14日目. 奈良公園の朝は格別だ
奈良公園の冷たい空気にベートーベン交響曲第六番『田園』がナチュラルホルンが響き渡る、2月22日早朝。行われているのは奈良公園伝統の鹿寄せである。
鹿寄せとは、奈良の鹿愛護会が一八九二年の鹿園竣工奉告祭にて始めた行事である。
「あ、ここでV字に並んでください。鹿が来る邪魔になるので」
「お、おう」
仲夢大臣、マイロン大統領、その他日本&フランスのお偉いさん方に後退を促す。
すると、森の奥から多くの鹿がゾロゾロと春日大社の南側、飛火野へと集まってきた。その数は時間が経つにつれて、10、20、30、そして最後には約50匹の鹿が集まってきていた。
ナチュラルホルンを吹く男性にどんぐりをねだる鹿たちの光景は、まるで子供たちを引き寄せるハーメルンの笛吹き男か、はたまた最近はめっきり見なくなったお菓子をねだる子供たちか。のどかな風景を見て、両国のお偉いさん方は心を和ませているように笑を零した。
ちなみにハーメルンの笛吹き男は付いてきた子供たちをそのまま連れて消えてしまうのだが……ここでは意味が全く違うので割愛する。
「ありがとうございました」
ホルン奏者の男性が演奏とどんぐりやりを終えると、周りから一斉に拍手が巻き起こった。僕も、山科も、仲夢大臣も、マイロン大統領も、全員がこの光景に感動したに違いない。
拍手が止み、ちらっとマイロン大統領に目を向けると、さっきの感動は何処へやら。彼は鹿寄せには目もくれず近くへ来た鹿へお土産で貰った鹿せんべいを与えていた(鹿寄せの際に貰った)。自由人というか、天然というか、凄くフリーダムな人だ。
「ムッシュ秦野。自由とフリーダムは同じ意味だと思うのだが?」
「大統領、人の心は読まないでもらえますか? というか何で読めるんですか」
「勘だな」
いつのまにかフランス人は読心術を編み出していたらしい。いや、これは大統領オンリーの能力か?
その後、大統領は鹿にせんべいをせがまれながら「何!? お前! このままジビエにしてやろうか」などかなり物騒なことを言ってた。止めて。訴えられるから止めて(奈良の鹿は天然記念物に指定されているため殺傷禁止。『殺すと死刑になる』という上方落語のネタまで出来ているとか)。
本日2杯目の缶コーヒーを飲む僕に、仲夢大臣は寒そうに近づいてきた。とりあえずコーヒーを渡しておく。
「ひとまず第1弾は成功か?」
「手応えはありますね。中々楽しんでいるみたいですし」
「このまま流れが続くといいな」
「……ですね」
確かに第1関門は突破した。しかし、この後には第2、第3、……第N(Nは任意の自然数)関門が待ち受けているのだ。油断は禁物である。
「しかし、朝早かったから腹が減ったな」
「大臣、鹿せんべいでも食べますか? 材料は小麦粉と米糠なんで人間でも食べれますよ?」
「……遠慮しておく」
「まあ、普通の人は食べないですよね」
「……秦野くん、もしかして君は」
「食べないですよ僕を野蛮人か何かと勘違いしてませんか?」
「……前々から思ってたが、君中々面倒くさいよな」
「酷い!」
空気を和ませようとしただけなのに! という僕の無駄な努力は完全に無駄になった。
ちなみに10枚150円ほど。観光で奈良公園に来た方は是非お買い求めください。
「みなさーん! お腹空いてませんかー?」
すると、あさっての方向から間の抜けた声が聞こえた。
「皆さんのために茶粥を作ってありまーす! みんなで朝ごはんにしましょーう!」
その声の持ち主は、いや、僕の幼なじみの奏音は、この瞬間日本フランス両国の重役から最も注目された人類へなった。
※ ※ ※
「君は……」
「えっと、彼女は」
「弘行の幼なじみの結崎奏音と言いま〜す。どうぞよろしくお願いしま〜す」
「あ、ああよろしく」
財政会の大物を前にして、緊張せず寧ろ自分の空気を創り出す奏音は一体何者なのだろうか。我が幼なじみが段々と化け物のように感じてきたぞ……。
「私は初めてではないですよね、マドモワゼル?」
「あら? 大統領覚えていて下さったんですか~?」
「あの3つ星レストランにあんな手厳しい評価をしたのは今も昔も結崎さんしかいませんよ」
「いや〜、あれはダメですよ〜。売れてることをいいことに完全に手を抜いてましたね〜」
「我が国のレストランが恥ずかしい限りです」
「いえいえ〜、美味しい店も沢山ありましたよ〜。特に『ラ・パピヨン』は久しぶりに心もお腹も満たされました〜」
奏音と大統領が楽しげに会話する様子を、僕と仲夢大臣は遠い目で(実際は同じ席につけている)ボーッと見ていた。
「……秦野くん、彼女は一体何者なんだ?」
「俺の幼なじみですが、それが?」
「それだけには見えないんだが!? 何か他に隠してることは無いのか!?」
「あったらすぐに言ってますよ。彼女はただのバックパッカーです」
「本当なのか……」
ただ旅行先で飯ばっか食ってますなんて言ったら、僕はここで肉塊となってしまうだろう。だからこんなことは絶対に口走ってはいけないのだ!
しかし、そこで終わらないのがこの物語。
「ムッシュ秦野? 今変なこと考えてませんでしたか?」
「あなたは心を読まないでください!」
「だから勘ですって」
気づけばマイロン大統領が読心術を行使しているではないか。
油断も隙もあったもんじゃない。これからは無心で、そうだ無心で行こう。無心で、無心で、無心で……。
「あ、茶粥来ましたよ〜」
「お、本当だな」
「楽しみですね」
そうは言ってられない。僕は今回のフランス大統領おもてなし計画第2関門、茶粥への攻略へと入った。
やっと旅行小説っぽい文章が書けた……海ぶどう涙でございます。
さて、そんな哀れな作者は置いといて……この鹿寄せ、1回2万円で予約可能だそうです。興味のある方は是非。もれなく鹿せんべいもついてきます。詳しくはググって見てくださいね。
次回は日曜日投稿です。




