30日目. 法隆寺って実は初めて蛍光灯が付いた場所なんですよ
「次は大宝蔵院に行くの!」
「うん」
「玉虫厨子を見に行くの!」
「うん」
「はうぅ~~~今から待ち切れなくてうずうずするの~! ねえ、ヒロユキもそう思うでしょ?」
「うん」
「……ってヒロユキ! 私の話しっかり聞いてるの!?」
「聞いてるよ。さっきから同じ話を6回連続で繰り返されてるのも全部、一言一句漏らさす全て聞いた」
この15分間、メリーさんは玉虫厨子や法隆寺の魅力について息つく暇もなくエンドレスに語り続けていた。そのメリーさんのありがたいお言葉を僕は耳にタコができるほど聞きまくった。
その結果、僕は心を無にして全てを受け入れた。マシンガンの如く降り注ぐ言葉の雨に毎度毎度対応していては身が持たんのだ。許したまへ。
「ちょっとは話を聞いて欲しいのー!」と駄々をこね、完全にかまってちゃんモードに突入したメリーさんをどうにかなだめながら、彼女&僕の次なる目的地『大宝蔵院』へと向かっていた。
だがその道中、奇妙なものを発見した僕は気になってふとその足を止めた。
「ヒロユキ! 私は早く玉虫厨子を見に行きたいの!」
「なあ、この壁なんか変じゃないか? ほらここ」
そんな僕に、早く先を急ぎたいメリーさんは当然不満を露わにする。
だが、それを見たメリーさんはさっきまでの柔らかな表情から僅かに引き締まったものへと変わった。
「……それは昔ニュースでやってた落書きなの」
「ああ、落書きか……誰がこんなことを」
土壁には「殺すぞ」「ヒマやね」といった文字が掠れて書かれている。。
「書いた本人はどんな心境なんだろうな。僕には理解できない」
「全くなの」
西院大垣(重要文化財)には石か何かで擦られたような落書きがいくつも残っている。文化財の落書きは、器物破損や文化財保護法違反にあたる立派な犯罪だ。絶対にしてはならない。
「前にもあったよなこんな事件。二条城に油みたいな液体が掛けられた事件だっけ」
「そんなことをする人の心境が私には理解できないの」
「……それ、さっき僕が言った台詞なんだけど」
「さあ、早く玉虫厨子を見に行くの!」
「やっぱり無視かい? そうかいそうかい、つまり君はそういう奴なんだな?」
「師匠も訳分からないこと言ってないでこっちに来るの」
「はい、すいません」
僕の悲痛な某ヘルマン・ヘッセ的な叫びは毎度の如くスルーされる。なんだかんだ言って僕いつも心痛めてるんだよメリーさん?
だがメリーさんはそんな僕の心なんぞお構い無しに大宝蔵院へと突き進んでいく。よく言えば自由奔放、悪く言えば自由人だ。小学生らしいともいえるが……それならもっと可愛げのある対応をして欲しいと願うばかりだ。
そして突き放すときだけ師匠呼びなのも微弱ではあるが心にくる。やめて! 弘行のライフはもう赤ゲージよ! でもそんなメリーさんも可愛いから許しちゃう! ……でも師匠なんだしもう少し優しくしてね? と僕の心は中々に乱れまくっている。
とまあ茶番はさておき、玉虫厨子が公開されている大宝蔵院は西と東の2つの宝蔵、そして北側の部分にある百済観音堂で構成されている。また、この大宝蔵院、実は奈良時代や飛鳥時代の建築物ではなく、1998年(平成10年)に完成した非常に歴史が浅い建築物である。さらに、大宝と付くその名のとおり、大宝蔵院は玉虫厨子をはじめ、仏像、さらには舞踊面などの芸能品の国宝・重要文化財の寺宝を多数公開している。
そんな、大宝蔵院に来たわけだが……やはり最初はここの目玉である玉虫厨子から……
「まずは百済観音堂に行って百済観音から見るの!」
「何でやねん」
言いだしっぺのメリーさんがどうするんや! と思わず素の関西弁になるほどの方向転換ぶりに僕は呆気に取られてしまう。だが、やはりメリーさんは「そんなこと関係ないの!」と言わんばかりのスピードで百済観音堂へと駆け抜けていく。当然僕もため息をつきながらではあるが、彼女を追いかける。師匠だもの。はたの。
駆け抜けた(それほど距離はない)先にあったのは、独特な細身で九頭身の外形、背後には大きな光背を持つ仏像、木造観音菩薩立像、通称「百済観音」だ。
観音様という言葉はよく聞き、実際に観音像を見る機会も今までにはあったが、この仏像は、先ほど見た金堂の釈迦三尊像や他の仏像とはまた違った外見をしている。
「流石ヒロユキ、私の師匠なだけあるの」
「お前平気で心読んでくるのやめような。覚り妖怪か」
「違うのー! 私は普通の一般人、ホモ・サピエンスなのー!」
「わざわざ学名まで言わんでいいだろ。あと『普通』と『一般』ってほとんど同じ意味だからな?」
厳密には違うが、それを言うとメリーさんは揚げ足を取ってくるので絶対に言わない。断固として言わない。
おっと、話がまた逸れた。路線復旧路線復旧。
「で、何の話してたの?」
「聞いてなかったのか?」
「だってヒロユキからは何も言われてないの」
「確かにそうなんだが……いや、何でもない」
メリーさんが心を読んだかどうかの真偽は分からないが、第三者から見れば僕は質問を一切してない。僕はメリーさんへ問おうと口を開こうとするが、何故かその数コンマ先にメリーさんの口から回答が飛んできた。
「この仏像はさっき見た釈迦三尊像と同年代に作られたものだけど、形式は全く異なっているの」
「お前やっぱ心読んでるよなそうだよな!?」
「ノーコメントなの」
僕の問いかけに彼女は目線を観音像へと向けたまま返答した。僕のライフが更に減った。
この子は良く分からん……もう黙って相槌だけしよう。そっちのほうが絶対楽だ。
僕は瞳の中から意識的にハイライトを消し、再び心を無にしてメリーさんの話を聞く姿勢へと入った。
「百済観音は飛鳥時代に作られた仏像で、昭和26年に日本初の国宝に指定されたの!」
「うん」
「昔は朝鮮で作られたものが日本に渡来してきたものと考えられていたの。でも、近代の調査で、造られた木材が朝鮮には存在しないクスノキだったから、これは日本で渡来人が作ったものだという考えが今主流なの!」
「うん」
「で、この百済観音は古式のアルカイック・スマイルなど他の法隆寺に安置されている仏像と似ている部分はあるけど、決定的に違うのが、天衣の表現をはじめとした、横から観られることを意識して造られたその様式なの! だから百済観音は、同じ法隆寺に安置されている正面から観られることに重点がおかれている「救世観音」とは大きくその様式が異なっているといえるの!」
「なるほど、つまりこの百済観音は「日本で作られたほかの仏像とは少し違う様式のもの」という認識でいいよな?」
「その通りなの」
アーモンド形の瞳や薄っすらと浮かべたアルカイック・スマイルは、その柔和さの奥に、見るものを引き込もうとする力強さも感じられる。
僕はメリーさんの解説を耳に通しながら、その仏像の美しさに心動かされていた。気づいたらやる気もめっちゃ出てきた。百済観音様半端ないって。
メリーさんはこの仏像について色々語り終えたときには、僕もメリーさんも気分が高揚してきたのか、段々と身振り手振りも大きくなっていた。
「さあ! 次は! 玉虫厨子を見に行くの!」
「よし、早く行くか!」
「あれ? 何でヒロユキがノリノリになってるの?」
「何か感動してやる気が出たんだよ! 早く行こうか!」
「……そうなの! やっぱり私の解説には人を感動させる力があるの!」
「そうかもしれないな!」
とんでもなくハイテンションになりながら、2人揃って玉虫厨子へと向かう姿は周りからどう見えているのだろうか……。不審者に見られてないか不安で仕方がない。
このハイテンション、やはり相当五月蝿かったようで、近くの観光客に注意されペコペコ頭を下げる羽目になった。まぁ、五月蝿いので自業自得である。博物館等では静かにしましょう。
はい、そんなことがあってテンションが某〇SJの〇ライング〇イナソー並の急降下をしたところで、無事メリーさん最大の目的、玉虫厨子まで到着した。
さっき同じく僕と怒られたメリーさんは「不機嫌です!」と体現するかのように頬をフグみたく膨らませている。
「喧しかった僕達が悪かったんだし、な? 機嫌直そう、な?」
「プクー……(無言)」
「な、なら後でお菓子買ってやるから、それで機嫌直そう?」
「この玉虫厨子は、実は平成に入って作られたレプリカの内の1つなの!」
「お、おう」
テンションの上がり方凄いな……まるでアコーディオンじゃねぇか。……もしかしてわざとか?もしかして、わざと拗ねてお菓子をせびったのか?
僕の中でそんな思考が巡っているとは露知らず、メリーさんは黙々と解説をしようと目の前の看板を穴が開くほど見つめている。「即席かい!」と言わず、僕はそっと目を逸らした。せっかくメリーさんが頑張っているのだ。ここでとやかく言うのは無粋にも程がある。
なお、お菓子の件に関しては、買うと言った弘行の完全な自滅である。決してメリーさんが図って言わせた訳では無い。……多分。
「えっと……玉虫厨子は元々飛鳥時代に作られた数多くの厨子のうちの1つで、名前は実際にタマムシの羽が使われていたことに由来するの! 厨子というのは仏教工芸品の中でも、仏像を中に収めて安置・礼拝する屋根付きの工作物のことなの! そして玉虫厨子は実際の建築様式を模した造りをしていて、古代日本の建築様式を知る重要な資料となっているの!」
10分ほどロングカット。
「現在のものはタマムシの羽がほとんどなくなっているため、レプリカの製作が進んでいるの! 最初のレプリカは大阪の高島屋に常時展示されているの! そしてここにあるレプリカは平成に入ってから復元されたもので、グッドデザイン賞を受賞しているほどの名作なの!」
「ふむふむ」
「だから、この玉虫厨子は本物じゃないけど、それに勝るとも劣らない名作なの!」
「なるほど、解説ありがとう」
「どういたしましてなの!」
メリーさんの頭を撫でると、彼女は満面の笑みで返事をくれた。やっぱり彼女は笑っているほうが可愛らしい。
それから30分ほど宝物を堪能した僕たちが大宝蔵院を出ると、冬の風が冷たく吹き付けていた。
「さむっ!」
「寒いの……ヒロユキ、カイロある?」
「あ、ああ、あるぞ。ほら」
「ありがとうなの!」
メリーさんはカイロを手袋の中に入れてシャカシャカ振って暖めている。でもあまり振っても温度は変わらないんだよ? とは言わない。だって可愛らしいもの。
南大門を出て国道25号線へと向かう街道に出ると、近くから微かに太鼓の音が聞こえてくる。その音はメリーさんにも届いたようで、メリーさんは目を輝かせて袖を引っ張ってきた。
「ヒロユキ! お祭りなの!」
「そうだな。せっかくだし行くか!」
「うん!」
冬祭りを求め、僕とメリーさんは太鼓の音に引き寄せられるかのように歩みを進めた。
片目のカエル伝説などまだまだ触れたいことはいっぱいありましたが、これにて3話にわたる法隆寺編は終わりです。次はお祭り編、冬のお祭りはあまり見かけないですが果たして…?
次回は水曜日投稿予定です。
P.S.レビューしていただいたユエさん、ありがとうございます!




