2日目. 店長はビスマルク
あれから――メリーさんが初めて電話をかけてきてから今日でまる1ヶ月が経過した。
あの日から、メリーさんは毎日家に電話してくるようになった。社会人になってからは雑談をする相手などいなかったので、逆に新鮮味を帯びて何だかんだ楽しくなっている。
基本は「私、メリーさん」のみだが、たまにメリーさんのほうから話を膨らましてくるのだ。……普段は雑談といえるのだろうか? ……言える、言えるな! 僕は意識を遠い空に投げた。
今日も朝から電話がかかってきた。ナンバーディスプレイには『メリーさん』(電話番号は既に登録済み)の文字が映っている。僕はそのまま受話器に手を取り、その電話に応じた。
「もしもし」
「私、メリーさん」
「知ってるよ、おはよう」
「……何で分かったの?」
「そりゃ、1ヶ月毎日電話してきたら流石に分かるだろ」
……電話番号を登録していることは伏せておいた。絶対に「気持ち悪い」と言われるに違いない。そして、それを言われた暁には僕はもう立ち上がれない気がする。
「……気持ち悪い」
「メンタルは強いほうだけど傷つくのは変わらないからやめてくれ」
だが、悲しきかな、どうやら未来は変えられないらしい。僕は受話器を手に膝から崩れ落ちた。
「……大丈夫? 凄い音したけど」
「あ、ああ大丈夫大丈夫。ちょっとネズミが出ただけだから」
「……気持ち悪い」
……正解は何だったのだろうか? 「お前が好きだから」とか? ……だめだな。自分で考えてて虫唾が走る。この話はやめだやめだ。
ちなみに、メンタルが強いのは、HPが極端に高いか自己回復力が高いかのどちらかで、僕は後者だそうだ(先輩談)。実にどうでもいい。
「それで、今日は土産話とか持ってるのか?」
「……あるけど……聞きたい?」
「是非」
聞いて損はない。むしろ聞きたい。
「……やっぱり言わない」
「そりゃ何で」
「……ヒロユキが変態だから」
「心外だな。僕はこれでも英国生まれの英国紳士だ」
勿論、僕は根っからの日本人だ。紳士であることに変わりは無いが。
「……昨日はお母さんと仙台まで行ったの」
「へえ、楽しかった?」
「……うん」
「そうか。よかったじゃないか」
「……うん!」
言葉数は少ないが、メリーさんからは嬉しさが声から滲み出ている。素直に喜ぶところがとても可愛らしい。
「……お父さんの仕事の付き添いだったけど……お母さんと街中を回った」
「牛タンは食べたか? ほら、仙台といえば牛タンだろ?」
「……食べた。でも私には固かった」
「牛肉って玉ねぎと煮込むと柔らかくなるぞ。試してみろよ」
「……お母さんに伝えとく」
僕はメリーさんの言葉を、話が途切れないよう丁寧に繋いでいく。
「……ずんだもちも食べた」
「ずんだもち、美味しいよな。メリーさんは好きか?」
「……好き。枝豆も好き」
やばい、メリーさんがめっちゃ可愛い。『好き』ってところを何回もリピートして聞きたい。
「……変なこと、考えてた」
「メリーさんが?」
「……ヒロユキが」
「決め付けはよくないぞ。どうしてそう思った?」
「……勘。寒気がした」
「勘ね……」
そんな喋りかたした記憶無いんだが……気をつけねば。
「分かった、気をつけるよ」
「……ふふっ。分かればいい」
受話器からはメリーさんの勝ち誇った笑みがありありと浮かんでくる。子供に言い負かされ悔しいが、メリーさんが可愛いから別にいい。
「……お土産」
「え、お土産?」
「……お土産送る?」
「いいの?」
「……お母さんが送りなさいって」
「へえ……」
今、僕は純粋に驚いているのが3割。残りの7割は、メリーさんからのお土産なんてもらっていいのか、という不安だ。世間では都市伝説といわれている彼女からの贈り物なんて、一般人なら怖くて受け取れないだろう。
「分かった。ありがたく受け取っておくよ」
一般人なら、だ。僕はメリーさんと1ヶ月話していたが、彼女が悪い人には思えなかった。だから、快く受け取っておこうと思う。
「……じゃあ、今日の夜には届くから」
メリーさんは楽しさを含ませた、しかしどこか悪戯な雰囲気も残した声で会話を締めくくった。
「待ってて」
……そういえば僕の家の住所なんて教えたはず無いんだけど。……僕の背筋に悪寒が走った。
※ ※ ※
世間ではグレゴリオ暦で言う正月シーズンが終わり、一時より日本人旅行者数がグッと減少した。代わりといっては何だが、中国人観光客の数が急激に増加した気がする。
店頭に鰯の頭と柊の飾り、炒った豆と恵方巻のレプリカ、鬼のお面で装飾した僕の職場にも、確実にその波が押し寄せていた。
「おかしくないですか? 今日、中国の人としか話してない気がするんですけど……」
「せやな……俺も今日中国語しか喋ってないわ」
「え、先輩中国語喋れるんですか?」
「何や、皮肉か? 秦野君は25ヶ国語喋れるんやろ?」
「ええ、まあ」
「ええ、まあ、って関西人ならそこは否定するとこやで」
「善処します」
水本先輩は苦笑いしてからデスクへと向き直った。
反省? 勿論する気はない。だって関西人だもの。先輩もそれを理解してので、別に俺を咎めようとしない。むしろ、笑って済ましてくれている。水本先輩はやっぱり善人だ。
ちなみに、僕の会社では英語、中国語をある程度話せる必要がある。だから、さっきの僕の言葉は完全に皮肉なのだが……先輩は超善人だ。
「ん? 先輩、顔色悪いですよ。風邪でも引いたんですか?」
先輩は横に首を振りながら少し震えている。まるで何かに怯えるかのように顔面蒼白に……。
そう思ったのも束の間、突然頭上から拳骨がゴチンと鈍い音を鳴らして俺の頭に着陸した。
「痛てえ……」
頭頂部を擦りながら背後を見ると、黒髪をストレートに下ろした女性が腕を組んでこちらを睨みつけていた。
「職務中に世間話か? いい身分だな」
「店長……だからといって殴ることはないでしょう?」
「言っても止めなかったじゃないか」
「言われたら流石に止めますよ……」
「言われる前に止めるのが正解なんだがな」
「ごもっともです……」
僕が『店長』と呼ぶこの女性は、『STB』奈良支店長である野村舞だ。基本的には穏やかで優しい性格で、それでいて仕事はテキパキこなす。女性店員からは絶大な人気を誇る、店内の姉貴分的存在だ。ただし、規律違反やサボり等には厳しく、彼女の眼中でそのような行為をした者には、今みたいな拳骨制裁が待っている。そこから付いたあだ名は『鉄拳宰相』。まるで某独国の首相のようだ。……まあ、バレたら鉄拳を食らうので誰も言わないんだが。
「でも、何で僕だけなんですか? 水本先輩も一緒に喋ってたじゃないですか」
「おい秦野! 余計なこと言うな!」
しかし、僕だけが損害を被るのはおかしい。僕は先輩を巻き込み被害軽減を図る。そして、見事店長の怒りの矛先を先輩へと向けることに成功した。
一方、巻き込まれた先輩は遠くから傍観して安堵していた表情から一転、店長に対して切羽詰まって必死に弁明している。さっきまで当事者にもかかわらず傍観を決め込んでいたんだ、自業自得だろう。
「水本君は言っても変わらんからな。もう諦めたんだ」
「え?」
「私が拳骨をするやつは期待してる奴だけだ。だから秦野君、期待してるぞ」
「はあ……」
「ほら、2人とも仕事に戻れ。今は旧正月だから中国人観光客が増えるんだ。もたもたしてたら苦情が来る」
なるほど、今の時期中国人が多い謎が解けた。中国では旧正月を『春節』として大々的に祝うのだが、それが今だったことはすっかり見逃していた。
「だそうですよ、先輩」
店長が向こうへ行った隙に先輩へそう伝えた。が、先輩の周りの空気が重たい。
「……秦野……今日の夜は空いてるか?」
「空いてますけど……」
「……今夜は飲むぞ。俺の奢りだ」
「あ、分かりました」
その瞬間、僕はすべてを察したが、今の状態の先輩には流石に「NO」とは言えなかった。
その後、酔いつぶれた先輩をタクシーで自宅まで送り、家に着いてからメリーさんからの不在着信に気が付くのは、草木も眠る夜中の3時のことだった。
みなさんも仕事中の無駄話は控えましょう。上から拳骨が降ってくるかもしれません。