1日目. 「私、メリーさん」
学生や公務員、有名企業の社長でさえもが憂鬱になる、1週間の始まりを告げる日、月曜日。それはもちろん日本の旅行代理店、『Star Travel Bureal』通称STBで働く秦野弘行も例外ではない。
「いただきます」
大阪市営地下鉄の谷町四丁目駅から徒歩十分のアパートで僕は1人カレーうどんをすすっている。昨夜の夕食の残りなのだが、カレーは1日置くだけで味がしみて美味しくなるらしい。僕には違いがよく分からないが。
「ごちそうさま」
食器をササッと濯いで食洗機へ入れ、寝癖を直し、ひげを剃るため洗面所へ向かう。
毎日のように見た自分の顔だが、いつ見ても少し子供っぽいと感じてしまう、いわゆる童顔だ。そのくせひげだけは立派に生えてくるため面倒くさいことこの上ない。
身だしなみを整え終えた僕は、少ししわのよったワイシャツ、その上に黒地のスーツを羽織り職場へと向かおうとする。
しかし、そんなときに電話のベルが鳴った。
この時間帯の電話に僕は少し頭を傾げる。今は朝の5時半、急用でもない限りこんな早い時間には電話しないだろう。そして今日何か急用があるかどうかと尋ねられても、全く身に覚えがない。……急用が予定されていれば、それは急用ではないことからは目を逸らされて頂く。
少し受話器をとるか迷ったが、電話をかけてくれた人に申し訳ないので、僕は受話器をとって耳元に当てた。
「もしもし」
「………………」
だが、まさかの無言電話。
「もしもーし」
「………………」
「もしもし、聞こえてますかー?」
「………………」
「用件無いなら切りますよ?」
「………………」
何度か呼びかけてみるが出る気配はなく、電話を切ると忠告をしても話す気配はなさそうだ。仕方なく僕は受話器を置こうとする。
「……私、メリーさん」
「は?」
予想の斜め60度上からの返答に思わず気の抜けた声を出してしまう。コホンッと咳払いしてから、試しにもう一度尋ねてみた。
「今なんて?」
「……私、メリーさん」
「メリーさん、ですか……」
メリーさんといえば、何十年か前に世間を震撼させた都市伝説だ。電話に出るたびに家に近づいてきて、最後は後ろにいる、という類の話だった気がする。
「そのメリーさんが一体何を」
ブツッ。
ツーツーツー……。
しているのか、と聞く前に電話を切られた。本当に何だったのか、僕は出勤中ずっと頭の中からメリーさんとやらが離れなかった。
※ ※ ※
職場であるSTB奈良店は近鉄大和西大寺からすぐ近くの百貨店内にある。僕は鍵のかかっている自動ドアを手動で開け、バックヤードのロッカーの中へ荷物を放り込む。
今の時代、私服で業務を行う店舗もあるのだが、僕が働いている店舗ではスーツの着用が義務付けられている。おかげで着替えるのに時間を食うため、正直言ってめんどくさい。表立って文句言わない僕は大人だな。……言ってて恥ずかしくなったから今のは無しで。
しかし、本当にさっきの電話はなんだったのだろう? 都市伝説通りならば家まで来るはずなのだが、彼女は現在地を言わなかった。仮に都市伝説通りでないとしたら、彼女は一体何が目的なのだろうか?
ネクタイを締めながらそんなことを考えていると、隣のロッカーの持ち主から声がかかった。
「何やさっきから気難しい顔ばっかして。彼女にでも振られたんか?」
「恋人なんていませんよ?」
「ならあれか? 生理か?」
「僕は男です」
そりゃそうやな、高笑いした背の高い男性社員は、先輩(上司ではない)の水本勇樹だ。1つ上の先輩であり、大体のことは教えてくれるいい人だ。ただしデリカシーは無い。
今みたいな発言をしょっちゅうするため、女性社員から煙たがられているが、話すと意外といける。納豆みたいな人だ。
「今変なこと考えてたやろ」
「いえ、何も」
澄まし顔でそう答える。
「……まあええわ」
ジーッと顔を睨んできたが、僕の表情が変わらないのが面白くなかったのか、ため息をつきながら顔を逸らした。
「そんで、何でそんな顔しとったんや?」
「気になります?」
「そりゃ、弄るネタが増えるなら」
「先輩は関西人ですか」
「根っからの関西人やわ」
ガッハッハッ、と豪快に笑う水本先輩。こういう所が実に関西人らしい。
「話、逸れてますよ」
「秦野くんが逸らしたんやろ?」
「まあ、そうですね」
「じゃあ、って別に畏まる内容でもないけど、何があったんや?」
「メリーさんから電話が来たんですよ」
「は?今何て言った?」
「メリーさんです」
先輩は呆れたという顔をしている。
「その都市伝説久しぶりに聞いたわ」
「僕は初めて聞いたんですけどね、メリーさんの電話」
「いたずら電話ちゃうんか?」
「朝5時にいたずら電話は無いでしょ」
「行動時間知ってたんならおかしくは無いな」
「少女のストーカーとは珍しいですね」
「逆ならありえんねんけどなあ……」
「僕はロリコンじゃないですよ」
「でも、それが一番ありえるからなあ……」
もっとも、僕が先輩の立ち位置ならその線を疑っただろう。だが、僕は今当事者だ。無いものは無い。
スーツに着替え終わり、カウンターのパソコンを確認する。
僕の仕事はカウンター業務が主となっている。電話、メール、来客への応対がメインで、顧客の要望に応じて移動手段、ホテルや送迎の手配、さらには顧客データの管理やパッケージツアー(旅行会社が企画した旅行プラン)の案内なども行っている。
開店してからはひたすらカウンターに付いてパンフレットを紹介する作業だ。休日で、なおかつクリスマス前のシーズンである為、いつもより倍以上人数が多い。今日も家族連れや若いカップルが旅行プランの相談の為ここへと脚を運んでいる。相談内容も、「お勧めの旅行地はどこ?」という漠然としたものから「○○のホテルで一番駅から近いのはどこか」なんて具体的なものまで様々だ。
それでも、僕は一つ一つ懇切丁寧に説明するよう心がけた。どれだけ忙しくてもお客様第一なことは忘れない。それが僕のモットーだ。
そうして仕事が終わり、帰路に着こうと着替えを始めると、スマートフォンからバイブ音が鳴った。拾い上げて画面を見たが、映っていたのは『非通知』の3文字だった。
嫌な予感しかしないが、放って置いても埒が明かないのでそのまま電話に出る。
「もしもし」
「私、メリーさん」
……うん、何となく予想はしてたよ。
「君が誰かは置いておくとして……君、何で僕の携帯番号を知ってるの?」
「……お母さんが教えてくれた。あと、私はメリーさん」
彼女の「私、メリーさん」以外の言葉は初めて聞いたが、人間味は強いように感じる。都市伝説のメリーさんとは別人みたいだ。
「お母さんの名前はなんていうの?」
「お母さんはお母さんなの」
「そっか……」
「じゃあ電話切るね」
「え、ちょっ待って」
ブツッ。
ツーツーツー……。
虚しくも何の情報も得られず電話は切れた。
……とりあえず、メリーさんの母親には会ってから徹底的に問い詰めてやろう。僕はそう決意した。
初回からヒロインが出ない系小説です。どうもこんにちわ。
補足なのですが、この小説は旅行ものなので専門用語が少し出てくることがあります。例えばオーバーブッキング(過剰予約)や総合旅行取扱管理者(要するに資格)が挙げられます。できるだけ噛み砕いて使うつもりですが、万が一分からなければコメントください(露骨なコメント稼ぎ)。
次話もよろしくお願いします。それでは。