第一話 唐突のSF
――もう嫌だ。
今の私の胸中には、そんな言葉が渦巻いていた。
その理由は、たった一つ。現在の、最悪な状況のせいだ。
そもそも私は、フラム星系方面に出現した『ノウン』――我々人類の敵とされている。アンノウンが語源である――の極小規模艦隊を制圧しに、この宙域に来ただけの新人軍人だ。新人とは言っても、宇宙連合軍の総司令部、その中でも最高権力を持つ『五権』の内の一人の娘であるので、決してただの軍人であるとは言わないが。
つまりは、私は権力者の娘なのだ。
だからと言って、どでかい椅子にふんぞり返って高笑いをしていたわけではない。生まれてこの方、宇宙船に乗るための技術や戦いにおける知識なんかを、頭と体に叩き込んできた。
そんな私は、熟練の船乗りには及ばないながらも、たいていの任務ならこなせるくらいの力はあると自惚れていた。
もちろん、この船の船員たちの私に対する風当たりは強い。
親の権力だけで軍人になったと思われているのだが、私だって必死に訓練して軍人になったのだ。....確かに、初任務から制圧部隊の隊長という立場にいるのは多少コネの部分もあるけど....ごにょごにょ....。
そんな彼らとも、これからは友好的な関係を築いていこうと考えていた。
何はともあれ、私は浮かれ、緊張しつつもやる気にあふれていたのだ。
この、極小規模のノウン制圧という、簡単な任務に。
しかし、目の前の3Dホログラム画面には、信じられないものが映っていた。
情報では、現れたのはたった数隻の偵察船とその護衛艦数隻だったはずだ。
その数隻の偵察船を制圧する為に派遣されたのが、私たちの小隊だ。
だが、目の前のレーダーに映りこむ敵艦は、明らかに中隊――百以上はいた。
恐らくワープしてきたのだろうが――これまで、ノウンがワープを使うということはなかった。それによって、宇宙連合軍は有利に戦いを進め、着々と勢力圏を伸ばすことに成功していたのだが....。
もし、これからもノウンがワープを戦いに使用するというのなら、連合軍はそれ相応の対応をしなければなくなる。少なくとも、戦況が一気膠着状態に陥るのは間違いがないだろう。
そして、その情報もなしに戦いが開戦してしまえば――。
考えるだけでもぞっとする。
まずい、このことは何とかして軍に持ち帰らなければならない。
逆に、ここでこの情報を持ち帰ることができたなら、我々は次の戦いまでに対策を練ることができる。
だが、相手の数は百....下手をすれば二百はいる。それに対して私の隊は、たったの十七。八隻の分隊が二つ+私の指揮艦という、お粗末な隊だ。
しかも、私の艦以外は全て近くのコロニーの常駐軍からの借り物。連携も信用も何もない。
そんな状況で、私は帰ることができるのだろうか....?
――まず、絶望的だろう。ワープ技術を手に入れたノウンが、それを知ってしまった私をこの場から逃すわけがない。
戦うにしても、彼我の戦力差はいかんとも覆し難い。ああ、そういえば昔父がまだ幼い私の脳に何かを埋め込んだそうだが、そいつが発動してこの状況を何とかしてくれないものだろうか。
....もちろん、いくら願ってもそんなことはあるわけもなく。
というわけで――
――もう、嫌だ。
結局はその思考回路のループに陥るわけだった。
――もう嫌だ。
俺の頭の中は、それでいっぱいだった。
今日もまた上司に理不尽な理由で怒られ、パソコンが故障し、数少ない友人と喧嘩し、挙句彼女に振られた。
泣く泣くワックで飯を食っていると、強面のおっさんにぶつかってトラブル発生。解決に二時間も要してしまった。
帰ってネットサーフィンでもして憂さ晴らしをするか――なんて考えてパソコンの電源ボタンを押し....うんともすんとも言わないパソコンに、そういえば壊れてたとため息をつく。
そもそもからして、不幸な人生だった。
頭の出来は悪くなく、運動神経もいいほうだった。
だが、学生時代。テストの度にヤマが外れて点数を取れず、そのせいで結局志望校にも落ちた。それだけでなく、入った会社はブラックで、サービス残業あたりまえの会社だった。
その会社でも何故か俺だけが理不尽に怒られ、ミスを擦り付けられる始末。
もはや、何が良くて何がいけないのかが分からない。
ああ、そういえば昨日も嫌なことばっかりだったし、一昨日もそうだった。
もしかしたら明日もそうなんじゃないだろうか。
考えれば落ち込むだけだとわかっているのに、考えてしまう。自分は生来ポジティブな性格だったはずだが。さすがにここまで嫌なことが続くと、その性格も折れてしまうようだ。
ああ、しょうもないことで落ち込んでいるのは分かってるさ!でもこんなに不幸が降りかかってくると....ねえ?
そして考えれば考えるほどに深みに嵌っていき――最後には、結局この思考に戻ってくるのだ。
――もう嫌だ、と。
そう考えた、次の瞬間。
意識が爆ぜた。
薄れゆく意識の中で一瞬。
嫌なら変わればいいじゃない、という声が聞こえた気がした。
目が覚めた。
いや、目はもともと覚めていたんだ。でも、何故か今、意識が戻ってきた....いや、入った?
なんとも言えない奇妙な感覚に俺は違和感を覚える。一体何が起こったのか。そう思って視線を上げると――そこには、驚くべき風景が広がっていた。
前面と横の一部が窓に....いや、ディスプレイになっていて、そこには真っ暗な空間とそこに散りばめられた星たち、それと離れたところに不規則に並んだ点が映し出されていた。
俺は一番高くなっている椅子に座っていて、いかにも司令官、といった感じだった。部屋はそこまで広くはないが、多少のゆとりをもって左右に三人づつ、俺も含め計七人の人間がこの部屋にいる。
そして視線を下げると....そこには小さな白い手と、大きくはないが女性特有の膨らみ。
――え、なにこれ?
それが俺の第一の感想だった。
どうなってんの、これ?SF?なんかの撮影――って線はないか。明らかにさっきまで部屋にいたし。というか何だこの体。もしかしてこれがラノベ的テンプレ――
「隊長殿!どうすんだよこれ!」
なんてことを考えていると、唐突に声をかけられた。
殿、にアクセントを置いて声を上げたのは、一番右手前。つまりは俺に最も近い位置に座っている男だった。男は金髪を少しリーゼント風にセットした、ちょっと怖いあんちゃんみたいな見た目をしてる。
正直、話しかけられてビビってます。はい。というかなんでそんな敵対的なんでしょうか。
とりあえず、一番混乱しそうなこの体のことはいったん忘れるとしよう。
話しかけられている以上、何らかのアクションを取ったほうがいいだろう。分かった、という風にうなづいた。我ながら何がわかったんだよ。なんも分からねえよ。
「全部合わせたら百はくだらねぇぞ!」
そう言って、前方のディスプレイを指さすあんちゃん。そこには、さっき見た時と同じく、小さくだが確かに沢山の点があった。あれは確かに百はくだらないですな。
あ、俺の手元にあるディスプレイにも同じ画像が映ってる。もしかして、これズームできる?
そう思い手元の画面をタブレットのように操作すると、難なくズームすることができた。手元の操作に合わせて、前方のディスプレイもズームされた。
少し驚きつつも見てみると、そこには流線形の金属の塊がいくつも立ち並んでいた。
そのあまりの量に、しばし呆然としてしまう。
あれは、宇宙戦艦なんちゃら的なあれなのだろうか。
マジで宇宙船的なやつなのか?そうだとしたら....技術水準は、俺の知っているものよりも優れていることになるということくらいしか分からないけど。
と、次の瞬間、その宇宙船の内の一つが急に発光した。
そこから物凄い勢いで一本の光の筋が伸びてくる。
わぁ~、すごいなぁ....ってこれ、やばくね!?ピ、ピ、ピ、ピピピピピピとだんだん早くなる警戒音と思しき音が鳴る。
光の筋はみるみる内にこちらに近づいてきて――ドン、というような振動とともに警戒アラートが鳴り響いた。
「本艦が被弾!損傷軽微だ!だがシールドは全部持ってかれた!たぶん巡洋艦だ!」
声を上げたのは、左手前の男。スキンヘッドで強面で、なおかつ声が厳つい。
なんでここには厳つむさい男しかいねぇの?
「隊長!どうするんだッ!まあ、逃げようにも逃げれねえだろうがな!」
金髪のあんちゃんが再び訪ねてくる。
くそっ、そんなこと言われたって....自分の置かれている状況すら理解できてないのに、他人に命令を下せるわけないだろ!そもそも俺は平社員なんだ!他人に命令するのには慣れてないんだよ!
いや待てよ。
こんなSFな科学力なら、もしかしたらあれができるかもしれない。
「ワープは出来ないのか!?」
「無理だ!座標固定に時間がかかりすぎる!」
座標固定ってなんだよ!無理なのかよ!
「くそっ!」
だん、と目の前のディスプレイに手を叩きつける。
唐突にこんな場所に連れてこられて、急に指揮官やらされて、唐突なピンチって....一体なんなんだ。そもそもこれは現実なのか?.....いや、こんな夢はあり得ないだろう。感覚が、空気の重さが、人が、すべてがリアルすぎる。
どうにかならないものか――
いまだに状況についていけず、あまり明瞭ではない脳を必死に回転させて打開策を考える。
「....ん?」
冷静になれてなかったせいで、気づいていなかったのだろう。手元を見ると、さっき手を叩きつけた衝撃でディスプレイが、初めから起動していた真ん中のものを挟んで、二つ起動していた。
一つは、いくつかの船の絵がシンプルな線で描かれた画面。その真ん中の船の一部が黄色くなっているので、たぶん現在の艦隊の状況を知らせるものなのだろう。表示されている船の上には、全て『frigate』との表示が。この艦隊は全てフリゲート艦で構成されているという嫌な事実を俺に突きつけるのみだ。
そしてもう一つのディスプレイには、いくつかのステータスバーと、数字を打ち込むであろう空欄。その上には、空間転移システムと表示されている。
これは――間違いない。
ワープシステムだ。
「....これを使うしか」
さっきは座標固定がなんだとか言っていたが、これを使って脱出するしかないだろう。
入力欄には、適当な数を入力するしかない。
入力欄をタップする。
すると、目の前に半透明のキーボードが浮かび上がってきた。
──と同時に、頭の中に幾多の情報が流れ込んでくる。
つい今の今まで存在しなかった大量の情報が一瞬にして自分のモノになっていく感覚に、堪えようのない違和感を感じる。
普通に暮らしている分にはまず、感じることの無いような、知識の濁流に揉まれているようなイメージ。
ワープシステムの使い方、危険度、法則、その他もろもろの知識が一瞬にして流れ込んできた。....いや、流れ込んできたというのは、少し違う。
流れ込んできたというよりは、もともと頭の中にあった箱が開いた、とでもいうような感じか。何が何だか分からないが、とにかく俺はそれによってワープの知識の、全てを得た。
その知識の内容によると――ふむふむ。
もしかしたら、この状況がなんとかなるかもしれない。
「敵、レーザー砲発射準備確認!ロックされてる。数は――数え切れんほどだ!」
そんなアバウトな報告を聞き流し、俺は操作に入った。
ここはどこか、何故このような状況に陥ったのか、そして何故こんな体になっているのか。
そう言ったことは、生き残ってから考えればいいだろう。