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愛と悲しみのファクター①

 私がラシャに…もうひとつの世界、ヴァイに行くことになるなんて、考えてもみなかった。希由香の記憶を思い出して、護りの在処(ありか)を浩司に教える。私の役目は、それだけだと思ってた。まだ、そこまで思い出せてはいないけど…。


 デパートからの帰り道、キノは駅前の繁華街を抜け、大通りからアパートへの脇道に入るところだった。

 最近、仕事に集中するには困難な状況にあるキノだったが、その原因は日を追うごとに増え続けている。

 浩司の解き明かしていく真実の深さにキノの頭は(とら)われ、己の無力さに心(もだ)える。そして、未知なる世界に足を踏み入れることへの、不安と恐怖。


 気持ち良い秋の夜。人々の喧噪の中を、心ここにあらずといった足取りで歩くキノは、鳴り続ける携帯電話のコール音に全く気づかずにいた。

 静かな通りの先に赤茶のレンガ風のアパートの壁が見えて来た頃、ようやくキノの手がバッグの中を探る。この15分間で3度目の、友理からのコールだった。


「お姉ちゃん? ずっと出ないから心配しちゃった。大丈夫?」


「うん、ごめん。今帰りで、ちょっとぼうっと歩いてた。きみも元気?」


身体(からだ)は元気だけど、きみのことが心配で、頭がおかしくなりそうだよ。希由香のいる世界に行くんだって?」


 キノは足を止めた。携帯を握り直す。


「何で知ってるの?」


「本当に行くの? 危なくないの?」


「…誰に聞いたの?」


 しばしの間を置き、友理が答える。


「湶樹ちゃんに。昨日メールした後、何かすごく気になって仕方なくて、今日の夕方、電話してみたの。きみは仕事中だと思ったし、私も一度、彼女と話したかったから」


「それで…聞いたんだ。浩司のことも?」


「…うん。湶樹ちゃんと同じ、リシールの継承者ってやつなんでしょう? きみの夢の、希由香の彼氏が現れたってだけでもすごいのに、普通の人間でもないなんて…びっくりするの通り越して、何か怖いよ」


「ほかには何て?」


「浩司のことはそれ以上知らないみたいだったけど、彼といる限り、キノさんは絶対に安全だから大丈夫って」


「湶樹ちゃんがそんなことを?」


「うん。どうなの? 夢では希由香に冷たかったんでしょ? 嫌な奴じゃない?」


「浩司には…いろいろな理由があったんだよ」


 ガードレールに浅く腰掛け、キノは溜息(ためいき)混じりに言った。


「今は時間もないし、詳しく説明するにはまだ気持ちの整理がつかないけど…終わったら…護りを見つけて帰って来たら、全部話す。でも、浩司は強くて優しい人だから安心して」


「だけど…」


「信じて、待ってて」


「お姉ちゃん…わかった」


「ありがとう」


 キノは身体を反らし、空を仰ぐ。連なる屋根の遥か高く、明くる日の晴天を暗示し(またた)く星たち。けれども、そこに月の姿は見えない。

 キノは、浩司と希由香が眺めていた揺らめく月輪(げつりん)を思い出す。


 あの池の(ほとり)で、浩司が言ってたっけ。『呪われてるから、誰も愛せない』って…冗談だと思った。たぶん、希由香も。あの月に不安の影を見てたのは…希由香だけじゃなかったのかもしれない。


 希由香の記憶は、キノの脳裏に刻まれ続ける。それはキノの心に何を見せ、思わせるのか。そして、ねじれる運命は、どこへ導かれて行くのだろうか。


 キノは視線を地上に戻し、記憶の夢と浩司が待つ部屋へと足を速めた。




      ★★★


 目の前の扉が開くと、見慣れた浩司の部屋だった。薄明るい室内を、そろそろと進んで行く。

 カーテンから透ける弱い明りは、夕陽の名残りでも街灯でもなく、地表に現れたばかりの朝陽だった。寝静まった空気に(ただよ)う、淡く澄んだ光。

 早朝にもかかわらず、浩司の寝顔を見おろす希由香の頭は()え、心も静かだった。キノが感じるのは、浩司への愛しさと何が起こるのかという不安。そして、身を切るような痛烈な切なさ。


 視線の先で、浩司の目が開く。希由香が(ささや)くように言った。


「起こしちゃってごめん。寝てていいよ。まだ眠る時間…」


 浩司は何も言わず、希由香をベッドに引きずり込む。


「浩…」


 開きかけた希由香の唇を浩司が(ふさ)ぐ。熱い指を、素肌に感じる。キノは、薄く開いた(まぶた)(すみ)から浩司を見る。

 感情を交えない冷めた表情で、自分を愛する女を抱く男。上昇する体温に反し、その(ひとみ)を支配する凍てついた悲しみは増していく。


 希由香は、始めから知ってたような気がする…。自分がどれだけの愛を持ってしても、浩司の心には、決して近づけやしないこと。彼の周りに幾重にも張り巡らされるこの境界線は、誰にも越すことなど不可能だと。だから、自分に出来るのは、こうして抱かれることだけだと。そして、それに(あたい)する自分でいられるうちは、せめてそばにいたいと…願ってた…。


 揺れる思考の果てに、キノの視界が戻る。

 二人が離れた後、希由香の髪を指に絡め、浩司はその頭を引き寄せる。重なる唇。これが別れのキスになると、知っているのは浩司とキノだけだった。


 十数分後、服を着て振り返った希由香の目に、浩司が映っている。来た時と同じ、閉じられた(まぶた)。その奥に(ひそ)む闇を希由香が見ることはもう、本当にないのだろうか。


 そうとは知らず、希由香は静かに部屋を後にした。


      ★★★




 キノはゆっくりと目を開き、(かたわら)らに立つ浩司を不審そうに見つめる。


「これが…希由香と最後に会った日? 別れも何も言わずに? 」


「…そうだ」


「希由香は…突っ込んで欲しくて会いに来てるわけじゃないよ」


「そうだろうな。いつだったか、あいつも同じことを言った」


「どう返事したの?」


「『なら、帰れ。それしか俺に出来ることはない』そうしたら、黙っちまったな。ほかに、何て言えばいい」


 浩司は、眉を寄せるキノの目をつぶらせる。


「4日後に、メールを送った」


 キノの意識が、再び記憶の(うず)に飲み込まれていく。




      ★★★


 見たことのない部屋だったが、キノはすぐに確信する。ここは、希由香の部屋であるに違いないと。

 自分とは違う人間。けれども、遥か昔に魂を共有していたということ以外にも、どこか共通する部分があるのだろうか。その部屋は、キノの感覚にしっくりと馴染んだ。まるで自分がもう何年も住んでいるかのように、落ち着く空間。


 ベッドに横になる希由香の両目は、しっかりと開かれている。無表情な顔に、どこも見ていない(ひとみ)

 部屋を彷徨(さまよ)っていた視線が固定される。その先にあるのは、携帯電話の画面だった。

 キノはそこに浮かぶ文字を読む。


『おまえにもう用はない 俺のことは忘れろ 二度と来るな』


 無機質な活字の群れが、浩司からの別れを告げていた。


 希由香…? 


 キノは、希由香が悲しさも苦しさも感じていないことに気づく。その視界さえ、涙に(ゆが)められる気配は一向にない。


 この…感覚は、無だ。少しの実感もない。心が(こうむ)った傷が、あまりにも突然で、深すぎて…。


      ★★★


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