モブ、彼女との出会いを回想する。
お久しぶりです。お待たせしました。
題名からわかるように過去編です。アルトとアリスの出会いから婚約破棄事件までの間の話です。
本編はもう少しお待ちください。
日差しが降り注ぐ中で本を読む彼女はまるで一枚の絵画のようで美しかった。あまりの美しさに見惚れた俺は本を落としたことにすら気づかなかった。
「大丈夫ですか?」
「えっ?」
彼女に言われて初めて自分の状況を把握する。本や走り書きのメモが床に散らばっていた。
「うわぁ~!すみません!」
そのことに俺は今気づいた。どれだけ見惚れてたんだ、俺は……!あまりの恥ずかしさに赤面しつつも慌てて拾う。親切な彼女も手伝ってくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
拾って差し出されたメモを受け取る。
「これって如何に術式を効率よく省略するかについてですよね?」
「はい、そうです……!」
まさかこの術式を理解できる人がいるとは。今の主流は感覚式の魔法なのに。
頑張って学園に入れたものの俺の順位は下から数えたほうが早いくらいで、このままだと進級が危うい。筆記は問題ないが、実技が悪いのだ。俺がいる学科は実力主義なので実技を重視した採点をする。なので俺の少ない魔力で扱える魔術について調べていた。
「魔術を使う人は今ではもうかなり減りましたから驚きました。ここまで出来がいい術式の構成は初めて見ましたよ。でも、ここはこうしたほうがいいのでは?」
「えっ?」
彼女が指摘した通り、そうした方が効率が更に良かった。
「本当だ。ありがとうございます。でも、これならこうした方がいいのか?」
更に改良案が浮かび、メモに書き足していく。
「それならこれはどうでしょう?この方が先程よりも効率がいいです」
「なるほど」
お互いにメモに走り書きをして、議論し合う。それはもう熱が入りすぎて、司書の人に閉館だと言われるまで続いた。
それからも彼女と度々会い、議論し合った。それはとても楽しくて、必死に勉強していた俺の中では唯一の憩いの時間だった。そして彼女が貴族であることも、しかも公爵令嬢で第一王子の婚約者という事実も俺が知ったのはかなり後になってからだった。
「婚約者……」
その事実にかなりのショックを受けた俺はそこでようやく彼女を好きになっていたことに気づいた。彼女がかなり気さくな人だったから貴族だとは思ってもみなかった。でも、よく考えたらわかることだった。知識量も品のある動作も静謐な空気もどれも平民では持てないものだ。というより、俺が学業に専念しすぎてそういう情報収集を全くしてこなかったのも原因だ。
まさかの事実にこの気持ちを隠し通そうとした。だけど、徐々に大きくなっていく気持ちに、それも無理になってきて、だんだんと押し潰されそうになってきた。
恋って最初は楽しいけど、こんなに辛くなってくるんだよな。
「貴族って……公爵家って……、しかも第一王子の婚約者って……無理じゃん……」
知らないままの方が良かったのか。好きにならなければ良かったのか。会わなかったら良かったのか。色々と考えた。それでも俺は結局、彼女のことが好きだという気持ちは変わらなかった。最早、俺はこの膨れ上がった気持ちをどうすればいいのかわからず、ひたすら魔術の研究に打ち組んだ。
「……一体何があったのさ?」
最近、何か楽しそうだったアルトが突然、憔悴した様子に激変すれば流石の僕でも心配する。大抵のことは自分で解決できる器用貧乏のアルトがここまで憔悴するなんて何があったんだ。
「……いや、ちょっと色々あって……」
苦笑いにながら言葉を濁したことにイラッときた僕はにっこりと微笑んだ。
「いいからとっとと吐け?」
そのせいかアルトはすんなりと経緯を話した。
「アルトが色恋でここまで悩むとは…」
思ったよりも大したことはなかった。アルトにとってはそうでもなかったらしいけど。
その肝心のアルトは一通りのことを話し、沈没していた。行き場のない気持ちを持て余し、現実逃避のために研究に没頭とか、しかも三徹。
「馬鹿だよね~」
色恋とか理解できない僕には何でここまで悩むのかわからない。
「奪っちゃえばいいのに」
本当に好きなら奪えばいい。この世界は奪い合いだ。だから奪って、奪われないようにしっかりと守ればいい。
「それができたらここまで悩まないだろう」
僕と一緒に話を聞いていたエドはため息を吐きつつもお茶を用意する。差し出されたお茶を僕は受け取り、一口飲んだ。
「馬鹿じゃないの?好きな人が幸せならいいとか、力になりたいとか理解できない……!何でそうなるんだよ!?」
最終的に何でそういう結論が出るんだ!あんな風になるくらいなら、もう彼女に関わらなければいいのだ。そうすればアルトがここまで傷つくことはなかった。奪えないと言うなら、関わらなければいいだけの簡単な話なのだ。
「もしアルトが彼女を奪っても、それは俺らが知るアルトじゃないだろう?他人を尊重できるのがアルトなんだよ。それに、俺はアルトらしい思考だと思うがな」
そんなことはわかってる。アルトは絶対にそうしない。自分が傷つくとしても、彼女の友人として、最後まで彼女の幸せを願うのだ。
「だからアルトは馬鹿なんだよ」
そういうアルトだから僕は友達になったんだ。
「大丈夫ですか?何か体調が悪そうですが……」
心配そうな顔で尋ねられる程顔色が悪いらしい。三徹した後とは言えなかった。
「いえいえ、大丈夫です。ちょっと研究にのめり込んでしまって……」
このだんだんと膨れ上がる気持ちから逃げようと現実逃避していたとは本人を前に言えるはずがなかった。
「そういえば、進級試験に合格したそうですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます。アリスさんのおかげです」
「いえ、アルトさんの努力ですよ。魔力も大分増えたようですし」
学園に来る前は独学で魔法を使っていたため、かなり効率が悪く、剣の補助ぐらいにしか使ってなかった。そのせいもあって、魔力がなかなか増えなかった。本当、学園に来て良かったと思う。これで戦術の幅が広がる。
あの時のように何もできず、ただ逃げ惑うことも、無力感を感じることももうないだろう。あの地獄のような光景を見たくなくて、何とかする方法を模索して、自分や大事な人を守れる力を求めて学園に入学した。その選択は間違ってなかったと思う。
「でも、まだまだです。もっと頑張らないと」
俺は弱い。オズやエドのような力や才能はないけど、それでも俺はもっと強くなりたい。強くならないといけない。
「……アルトさんはすごいですね」
「そんなことはないですよ」
照れた俺は頭を掻く。
「いえ、立派ですよ。貴族は箔付けのためにこの学園に来ている人が多いですから。その中でも貴方はあらゆることに貪欲ですね。その貪欲さはこの学園で一番強いと思います。何で……そんなに力を求めるのですか……?」
俺の姿に彼女は何か感じたのだろう。俺が必死に勉強しているのはある事件があったからだ。それがあったから俺は学園に来た。その事件がなかったら俺はまだあそこで幸せに暮らしていただろう。昔の俺はこの剣と魔法の世界に転生したことに舞い上がっていた。まるで小説のような異世界転生を実際に体験した俺はその時までゲームの世界にいるように感じていたのだ。ゲームのようなご都合主義もリセットボタンもないのに。そんな簡単なことを俺は全くわかっていなかった。だから、それに気づいた時にはもう遅かった。何もかも全て失った後だった。
「昔の俺は馬鹿で何もわかっていなかったせいで失敗しました。だから次はそうならないように必死に勉強しているんです」
数年前、大規模なスタンピードが発生した。俺の両親や村の人達が次々と死んでいくのを見て、ようやくゲーム感覚だった俺の目が覚めた。ここは紛れもなく現実なのにそれを全然わかってなかった。俺はここで生きていて、死ぬこともありえるのだと。この世界では人は簡単に死ぬ。前の世界よりも命の価値は低いのだと。
俺がそれに気づいた時には手遅れだった。転生というアドバンテージがあったのにも関わらず、それを全く活かせないどころか、逃げることしかできなかった自分がとても惨めで悔しかった。何で俺はもっと早く気づかなかったんだろう。魔物という外敵がいる世界なのに自衛の手段すら持ってなかった自分の間抜けぶりに腹が立った。だから俺はあんな思いをもうしたくなくて、必死になって力を求めた。まず力を求めるなら学園に入るのがいいと判断した俺は冒険者になって学費を稼ぐことにした。自己流で剣も魔法も使っていたからそれはもう酷いものだったと思う。剣はあまりの酷さに見かねた先輩冒険者から手解きを受けた。字の読み書きはできたし、計算もできる。魔力だって少ないけどあるし、学園に入るために一番の問題であったお金も最終的には何とかなった。
学園に入ってわかったのは、俺の実力がかなり低いということだ。大半が貴族だからか、スタートダッシュで遅れてる俺は不利だった。小説の主人公みたいに突出した力も才能もない俺は地道に努力するしかなかった。図書館に通い詰め、あらゆる知識を頭に入れた。それを実践するために冒険者ギルドの依頼を受けるというサイクルをひたすらに繰り返した。そうやってようやく何とかこの学園でやっていけてる。
「もう、あの時こうしたらって後悔したくないんです」
やばい。話が暗くなった。
「すみません。こんな話で……」
俺は苦笑して、話を変えようとした。
「アルトさんはすごく頑張ってます。だからそんなに自分を責めないでください」
その言葉に思わず、俺は言葉が詰まった。
「もっと自分に褒めてください。そんなに肩に力を入れなくていいんです。アルトさんはちゃんと強くなってます。だから一旦、休憩しましょう?」
今でもあの時の光景を夢に見る。その度にもっと強くならないと自分に言い聞かせて追い込む。その悪夢を振り払いたくて、立ち向かう力が欲しくて、俺は……。
「少し休んでも誰も文句を言いませんよ。私が保証します。だからもうそんなに頑張らなくていいんです」
その時、目から溢れるものがあった。
「あれ?何で……涙が……?」
慈愛に満ちた笑顔を浮かべた彼女が俺の頭を優しく撫でた。まるで母親が子供にするようにゆっくりと。俺は更に溢れ出した涙に戸惑いながらも彼女にされるがままじっとしていた。
涙が止まる頃には俺は恥ずかしさに顔が真っ赤になったけど、それを見た彼女があまりにも綺麗に微笑むから、まぁいいかと思うことにした。
それからの俺は無駄な力が抜けたせいか、実力がさらに向上し、魔力も増えた。必然的に成績も上がったけど、逆に実力が上がりすぎて貴族に目を付けられないように手を抜くことになってしまった。
全部上手いこといっていたが、唯一上手くいかなかったのは彼女、アリスのことだけだった。その頃には彼女が幸せならそれでいいと心から思えるようになった。まだ胸が少し痛むけど、いずれはこの痛みも慣れて、消えていくのだろうか。
まさかあの後、あんな騒動が起きてアリスと付き合えるようになるなんて、俺は想像もしてなかったんだ。