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40日目. 決意

「それは……」


奏音の言うことは、僕が思い描いていた薄っぺらい未来図よりもはるかに分厚く、しっかりと軸を通していた。


奏音に言われるまでは「何とかなるよ」で済ましていたことだ。だが、ここまで来てやっと気づいたのだ。「何とかなる」では済まない所まで到達していたことに。


「普通に考えてみてよ。『メリーさん』はあの外務大臣の娘なんでしょ? そんな虎の子を赤の他人と一緒に住まわす? 私なら冗談でもしないよ」

「……そうだな」


彼女の正論に、僕は最低限度の音数で応じる。


『何故メリーさんを僕に預けたのか』誰でも考えたらすぐに思いつく疑問だ。


メリーさんは政界でも店長も上の地位にいる外務大臣の娘。対して僕は高々――――に所属しているだけの平社員。師弟以前に社会的な重さが違う。


「仮に100万歩譲ってヒロが選ばれたとしてもいいよ。でも、将棋や囲碁の世界じゃあるまいし、師匠と弟子の関係なんて精々『学校の先生と生徒』レベルでしょ?」

「………………」


全く持ってその通りだ。たかが教師と生徒、恐らくはその程度の関係性、それが勉学における普通の師弟関係だ。


余程のことがない限り、教師と生徒との関係は至極単純、『教師は勉強を教え、生徒は勉強を教わる』、これに尽きる。それ以上もそれ以下もない、ギブアンドテイクの関係性だ。


僕はメリーさんの親から授業料を受け取り、メリーさんは資格を取得するための知識を蓄える。それだけだ。


奏音は真剣な眼差しで話を続ける。さっきまで酒が入ってたのが嘘のようだ。


「もし彼女が資格を取り終わって、それでヒロはどうするつもりなの? 彼女のために一軒家も買って、彼女のために職場から近い物件を選んで、彼女のために容易く有給を取る。今まで有給を取ったことがないヒロがだよ? そこまで彼女のために色々費やしたヒロは、その相手がいなくなったらどうするつもりなの?」


物凄く形相で睨んでくる奏音に思わず尻込みしてしまう。その顔怖すぎるんだが……もう嫁に行けな――何もないです。


奏音は一度大きくため息をついた後、彼女は俯き、さっきまでの高圧的な話し声ではなく穏やかな声音で優しく話を続けた。


「あのね、私は彼女と別れて別の生活を送れとか、彼女がいなかった以前の生活を送れと言っているわけではないの。でも、仮にヒロの元からメリーさんがいなくなったとき、ヒロがどうなってしまうか心配で……」


話すうちに、目の前に座る奏音の瞳に段々と涙が浮かび上がってくる。その涙は彼女の頬を伝わり、綺麗に揃えられて鎮座している箸の上へと一滴一滴細かな飛沫(しぶき)をあげて落下していく。


「ごめんね。泣くつもりはなかったんだけど……涙が止まらなくて」


そう彼女が言う間もゆっくりと頬から水が滴り落ち、箸に落ちる。僕は彼女へ手持ちのハンカチを手渡すと、しばらく話していなかったため錆びついていた口をどうにかこじ開け、僕も思いを打ち明ける。


「……僕も同じだ」

「…………え?」


僕の回答に、彼女はさっきまで俯いていた顔を上げ、こっちのことをまじまじと見つめ始めた。少し恥ずかしくなって、彼女の視線から思わず顔を逸らしてしまう。


僕は話を続ける。


「僕も同じだったんだよ。大臣から「メリーさんを弟子にしてくれ」と頼まれたときには何事かと思ったし、最初はこんな夢物語なんてありえないと思っていた」


本当にそうだ。大臣から「話があるから食事に行こう」と誘われたときも「もしかして何かとんでもないことをしでかしたのでは……」と内心冷や汗をかいていたし、その後何だかんだがあってメリーさんと同棲することになったときには「あれ? これ本当に現実?」と頬を思い切り引っ叩いたこともあった。あれはめちゃくちゃ痛かったです……。


つい最近の出来事のはずなのに、もう何十年も前かのように感じるあの日を思い馳せながる。


僕は話を続ける。


「それは1つの嬉しさであったのと同時に、不安もあったよ。僕なんかが師匠で良いのか、っていう不安が今でもずっと心の中で渦巻いている」


正直な話、フランス大統領の件で僕が外務省に選ばれたことを店長に聞いたとき、人の目がなければ僕はその場で狂喜乱舞していただろう。少なくとも脳内ではそうしていた。僕が選ばれたということは、今回の件に関して水本先輩よりも、同期入社だった社員よりも、雲の上の存在だった上司よりも、誰よりも僕が優れているという証だったのだ。


それを凌ぐほど嬉しかったのがこの「メリーさんを弟子にする」という出来事だったのだ。


彼女を育て上げるという責務を大臣から受け取り、自分の好きな旅行について教える。それが何よりも嬉しかったし、メリーさんが大臣の娘であったという事実も、……下衆な話ではあるが嬉しかった。


だが、このことを「嬉しい」「楽しい」だけで終わらせるほど僕も子供ではない。


大臣に「メリーさんを弟子にさせてください」と言ったとき、心の中に小さな不安が芽生えた。


「本当に僕なんかが師匠で良いのか?」


大臣は「秦野くんが一番師匠としてふさわしい」と言ってくれた。自分の事を褒め称えるわけではないが、大臣の観察眼は優れていると感じる。フランス大統領の件でもその観察眼は大いに役に立ち、色々と物事が円滑に回るように尽力してくださった。


だが、大臣の観察眼がどんなに優れたものであったとしても、僕なんかがメリーさんの師匠を務めれるのだろうかという不安を拭い切れるわけではない。


僕はただ旅行が好きな自他共に認める旅行オタクだ。それを悪いとは思わないし、誰も悪いとは言わないだろう。


ただ、それだけだ。僕には旅行しかない。どれだけ地理・歴史ができても、どれだけ運賃の計算ができても、どれだけ観光地に対しての知識を持っていたとしても、それだけだ。僕には旅行しかない。メリーさんに教えるに相応しい社会常識も礼儀も持っていないかもしれない。それが途轍もなく不安で、僕の心に深く根付いているのだ。


そっぽを向いていたはずの顔は、いつの間にかしっかり奏音の方を向いていた。


僕は話を続ける。


「不安で不安で仕方なくて、ここ数日は寝る間も惜しんで理想の師匠像を勉強したり、何か彼女に教えれることはないかと必死に探したんだ」


旅行中も彼女が夢の国へと向かった頃を見計らって、パソコンやスマートフォン、持って来た本を読んで彼女の模範になれるような師匠を目指した。


奏音は気づいたときにはもう涙なんて流してなく、ただ僕の話を無言で聞いてくれていた。


僕は話を続ける。


「不安に押しつぶされそうになって、僕は藁にもすがる思いでメリーさんに質問したんだ。「僕は君の師匠に相応しい人物にはなれないかもしれない。それなら、僕は君に何を教えればいい?」って聞いたんだ」

「ちょっと待って、それは小学生には流石に酷な質問じゃない?」

「……質問した後に僕もそう思ったよ」


言ってしまったので後の祭りである。


数十分ぶりに彼女の笑い(ただし苦笑だが)も見ると、僕も自然と笑みが零れた。


「そのとき彼女は何て答えたと思う?」

「さあ~?」


奏音は首を45度ほど傾げ、そのまま残っているビールを飲み干しお替わりを頼んだ。ついでに僕も残っていたビールを喉の奥へと流し込み、店員さんにウーロン茶を注文する。


僕は少し大きく息を吸ってから、大きく、されど強くならないように彼女の返答を口から漏らした。


「「分かんないの! だからヒロユキの知ってることを全部教えて欲しいの!」って笑顔で言われたよ」


その言葉を聞いたとき、真剣な表情を決め込んでいた奏音は一気に破顔した。具体的には、そう、めっちゃ笑った。一目を気にしないほど豪快な笑い方だった。


「フフ……モノマネ……全然似てない……ププッ」

「当たり前だろ……」


そこは笑うべきポイントじゃないだろ。もっとほら、笑顔で言われたとかの方が面白いだろ? え? そんなことない?


ヒーヒー言いながら笑いを堪え切れていない奏音は、息を絶え絶えにして感想を口に述べた。


「それは何というか……当然の回答だよね。……フフ」

「いい加減落ち着け……」


笑ってることを除けば百点満点の感想である。なお採点基準は僕で、笑ってるため零点である。


奏音に釣られて笑いそうになるのを必死に堪え、僕は脱線した話題を元に戻す。


「まあ、その答えで吹っ切れることは出来たんだけどな」

「……?」

「いや、何というかな、もう気にしなくて済んだというか」


分かってなさそうな奏音はさっき届いたビールをもう既に半分ほど飲んでしまっている。早過ぎないか、飲むの。


僕は決意表明のように奏音へと言葉を発した。


「師匠であるから完璧であるんじゃなくて、メリーさんの成長と共に僕も成長する。だから、僕は今出来ること全てを彼女にしてあげようと思うんだ」


だから、僕は今すべきことをする。家を買うのも彼女のため、旅行に行ったのも彼女のため。彼女のためなら何にだって金に糸目もつけない……ことはないが、ある程度なら賄おう。師匠としての役目を果たすために。


それを聞いた奏音は、少し目を細めて反論する。


「でも、彼女がいなくなってからはどうするの?」

「それはその時だな。今は彼女に教えるだけだ」

「後悔しても知らないよ? 気づいたときには結婚適齢期を越えていたりして」

「結婚……ああ、結婚か。それは……中々厳しいな。今度考えておこう……」


恋愛から無縁の生活を送っていただけに結婚という単語が出てこなかったという失態を犯したが僕は元気です。


「そのときは私が貰ってあげよう」

「そのときはって……それならお前も結婚できてねえじゃん」

「…………分からずや」

「え? なんて? ビールお替わり?」

「うるさい! 今日はヒロの奢りね!」

「何でだよ!?」


僕たちの喧嘩もどきのギャンギャン騒ぎ立てる声は、鶴橋の町へと広がる、ヨッパライが発するスピーカーも通していないのに拡大されているほど大きな声の中へと消えていくのだった。

不定期投稿になって申し訳ありません。次回も不定期になると思われますが、ご理解のほどよろしくお願いします。


話は変わりまして……これがおそらく、いや、絶対に平成最後の投稿です。皆さん、平成でいい思い出は作られたでしょうか?

嫌な思いでは平成に置いて、良い思い出は令和へと持って行きましょう!

では皆さん、令和でも海ぶどうを、そして拙作「もしもし、私メリーさん。今、貴方と旅をしてるの!」をよろしくお願いします!

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