドアから入り込む明りを頼りに、キノは浩司を見つめた。流した涙が、その(ひとみ)の闇をより一層深めている。


「愛してほしくても、浩司の意思じゃなきゃ意味がない。幸せになってほしいのに、自分じゃ無理だと思った。だから、せめて、祈りたかったのよ」


俺の知るはずのないところでも、実際にあいつが、自分の望みより俺のことを願ってたと思うと…想像以上にこたえるな」


「希由香は浩司に愛されないのを、何のせいにもしてないよ。自分に出来なくても、誰かが浩司を救ってくれるならって思ったの」


 キノの頭の奥で(くすぶ)っていたものが、段々とその形を成す。


「浩司…継承者の力で、呪いを()くことは出来る?」


 キノの問いに、浩司の()が揺れる。


「シェラと同じ力があるんでしょ?」


「…そのことは考えるな」


「どうして? 浩司にも出来るかもしれないんでしょ?」


()かれたか、失敗したか、どうやって確かめるんだ」


「それは…」


「不確かな成功に、希由香の命を()けるつもりか?」


 肩を落とすキノの脳裏に、揺らめいていたものがはっきりと浮かび上がる。


「護りの力は…? 世界を救えるくらいなら、呪いを()くことも出来るよね?」


 浩司の表情が一瞬強張る。


「ラシャが、そんな些細(ささい)なことに護りを使うと思うか? (あきら)めろ」


(あきら)めろなんて、浩司が言わないで! わからないよ。可能性はゼロじゃない」


 (ひとみ)を輝かせるキノを、浩司が険しい目で見つめる。


「私、ラシャに行ったら頼んでみる」


「キノ…」


 感情を抑えた浩司の声が低く響く。けれども、興奮気味のキノは、それに気づかない。 


「いざとなったら、切り札があるもん」


「よすんだ」


「シェラのかけた呪いを()いてもらう。じゃなきゃ、護りは見つけない」


「キノ!」


 初めて聞く浩司の大声に、キノの背筋が凍る。


 (おび)える()で浩司を見つめ、震える声で理由を尋ねる。


「いけないことなの…? 希由香を幸せに出来るのは自分しかいないって、知ってるんでしょう? 浩司だって…そうしてあげたいんじゃないの?」


 浩司は数秒間閉じた目を開き、薄闇の中でキノを見据える。


「いいか、よく聞け。もし、呪いが()けるとしても、俺は希由香を愛さない。それは、これまでと同じだ。だが、あいつにしてやれることがひとつだけある。そのためにも、護りは必要だ」


 小さな溜息(ためいき)をつき、浩司が続ける。


「頼む。護りは必ず見つけるんだ。そして、呪いを()くことは忘れろ。あいつを幸せにするのは俺じゃない…わかってくれ」


「そんなの全然わからない。護りの発見が、どうして希由香のためになるの? 浩司は何を望んでるの?」


「護りを、見つけた後で話す」


「じゃあ、今すぐ思い出させて。ラシャに行くまで、まだ時間はあるでしょ?」


 キノはおもむろに立ち上がり、部屋の灯りをつけた。闇に慣れた目は一旦(いったん)(くら)み、その焦点が時計の針に合う。0時15分。


 キノが浩司の前に腰を下ろす。


「護りのある場所がわかったら、ちゃんと教えてくれる?」


「…約束したしな」


 思いを含むキノの眼差(まなざ)しを、浩司が真摯な()で受止める。


「今なら、あの日の朝からでも大丈夫だよ。手紙に書いた気持ち、私も知ってる。希由香の祈りも…」


「わかった」


「浩司がしようと思ってること、希由香のしてほしいことと、同じだといいな…」

 

 ひとり言のようにそうつぶやいて、キノは目を閉じた。




      ★★★


 希由香を乗せた列車は1月14日の午後3時過ぎ、その車体を終着駅に滑り込ませた。

 多くはない人の流れの中、希由香は案内地図の前で立ち止まる。


 R市。イエルのL市辺り…。希由香と浩司の住む街は、市名は違うけど、私が今住んでるところとほとんど同じ場所だった。これも、必然の一致なのかな…。


 見知らぬ土地、見知らぬ通り、知らない空気。けれども、浩司が住んでいた街。ここで希由香は、力の護りに祈りを(ささ)げる。


 何か目的を持って歩いているような希由香だったが、その足取りは、正確な道順を知っているとは言い(がた)い。


 どこに行くつもりなんだろう? でも、行きたいところに向かってる。悲しみを感じる。切なさを感じる。胸が、苦しい…。


 所々で辺りを見まわす希由香の()が、時々遠くなる。


 そうか…目の前の景色は、いつか浩司が見たものかもしれない、この道も…。今ここに浩司が現れることはないってわかってるから、心は静かだ…。


 雪のちらつく寒気(かんき)の街を、希由香は黙々と歩き続ける。


 この日の朝、浩司の部屋に立ち寄った時、緊張と恐怖で心臓が破裂するかと思った。あのメールを受けてから、ずっとあの部屋には近づけなかった。浩司の行きそうな店にも。どこに行くのも怖くて、気が狂うほど会いたいのと同じくらい、ばったり会っちゃうのが、すごく怖くて…。


 希由香の足が速まった。木々の間を伸びる道の先に、コンクリートの塀が見える。冷たく澄んだ空気に白い息を残しながら、灰色の壁の脇を抜ける。

 キノは、目の前に広がる光景を見る。その瞬間、希由香が目的の場所に辿(たど)り着いたことを知った。


 ここに…来たかったんだ。いつか、浩司と一緒に見たかったもの…でも、もうそれは叶わない夢だから…ひとりで来た。そして、この思いをもう一度だけここで…確かめたかった…。


 長い間寝たきりだった病人が、久しぶりに自分の両足で()を進めるように、希由香は一歩ずつ足跡を刻む。砂に足を取られよろけつつ、波打ち際まで辿(たど)り着く。

 希由香は身じろぎもせず、真直ぐ前を見つめている。


 水平線に姿を奪われて行く落陽(らくよう)。空の()を浴び、その色に染まる(あい)の海。自然の()()す壮大な絵画が刻々とその色合いを変えて行く(さま)を、希由香は熱に浮かされたような()で眺め続ける。


 希由香の見たかった、夕陽を映す海。けれども、そこに欠けているものがある。

 吸い込まれるように水面に消えて行くはずの真白い雪片が、今は降っていなかった。そして、冷えきった身体を暖めてくれるはずの浩司は、もう希由香のそばにいなかった。




 まだ夜の明けぬ、朝との狭間(はざま)。R駅近くにあるビジネスホテルの一室で、希由香は独り目覚めた。

 非常灯の与える(かす)かな光が闇を不完全なものにし、それがかえってキノの寂しさを(あお)る。真っ暗で何も見えなければ、見慣れぬ箱の中に(ただ)一人いる現実に、遅れて戻ることが出来ただろう。


 キノの見る希由香の記憶は常に断片的で、砂浜からここまでの時間も、ぽっかりと抜け落ちていた。


 無事だった…。


 今どこにいるのかをようやく認識するに至ったキノは、安堵感(あんどかん)に胸を撫で下ろす。 


 ちゃんと…街中に戻って来てて、よかった…。


 空と海が濃紺になり、波の音と風の声の区別がつかなくなるまで、希由香はあの景色から離れなかった。歯の根が合わなくなり、(ひとみ)を濡らす涙が、寒さのせいなのか悲しみからなのかわからなくなった。

 そこで途切れたキノの意識が、今ここに繋がれる。


 浩司への思いを、あの海に置き去りにしては来れなかった。その代わりに自分の身を()めちゃいそうで、不安だったけど…。


 ベッドに腰掛けた希由香は、両手を額にあて、目をつぶっている。

 キノは、握った拳の中に何かを持っていることに気づいた。指先の他に、額に触れるものがある。


 小さくて…滑らかな手触り…でも、硬い…石?


 キノは時計の針を見たかった。握り締めているものが何かを見たかった。もうすぐ、あの時刻になるのではないか。そして、力の護りは、今この手の中にあるのか。


 希由香は目を閉じたままだった。

 規則正しい鼓動。安らかな心。

 キノは希由香とともに、静かな思いの中にいた。浩司への愛しさも悲しみも、胸の苦しみも遠い。身を引き裂かれるほどの切なさも、今は一歩退(しりぞ)いたところで(うずくま)っている。


 今までずっと、浩司の幸せを願い、祈ってきた。そして…これからも。ただ、気持ちのけじめをつけたい。今…ここで…。


 キノの意識が、希由香の心に呼応する。頭の中から声が聞こえる。


『お願い…どこかにいる、浩司を救える人、救うべき人…あの闇の中から、彼を連れ出してほしい。願いを叶えてほしい。どうか、力をかして…』


 そう…前にも一度、私、この声を聞いた。助けたいと思った。一緒に、心から祈りたいと…。


 希由香の思いが発した、この静絶(せいぜつ)な心からの凄絶(せいぜつ)な願いが、繋がるキノの魂を揺さぶり、その力を呼び寄せたのだろうか。

 壮絶(そうぜつ)な思いは時として、深淵(しんえん)に根づく運命にすら届く。打ちつけられた愛の(くさび)は、自らの、そして、そこにかかわる者の運命を複雑にねじらせていく。


 記憶と心の間で希由香の祈りを先導するように、キノの声が重なる。


 幸運が、いつもあなたのそばにありますように…。


『…幸運が、いつもあなたのそばにありますように…浩司を闇から救える人が、いつか必ず、現れますように…どうか、お護りください…』


 額から離した両手を、希由香が口元に近づける。その手に持つものにそっと口づけ、ゆっくりと目を開ける。

 キノは小さな石を見た。


 これが、力の護り…。


 キノの意識が、引き戻されて行く。


 まるで、浩司の…(ひとみ)みたいな…。

 

      ★★★


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